世界自閉症啓発デーに悠平の小学校生活を振り返る(2)

 今回は身辺自立を振り返ります。

【身辺自立】
・偏食
 悠平に限らず、自閉症のお子さんには偏食が多いようです。悠平は離乳食のころは比較的何でも食べていたのですが、ある時から、それまで食べていたものを拒否するようになりました。幼児期は白いご飯とから揚げ、リンゴがメイン。どうなることかと思いましたが、小学校に入学し、給食時の先生方の働きかけと、周囲のお友達の刺激により完食できるようになっていきました。家ではまだまだ好き嫌いが多いのですが、相当に改善されました。

・箸
 手先の不器用な悠平は、幼児期、スプーンやフォークがなかなか使えず、手づかみの時期が続きました。保育士の働きかけで食具が使えるようになり、療育でトングやピンセットで挟む動作の練習を重ねた結果、補助箸を使うことができるようになりました。補助箸使用が数年続き、OT(作業療法士)の助言を得て、補助なしの箸へと移行しました。現在は、魚やハンバーグなどを細かく切り分けるには支援が必要ですが、ほぼ、箸で食べられるようになっています。

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・着替え(ボタン、ファスナー)
 幼児期の療育課題で、「目と手の協応」課題として取り組んでいた、穴や切込みに物を通す課題。これが、ボタン穴にボタンを通す動作につながっていました。また、ファスナーも課題として取り組んだのちに、着替えに移行したので、すんなりできるようになりました。本人にとっても、自信につながったようです。

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・一人寝
 幼児期は親子で一緒に寝ていたのですが、一人で寝る習慣を早めにつけようと、小学校入学後、生活が落ち着いたのを見計らって、子供部屋の独立・構造化に着手。「ここが悠くんのベッド」と見せることで、抵抗なく、むしろ本人はちょっぴり大人になった気分で移行することができました。とはいっても、当初は寝付くまで傍で待機。ちなみに今ではyuheipapaが「一緒に寝ようか」と声をかけても、「一人で寝る」と言って、部屋のドアをバタンと閉められてしまいます(笑)。

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・入浴
 学校で乾布摩擦の授業があり、その手順書をパウチして、浴室に置いておきました。それを見ながら体を洗う練習をし、一人でできるようになったのを見計らって、一人入浴にチャレンジしました。当初はやはり不安だったようで、私が脱衣所で待機。時々、声を掛けながら、一人入浴に完全移行しました。見たいテレビがあると、ものすごく早く上がったり、浴室で鼻歌やひとり言を長々と繰り返してなかなか上がらないこともありますが、完璧を求め過ぎず、自立を優先しています。

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 最終回は【療育・学習】についてです。

世界自閉症啓発デーに悠平の小学校生活を振り返る(1)

  妻(yuheimama)です。4月2日は世界自閉症啓発デー、2日から8日までは発達障害啓発週間です。今年は、悠平の小学校6年間を振り返り、どのような支援や試行錯誤を経て発達してきたかを3回にわたってまとめたいと思います。パニックやこだわりに振り回されていた幼児期は、先が見えずに本当に苦しく、不安な日々でしたが、少しずつ、でも確実に成長してきました。支援と発達を考える一材料にしていただければ幸いです。

【パニック】
 悠平の場合、ピークは小学校低学年まででした。視覚支援で見通しを持たせたり、選択肢を与えて悠平自身に選ばせるなど、手探りの日々でした。今、振り返ると、そうした取り組みの積み重ねと、学習による認知力の向上、経験の蓄積によって、許容範囲が広がっていったように思います。小3ごろから自分でパニックをコントロールしようという姿勢が見られるようになり、今では固まったり、涙ぐむことはあっても、パニックを起こすことはなくなりました。
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【こだわり】
 乗り物好きの悠平は、乗り物に対して独特のこだわりがあり、ずいぶんと悩まされました。その一つが、自分が乗り物から降りた後に「出発進行!」と言って見送ること。これで一番困ったのは、電車(特に新幹線など)の終点で降りると、その電車が再出発するまでホームから動けなくなることでした。やむなく、終点の1つ前で降りるなど、対策を考えました。また、自分が気に入った車を見つけると、これまた「出発進行!」と言って、見送ります。気に入った車が駐車場に入ったときなど、顔面蒼白です。1時間近く動けず、無理に連れ帰そうとすると大パニック。抱えて、引きずって、私の肩と腰は毎度、ガタガタでした。あれほど苦しんだ出発進行ルールでしたが、満足するまでこだわったからか、いつの間にか「バイバイ」と小さく手を振って通り過ぎることができるようになりました。ちなみに今でも、バスや電車は言うまでもなく、エレベーターやエスカレーターにもバイバイしております。
 もう一つ、強烈なこだわりが生活習慣へのものです。スクールバス乗り場への送迎は母でなければダメ、学校は平日に行くものなので土曜の行事には行けない、放デイに行くのは〇曜日だけ等々。一つずつ、家庭―学校―放デイで情報共有・連携して声がけや約束をして、数年がかりで適応を図ってきました。できなかったことができるようになると、本人の自信につながり、自己肯定感が向上するように思います。
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次回は【身辺自立】についてです。

小学校を卒業しました

 yuheipapaです。
 悠平が特別支援学校小学部を無事に卒業しました。
 卒業式にはわたしもyuheimamaと一緒に参列しました。式は中等部と合同で、卒業生一人一人が校長先生から卒業証書を受け取りました。悠平は順番が来ると自分の席からステージの下までしっかりした足取りで歩き、ピシッと気を付けの姿勢を取って待機。ステージに上がって名前を呼ばれると、わたしたちがちょっとびっくりするくらいの大きな声で「はいっ!」と返事をして演台の前まで進み、きちんと礼をして証書を受け取りました。
 卒業式の校長先生の話も印象に残る内容でした。「これから皆さんは、夢中になれるものを見つけてください」「皆さんは挑戦するチャレンジャーです」との言葉に、わたしも心の中でうなずいていました。
 在校生の送る言葉と送る歌、卒業生の別れの言葉の後は、在校生と卒業生が全員で「BELIEVE」の合唱。悠平はあっけらかんとしているのに、親のわたしの方が感極まって何度も涙をぬぐいました。
 思えば、小学校に入学したのは、わたしの転勤に伴い大阪・高槻に住んでいたときでした。わずか1年で東京に転校となり、戸惑うことも少なくなかったはずですが、がんばって乗り越えてくれました。この6年間でパニックはほとんど見られなくなり、悠平なりに気持ちのコントロールの仕方も身に着いたようで、その成長ぶりにはあらためて驚かされます。
 4月からは同じ学校の中学部に進みます。3年後にはおそらく、別の支援学校の高等部に進むことになると思いますが、その時までには将来、どの程度の仕事ができるのか、事実上決まってしまうようです。中学生の3年間の過ごし方は今まで以上に重要なようです。悠平が社会に居場所を見つけられるように、親も一緒に歩んでいこうと思います。

 卒業式の翌日、千葉県内のわたしの両親の墓にお参りし、悠平の卒業を報告しました。その足で房総半島の南房総市・千倉温泉へお祝いの家族旅行に行ってきました。
 館山市にある安房の国一宮の安房神社ではちょうど桜が咲き始めたところでした。

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 房総半島最南端の野島崎では、悠平が好きな灯台にも上り、雄大な景色を楽しみました。

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 灯台のすぐ横にある白浜海洋美術館には、房総の網元が大漁の年に漁師たちに記念に贈ったという「万祝(まいわい)」と呼ぶ晴れ着が何着も展示されていました。派手な柄と色彩が見飽きませんでした。悠平も試着して記念撮影しました。

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「ボーっと〇〇じゃねーよ!」

   妻(yuheimama)です。巷で人気のNHK「チコちゃんに叱られる」。ご覧になっている方も多いかと思います。5歳のチコちゃんが素朴な疑問を大人に問いただし、正しく答えられないと「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と一喝します。

   悠平も毎週、ケタケタ笑いながら観ています。話の内容に反応して笑っているというよりは、一喝するときにCGのチコちゃんの顔が大きくなって怒り顔に変化する部分を気に入っているようです。録画しては3回から5回くらい、リモコン操作で顔を大きくしたり小さくして笑っています。これ、仮面ライダーの変身シーンでも同じことをやっていました。

   笑って楽しんでいる分には良いのですが、母にはちょっと心配なことがありました。外でふざけて「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言ってしまうと、トラブルの素になります。そこで、「お家ではいいけど、外では言いません」と話しておきました。今のところ約束を守り、外では言っていないのですが、ある日…。

   疲れたyuheipapaがうたたねをしていると、悠平が一言、「ボーっと寝てるんじゃねーよ!」。――応用力があることを喜ぶべきなのか、思いやりに欠ける言動を戒めるべきなのか悩ましいところではありましたが、何より先に思わず笑ってしまいました。まぁ、家庭内の微笑ましい出来事として記憶にとどめておきましょう。

   早いもので今週末には小学校の卒業式です。悠平なりのペースで、しかし親の目からは著しく成長した6年間だったと思います。残り少ない小学校生活を満喫できるよう、もうしばらく見守っていきたいと思います。

突然の変事に冷静だった悠平~yuheipapa骨折記

 yuheipapaです。
 悠平が昨年秋、右腕を骨折したことはこのブログでお知らせしました。何と今度は、わたしが転倒して右上腕部を骨折しました。年明け早々、1月中旬のことです。しばらく不便な生活が続きましたが幸いに経過は順調で、骨は無事につながり、現在は、固まった右肩から右腕にかけて、元のように動くようにするリハビリの最中です。焦らず、じっくり治していきます。

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 その日は休日で、午前中から悠平と「乗り鉄と巡礼」の散策に外出していました。東京の下町、江東区の門前仲町で深川不動尊にお参りした後、江戸御府内八十八カ所の札所を巡りながら両国に移動。さらに錦糸町方向に歩いて向かいながら、悠平と「天気が良いし、混んでいなければ久しぶりに東京スカイツリーに上ろうか」と相談していました。その直後、細い道から広い通りに出て右に曲がろうとして、歩道の段差につまずき、体のバランスを崩してしまいました。2センチにも満たない段差だったと思いますが、前のめりになってしまい、おっとっとっと、という感じで2、3歩進んだところで転倒。必ずしも記憶は定かではないのですが、首から掛けていたカメラをとっさにかばうようになってしまったのか、右肩のあたりに体重がかかるような姿勢になり、倒れた瞬間の何かがつぶれたような感触に「これは骨に来たな」と分かりました。
 しばらくは痛みはありませんでした。心配そうにのぞき込んできた悠平が「何をしているの」とひと言。「悠くん、お父さんが起き上がるのを手伝ってくれるかな」と言いながら、まず仰向けに姿勢を変え、背負っていたリュックを外すと、悠平がリュックを持ってくれました。次いで左腕を下に、ようやく起き上がることができました。
 体の様子を点検したところ、右手の手のひらは動くものの、腕は動きません。救急車を呼ぼうか、とも考えましたが、歩くのは問題なさそうですし、翌日以降の通院や治療のことを考えると、自宅に少しでも近い病院に行くのがいいと思い、とりあえずタクシーをつかまえ、自宅方面に向かってもらうように頼みました。
 タクシーに乗ってからyuheimamaに電話しました。急なことなので驚くのは当然。それでも何が起きたかを的確に伝えなければと、ちょっと考えてからスマホのダイヤル番号をタッチしました。伝えたのは、まず緊急事態だが悠平はけがもなく大丈夫ということでした。次いで、わたしが転倒して、どうやら腕を骨折したこと、タクシーで自宅の方向に向かっていること、近所で受け入れ可能な整形外科を探してほしいことを伝えました。yuheimamaもびっくりしたと思います。昨年に悠平が骨折したばかりだったので、なおさらです。でも機敏にあちこちと当たってくれ、やがて自宅から徒歩圏内の整形外科で診てもらう旨、アポイントメントを取ってくれました。悠平と一緒にタクシーでその病院に向かい、yuheimamaと合流しました。車内でだんだんと痛みを感じるようになり、冷や汗も出て軽いショック症状になっていたかもしれません。この間、悠平はパニックを起こすこともなく、わたしの荷物を持ち、落ち着いた様子で行動してくれました。
 当日のレントゲン検査で骨折が確認されました。右腕の骨の最上部の肩の関節に接する辺り、骨が膨らんでいる部分に亀裂が入っていました。診断名は「上腕骨近位端骨折」。翌日にはCT検査も受け、手術は不要ということになりました。悠平が骨折を治してもらった自宅近くの整形外科に転院し、リハビリを含めて全治2カ月との診断を受けました。3週間ほどはギブスをはめ、丸1カ月ちょっとの間は利き手の右腕をスリングで吊った不自由な生活が続きましたが、幸いに順調に回復してきています。

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【写真】ギブス(下)と腕を吊るスリング。

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【写真】スリングを装着

 今、骨折した当日のことを振り返ってもちょっと驚くのは、一緒にいた悠平が終始冷静だったことです。パニックを起こすこともなく、荷物を持ってくれたり、「お父さん、大丈夫?」と気遣う言葉をかけてくれたり。突発の変事だったのですが、まったく動じることがありませんでした。あらためて、悠平の発達が進んでいることが実感できて、これはうれしかったです。
 もう一つ、今さらながらに思ったのは、悠平の独特の感覚、具体的に言えば痛みへの強さです。このブログにyuheimamaが書いた通り、悠平は昨年秋、やはり右腕を骨折しました。その日は痛いとは一言も口にしませんでしたが、翌日、腕を上げることができなくなりました。yuheimamaが学校に迎えに行って、整形外科に連れて行き、レントゲン検査の結果、骨折が分かりました。そうなって初めて「痛い」と口にしました。わたしはと言えば、タクシーの中で痛みを感じるようになり、その後は時に泣きたくなるような激痛に思わず「痛い、痛い」と口走っていました。自閉の人の感覚は独特だとは、よく言われるところですが、悠平の痛みへの強さも、わたしたちには思いもつかない、ヒトの種の保存の上で何か意味を持つのかもしれない―。そんなことも考えています。
 思わず笑ってしまったのは、翌日の悠平のことです。翌朝、学校の担任の先生への連絡帳に、yuheimamaがわたしの骨折のこと、悠平も一緒にいたが終始、落ち着いて行動したことなどを書いて悠平に持たせました。学校に着くと悠平は先生に「きのう、大変なことがありました。詳しくは連絡帳を見てください」と話したそうです。思えば、悠平が自分で口頭で説明しようとしても、なかなかうまく言えなかったでしょう。相手に着実に伝えるコミュニケーション術という意味では、「詳しくは―」はそれなりに的確な説明かもしれないと感心しました。

 骨折して数日は通院などもあって仕事を休んでいましたが、その後は毎日出勤しています。最初は出勤前の身支度も、帰宅後の着替えも一人ではできず、yuheimamaに手伝ってもらっていました。2週間後くらいからは、帰宅後の着替えを悠平が手伝ってくれるようになりました。最初は「おかえりなさーい」と玄関で出迎え、わたしがコートを脱ごうとすると「僕が手伝うよ」と手を貸してくれました。それならいっそのことと考えて「お父さんのワイシャツも脱がせてくれないかなあ」と頼むと「うん」と言って袖口のボタンをはずしにかかりました。しかし、うまくいかずに「むり~」と尻込み。yuheimamaにシャツを脱がせてもらいながら「よーく見ててごらん。明日は悠くんにやってもらうよ」と“研修”を実施しました。翌日、予告通りに悠平に着替えの手伝いを頼みました。悠平もチャレンジ精神満々で、四苦八苦しながら時間はかかったものの、yuheimamaの手助けを借りることなく、わたしの着替えを終えました。その後は靴下の着脱まで手伝ってくれるようになりました。 

スラックス

 妻(yuheimama)です。2月に入り、悠平の小学校卒業まで、2カ月を切りました。悠平が通う特別支援学校は、小学部・中学部が同じ校舎なため、通学もこれまで通りで生活に大きな変化はなさそうです。とはいえ、小学校卒業、中学校入学は、教育課程において大きな節目であることは違いなく、服装、持ち物等も「中学生らしさ」を意識して選ぶようになってきました。先日は、卒業式と中学入学以降に着るブレザーとスラックスを買いに出かけました。悠平が進学する中学部では、制服はないものの、制服に準じた服装を各自が用意することになっています。

 その日は、紺のブレザーとチャコールグレーのスラックスを購入しました。スラックスを試着した際、お店のスタッフに裾上げを依頼しました。悠平の足元にしゃがみこんで裾の長さを調整するスタッフから、「これくらいでいかがですか?」と聞かれました。すると悠平が一言、「気持ちいいです!」。スタッフ、裾の長さを尋ねて「気持ちいい」と言われるとは想像だにしなかったことでしょう。一瞬、「へっ?」というリアクション。私とyuheipapaは思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。悠平、もしかすると裾の調整で足首周辺にスタッフの手が当たって、くすぐったく感じたのかもしれません。あるいは、試着によって中学生気分を先取りしたのが気持ちよかったのかもしれません。いずれにしても、悠平独特のセンスに、また笑わせてもらい、「まっすぐ育ったなぁ」と感慨ひとしおです!?

 中学3年間、高校3年間はとても早く感じると、先輩ママたちから聞いています。思春期の対応や、高校卒業後を見据えた情報収集など、本格化していくことでしょう。悠平に合った環境探し、環境づくりを模索しながら、成長しても悠平らしさを大切にしていきたいと、あらためて思った早春の一コマでした。

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「びじゅチューン!」と過ごした冬休み

 妻(yuheimama)です。悠平がNHK・Eテレ「びじゅチューン!」にはまっていることは、以前、yuheipapaが紹介しました(「ムンク展で「叫び」を鑑賞~井上涼さんの「びじゅチューン!」で深まったアートへの興味」を参照ください)。番組をきっかけに作品や海外への関心が少しでも広がってくれればと、母、冬休み中にいつものごとく仕掛けを考えてみました。

 その1、絵本。クリスマスプレゼントは、数カ月前からリクエストのあった仮面ライダーベルトのパーツだったのですが、急きょ、美術作品を紹介した子ども向けの絵本も探しました。

子どものための美術史: 世界の偉大な絵画と彫刻

子どものための美術史: 世界の偉大な絵画と彫刻

  • 作者: ヘザーアレグザンダー,メレディスハミルトン,Heather Alexander,Meredith Hamilton,千足伸行,野沢佳織
  • 出版社/メーカー: 西村書店
  • 発売日: 2017/05/16
  • メディア: 大型本
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 この絵本、西洋絵画を中心に「びじゅチューン!」でも題材となっている作品が多数、掲載されています。悠平はページをめくるたび、知っている作品のオリジナルを目にして大興奮です。解説も充実しているので、背景となる歴史を理解するのは難しくても、何かしら興味関心が広がればと期待しています。

 その2、家庭学習。休み中、宿題プリントや四谷学院の教材をこなすと、最後にご褒美課題が登場。題して「びじゅチューンでこんにちは」。その日、悠平が選んだ「びじゅチューン!」の作品シールを貼って、作品名、国名、その国の言語の「こんにちは」を書き込みました。「こんにちは」は事前にネットで調べて表を作り、国旗シールも用意しました。悠平、国旗が分からないときは、「行って見てくるよ」と、リビング壁に貼ってある国旗入り世界地図を見に行って確認。意欲的でした。

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 年末、部屋の片づけをした際に引っ張り出した昔のアルバム。約20年前に訪れたルーブル美術館の写真を悠平に見せながら、またいつか欧州旅行にいけるかしらと夢想。次の瞬間、悠平がやたらと「ボンジュール」とあいさつをしてしまいそうだと一人、苦笑してしまいました。