「乗り鉄と巡礼」に「アート鑑賞」が加わりました

 yuheipapaです。休日は努めて悠平と一緒に外出する習慣は今も続いています。
 悠平が幼児~小学3、4年生ぐらいまでは、悠平の関心はもっぱら電車でした。小学2年生になる春までの3年間、わたしの転勤に伴い、一家で大阪府高槻市に住みました。せっかくの関西暮らしだと思って、悠平を連れて寺社巡りによく出掛けました。その際、悠平の楽しみはJR西日本を始め、阪急や近鉄、京阪などの関西の電車でした。わたしが行ってみたい寺社へのルートに、悠平が乗りたい電車を組み込んでやるのがコツでした。わたしは「父子乗り鉄と巡礼」と呼んでいましたが、yuheimamaのママ友の間では「男旅(おとこたび)」と呼ばれていたそうです。
 悠平が中学生になって、外出で大きく変わったのは、美術展に行くようになったことです。後ほど、あらためて書きますが、先日は静岡市へ日帰りの小旅行を計画。静岡県立美術館の企画展「屏風爛漫」で江戸時代の画家、伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」を見たり、「考える人」や「地獄の門」などロダンの彫刻群を鑑賞してきました。

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【写真】伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」レプリカ。静岡県立美術館にありました。撮影可でした。

 悠平が最初にアートに興味を示したのは小学4年生の時。きっかけは故岡本太郎さんでした。
 ※参考過去記事

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 その後、関心が増すことはなかったように見えていたのですが、NHKのEテレで放送している「びじゅチューン!」にはまったことが大きな転機になりました。「びじゅチューン!」は古今東西の絵画や彫刻、建築などの美術作品をモチーフに、縦横無尽にストーリーを編み出し、歌とアニメで表現した短編作で、アーティストの井上涼さんが作詞、作曲、アニメを一人で手掛けています。
※「びじゅチューン!」公式

www4.nhk.or.jp これなら悠平のアートへの関心が持続するのではと思い、井上さんの短編アニメのモデルになった作品が出品される美術展を探しては、悠平を誘うようになりました。最初はムンクの「叫び」でした。
 ※参考過去記事

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 ちなみに、井上さんの作品は「ムンクの叫びラーメン」です。 

www.nhk.or.jp

 3月には、ムンク展と同じ東京・上野の東京都美術館で開催された「奇想の系譜展」に行きました。目当ては歌川国芳の浮世絵「宮本武蔵の鯨退治」です。
 井上さんのアニメ作品は以下です。
 「武蔵の遅刻理由」 

www.nhk.or.jp

 上野の東京国立博物館には、岸田劉生の「麗子微笑」とか法隆寺の「麻耶夫人および天人像」などもあって、もう何度も悠平と一緒に足を運びました。それぞれ井上さんは以下のようなアニメ作品にしています。
 「夢パフューマー麗子」 

www.nhk.or.jp

 「ツイスト出産」

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 世界に三つしかなく、そのすべてが日本にあるという中国製の茶碗「曜変天目」も、うち一つを所蔵する東京・世田谷区の静嘉堂文庫美術館に見に行きました。
 「曜変天目ディスコ」

www.nhk.or.jp

 悠平は美術館や博物館で実物を見た後は、いつもミュージアムショップでその作品のポストカードを買っています。そのコレクションも随分と増えてきました。

 最近見に行ったのは、静岡市にある静岡県立美術館で開催された企画展「屏風爛漫」です。目当ては、同館が収蔵する伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」でした。
 ※「若冲≪樹花鳥獣図屏風≫」

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/jakuchu/

井上さんは以下のようなアニメ作品にしています。 
 「樹花鳥獣図屏風事件」

www.nhk.or.jp

 静岡県立美術館はロダンの彫刻の収集も充実しており、「地獄の門」はわたしも悠平も、東京・上野の国立西洋美術館に続いての鑑賞でした。これも井上さんはアニメにしています。
 「ランチは地獄の門の奥に」

www.nhk.or.jp

 静岡には日帰りでしたが、せっかくの機会だと思い、朝6時に家を出て朝の新幹線で静岡入りし、日本平~久能山東照宮~清水次郎長の生家・墓なども見て回りました。地元私鉄の静岡鉄道の電車にも全線乗りました。文字通り「父子乗り鉄と巡礼」にアートが加わった旅でした。今後は、このような外出が増えそうです。
 悠平のアートへの関心は深まっているものの、自分で手を動かしてみよう、とはなかなかならないようです。むしろ今は、ポストカードの収集の方に興味が向いているようにも感じます。そうだとしても、気に入った絵や彫刻を見に行き、ミュージアムショップでポストカードや記念の品を買うのは、趣味や余暇の過ごし方としては充実しているのではないかと思います。

 以下は先日の静岡への旅のスケッチ風ミニアルバムです。

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【写真】きらびやかな久能山東照宮

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【写真】プラモデルの奉納品。静岡市発祥の模型メーカーはいくつもあります。

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【写真】日本平から望む富士山

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【写真】清水と言えば次郎長。墓がある梅蔭寺には銅像も

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【写真】スマートなデザインの静岡鉄道の電車

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【写真】静岡県立美術館のプロムナード。日本平の麓にあります

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【写真】静岡県立美術館ロダン館の内部。撮影可です

正義の味方は国語の味方!?

 妻(yuheimama)です。中学部の日々が始まり、悠平は意欲的に通学しています。先日、体調を崩して2日欠席したのですが、2日目には「学校行きたい!」とアピール。あと1日様子を見ようかと思いましたが、体育を見学、予定していた放課後等デイサービスを休むことを約束して、登校しました。学校には小児科で処方された薬を持参。服薬は錠剤が苦手で、これまで粉薬にしてもらっていたのですが、身長が165センチほどになり、粉ではかなりの量になるということでついに錠剤に。給食後に自分で飲めるよう、前日にシートから錠剤を取り出し、飲み込む練習をしました。まだすんなりと飲み込めないこともありますが、なんとか一連の動作を1人でできるようになり、「飲めたよ!」と自信がついたようでした。

 さて、そんな具合に一つ一つできることを増やしている悠平ですが、何度やっても苦手なものもあります。その一つが、四谷学院療育55段階・国語で取り組んだ慣用句です(療育55段階については2016年「夏休みの家庭療育&家庭学習」を参照ください)。「火花を散らす」「歯が立たない」など、よく耳にする慣用句。こうした表現は比喩的で言葉どおりの意味を指すわけではないので、概念理解や想像力に困難を伴う自閉症児には難易度が高いようです。プリントに取り組み、間違えるたびに説明をしましたが、聞き流してしまうようで、再チャレンジしてもまた間違えます。どうしたものかと思い、取り組みの様子を四谷学院に伝え、アドバイスをもらいました。

 仮面ライダーが好きなら、「ジオウとゲイツが火花を散らす」「ジオウはディケイドに歯が立たない」など、テレビを観ながら言葉がけできそうですね、とのこと。その手があった!っと思いました。自閉症児は興味・関心の幅が狭いので、それを逆手にとって、学習の糸口にするやり方です(2012年「発達障害啓発週間によせて~ブックレビュー2」を参照ください)。

 さっそく、現在放送中の仮面ライダージオウや以前に観ていた仮面ライダービルド、ルパンレンジャーvsパトレンジャーなどに登場する主要キャラクターの力関係や特徴を素材に問題を作ってみました。
【問題】
・ウォズはゲイツ・リバイブに(歯が立たない)。
・ジオウ・ツーとアナザー・ジオウが(火花を散らす)。

・パトレンジャーが異世界につれていかれて(途方にくれる)。

・圭一郎は(気が短い)ので、すぐおこる。

 

 悠平はそれまでのプリントとは打って変わって、やる気満々。以前は当てずっぽうで答えていたのですが、仮面ライダー等が登場すると、しっかり意味を考えて、あっという間に正解できるようになりました。その後、四谷学院の復習プリントに戻っても正答。ちゃんと記憶に残ったようです。

 悠平には悠平に合った学び方があるのだなぁと再認識。正義の味方は今回、国語の味方となり、息子と母の味方にもなってくれました。

世界自閉症啓発デーに悠平の小学校生活を振り返る(3)完

 最終回は、療育・学習です。

【療育・学習】
 悠平に知的障害があると分かった当初、かなりの衝撃を受け、少しでも知能を向上させたい、分かることを増やしてやりたいと思いました。療育に通い、家庭でも取り組みを始めると、知的障害があっても学ぶ力はあるのだと分かり、知能の向上に躍起になるのではなく、悠平の将来に役立ちそうな事柄を悠平に合ったやり方で教えていくことが大切だと思うようになりました。時々、壁にぶつかりますが、「どうして分からないの?」と悠平を責めるのではなく、「どうして伝わらないのか、どうやれば伝わるのか」を試行錯誤するようになったのは、私自身の変化です。

 具体的な学習目標は、人とのやりとりにおける理解力・表現力につながる基礎的な読み書き・語彙力、お金・時間・単位の理解につながる算数力です。日常生活に生かせることを長期的な目標に、その時々で短期的に「今の目標」、中期的に「〇学期、〇年生の目標」を考えながら取り組んでいます。
 療育・学習の目的は生活の利便性・QOL(生活の質)の向上です。同時に、思考すること、努力する姿勢の獲得です。知的な限界はいずれ見えてくることと思いますが、そのときには代替手段を考えたり、必要な支援を得られるようにし、悠平なりの「自立」を後押ししていきたいと思います。

<主な関連過去記事>

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 そのほか、療育・学習の過去記事は、右側カテゴリーの「療育」を参照ください。
 3回続きの振り返りは、今回で終了です。悠平はついに中学部に進学。本人はやる気満々です。「悠平と歩く道」はまだまだ続きます。

世界自閉症啓発デーに悠平の小学校生活を振り返る(2)

 今回は身辺自立を振り返ります。

【身辺自立】
・偏食
 悠平に限らず、自閉症のお子さんには偏食が多いようです。悠平は離乳食のころは比較的何でも食べていたのですが、ある時から、それまで食べていたものを拒否するようになりました。幼児期は白いご飯とから揚げ、リンゴがメイン。どうなることかと思いましたが、小学校に入学し、給食時の先生方の働きかけと、周囲のお友達の刺激により完食できるようになっていきました。家ではまだまだ好き嫌いが多いのですが、相当に改善されました。

・箸
 手先の不器用な悠平は、幼児期、スプーンやフォークがなかなか使えず、手づかみの時期が続きました。保育士の働きかけで食具が使えるようになり、療育でトングやピンセットで挟む動作の練習を重ねた結果、補助箸を使うことができるようになりました。補助箸使用が数年続き、OT(作業療法士)の助言を得て、補助なしの箸へと移行しました。現在は、魚やハンバーグなどを細かく切り分けるには支援が必要ですが、ほぼ、箸で食べられるようになっています。

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・着替え(ボタン、ファスナー)
 幼児期の療育課題で、「目と手の協応」課題として取り組んでいた、穴や切込みに物を通す課題。これが、ボタン穴にボタンを通す動作につながっていました。また、ファスナーも課題として取り組んだのちに、着替えに移行したので、すんなりできるようになりました。本人にとっても、自信につながったようです。

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・一人寝
 幼児期は親子で一緒に寝ていたのですが、一人で寝る習慣を早めにつけようと、小学校入学後、生活が落ち着いたのを見計らって、子供部屋の独立・構造化に着手。「ここが悠くんのベッド」と見せることで、抵抗なく、むしろ本人はちょっぴり大人になった気分で移行することができました。とはいっても、当初は寝付くまで傍で待機。ちなみに今ではyuheipapaが「一緒に寝ようか」と声をかけても、「一人で寝る」と言って、部屋のドアをバタンと閉められてしまいます(笑)。

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・入浴
 学校で乾布摩擦の授業があり、その手順書をパウチして、浴室に置いておきました。それを見ながら体を洗う練習をし、一人でできるようになったのを見計らって、一人入浴にチャレンジしました。当初はやはり不安だったようで、私が脱衣所で待機。時々、声を掛けながら、一人入浴に完全移行しました。見たいテレビがあると、ものすごく早く上がったり、浴室で鼻歌やひとり言を長々と繰り返してなかなか上がらないこともありますが、完璧を求め過ぎず、自立を優先しています。

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 最終回は【療育・学習】についてです。

世界自閉症啓発デーに悠平の小学校生活を振り返る(1)

  妻(yuheimama)です。4月2日は世界自閉症啓発デー、2日から8日までは発達障害啓発週間です。今年は、悠平の小学校6年間を振り返り、どのような支援や試行錯誤を経て発達してきたかを3回にわたってまとめたいと思います。パニックやこだわりに振り回されていた幼児期は、先が見えずに本当に苦しく、不安な日々でしたが、少しずつ、でも確実に成長してきました。支援と発達を考える一材料にしていただければ幸いです。

【パニック】
 悠平の場合、ピークは小学校低学年まででした。視覚支援で見通しを持たせたり、選択肢を与えて悠平自身に選ばせるなど、手探りの日々でした。今、振り返ると、そうした取り組みの積み重ねと、学習による認知力の向上、経験の蓄積によって、許容範囲が広がっていったように思います。小3ごろから自分でパニックをコントロールしようという姿勢が見られるようになり、今では固まったり、涙ぐむことはあっても、パニックを起こすことはなくなりました。
<主な関連過去記事>

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【こだわり】
 乗り物好きの悠平は、乗り物に対して独特のこだわりがあり、ずいぶんと悩まされました。その一つが、自分が乗り物から降りた後に「出発進行!」と言って見送ること。これで一番困ったのは、電車(特に新幹線など)の終点で降りると、その電車が再出発するまでホームから動けなくなることでした。やむなく、終点の1つ前で降りるなど、対策を考えました。また、自分が気に入った車を見つけると、これまた「出発進行!」と言って、見送ります。気に入った車が駐車場に入ったときなど、顔面蒼白です。1時間近く動けず、無理に連れ帰そうとすると大パニック。抱えて、引きずって、私の肩と腰は毎度、ガタガタでした。あれほど苦しんだ出発進行ルールでしたが、満足するまでこだわったからか、いつの間にか「バイバイ」と小さく手を振って通り過ぎることができるようになりました。ちなみに今でも、バスや電車は言うまでもなく、エレベーターやエスカレーターにもバイバイしております。
 もう一つ、強烈なこだわりが生活習慣へのものです。スクールバス乗り場への送迎は母でなければダメ、学校は平日に行くものなので土曜の行事には行けない、放デイに行くのは〇曜日だけ等々。一つずつ、家庭―学校―放デイで情報共有・連携して声がけや約束をして、数年がかりで適応を図ってきました。できなかったことができるようになると、本人の自信につながり、自己肯定感が向上するように思います。
<主な関連過去記事>

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次回は【身辺自立】についてです。

小学校を卒業しました

 yuheipapaです。
 悠平が特別支援学校小学部を無事に卒業しました。
 卒業式にはわたしもyuheimamaと一緒に参列しました。式は中等部と合同で、卒業生一人一人が校長先生から卒業証書を受け取りました。悠平は順番が来ると自分の席からステージの下までしっかりした足取りで歩き、ピシッと気を付けの姿勢を取って待機。ステージに上がって名前を呼ばれると、わたしたちがちょっとびっくりするくらいの大きな声で「はいっ!」と返事をして演台の前まで進み、きちんと礼をして証書を受け取りました。
 卒業式の校長先生の話も印象に残る内容でした。「これから皆さんは、夢中になれるものを見つけてください」「皆さんは挑戦するチャレンジャーです」との言葉に、わたしも心の中でうなずいていました。
 在校生の送る言葉と送る歌、卒業生の別れの言葉の後は、在校生と卒業生が全員で「BELIEVE」の合唱。悠平はあっけらかんとしているのに、親のわたしの方が感極まって何度も涙をぬぐいました。
 思えば、小学校に入学したのは、わたしの転勤に伴い大阪・高槻に住んでいたときでした。わずか1年で東京に転校となり、戸惑うことも少なくなかったはずですが、がんばって乗り越えてくれました。この6年間でパニックはほとんど見られなくなり、悠平なりに気持ちのコントロールの仕方も身に着いたようで、その成長ぶりにはあらためて驚かされます。
 4月からは同じ学校の中学部に進みます。3年後にはおそらく、別の支援学校の高等部に進むことになると思いますが、その時までには将来、どの程度の仕事ができるのか、事実上決まってしまうようです。中学生の3年間の過ごし方は今まで以上に重要なようです。悠平が社会に居場所を見つけられるように、親も一緒に歩んでいこうと思います。

 卒業式の翌日、千葉県内のわたしの両親の墓にお参りし、悠平の卒業を報告しました。その足で房総半島の南房総市・千倉温泉へお祝いの家族旅行に行ってきました。
 館山市にある安房の国一宮の安房神社ではちょうど桜が咲き始めたところでした。

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 房総半島最南端の野島崎では、悠平が好きな灯台にも上り、雄大な景色を楽しみました。

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 灯台のすぐ横にある白浜海洋美術館には、房総の網元が大漁の年に漁師たちに記念に贈ったという「万祝(まいわい)」と呼ぶ晴れ着が何着も展示されていました。派手な柄と色彩が見飽きませんでした。悠平も試着して記念撮影しました。

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「ボーっと〇〇じゃねーよ!」

   妻(yuheimama)です。巷で人気のNHK「チコちゃんに叱られる」。ご覧になっている方も多いかと思います。5歳のチコちゃんが素朴な疑問を大人に問いただし、正しく答えられないと「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と一喝します。

   悠平も毎週、ケタケタ笑いながら観ています。話の内容に反応して笑っているというよりは、一喝するときにCGのチコちゃんの顔が大きくなって怒り顔に変化する部分を気に入っているようです。録画しては3回から5回くらい、リモコン操作で顔を大きくしたり小さくして笑っています。これ、仮面ライダーの変身シーンでも同じことをやっていました。

   笑って楽しんでいる分には良いのですが、母にはちょっと心配なことがありました。外でふざけて「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言ってしまうと、トラブルの素になります。そこで、「お家ではいいけど、外では言いません」と話しておきました。今のところ約束を守り、外では言っていないのですが、ある日…。

   疲れたyuheipapaがうたたねをしていると、悠平が一言、「ボーっと寝てるんじゃねーよ!」。――応用力があることを喜ぶべきなのか、思いやりに欠ける言動を戒めるべきなのか悩ましいところではありましたが、何より先に思わず笑ってしまいました。まぁ、家庭内の微笑ましい出来事として記憶にとどめておきましょう。

   早いもので今週末には小学校の卒業式です。悠平なりのペースで、しかし親の目からは著しく成長した6年間だったと思います。残り少ない小学校生活を満喫できるよう、もうしばらく見守っていきたいと思います。