あっけない告知「自閉症です」

 先週の木曜日(25日)の午前中に、世田谷区総合福祉センター(通称さくらポート)で小児科医の面談がありました。わたしも仕事を半日休んで、悠平と妻と3人で行ってきました。
 面談は30分ほどでした。応対したのは30代後半ぐらいの男性の医師。カーペット敷きの部屋で、まず悠平をテーブルにつかせて、医師が絵を見せながらいくつか質問しますが、いつものように悠平は反応を見せずにマイペース。ほどなく、センターの職員でしょうか、若い男性が悠平の遊び相手になってくれている間に、わたし達夫婦と医師の面談に移りました。
 医師から「どのような点を知りたいですか」と尋ねられ、あらかじめ妻と相談していた通り、一通りの質問を伝えました。
 まず、現在は広汎性発達障害との診断を受けているが、その中で自閉症なのか、アスペルガー症候群なのかなど、今後、診断は深まるのかどうか。次に、今いちばん困っているのが外出時のパニックで、これは将来、収まるのかどうか。最後に、さくらポートでの療育のほかに、かかりつけの主治医を持って、継続的に医療措置も受けた方がいいのか、です。
 医師は質問をメモした後、それには直接答えずに、ふだんの悠平の行動について尋ねました。「手の平をひらひらするように動かしたり、独特の動作をすることがありますか」「何か一生懸命に集めるものがありますか」などなど。手の平をひらひら、は今も時々示す動作です。収集癖と言えば、外出時にコンビニに行くと必ず雑誌・書籍コーナーに行き、気に入った絵本があると自分で走ってレジに持っていってしまいます。「きょうはダメ」と取り上げるとそこでパニック。大泣きです。これも収集癖と言えば言えるのでしょうか。
 質問に答え終わると、医師は手元のメモを確認しながら告げました。「先ほどのご質問で言えば、まず診断が深まるのかどうかという点は、自閉症ですね。先ほど聞いたのは自閉症のチェック項目ですが、すべて該当しています」。正直に言うと、ショックでした。最近の悠平を見ながらおそらく自閉症だろうなあとは思っていましたが、あまりにもあっけない告知でした。
 「自閉症には高機能自閉症と呼ぶものもあるとか」と尋ねると、医師は「自閉症の中で知的発達の遅れを伴わないものをそう呼びます。お子さんの場合は違いますね」。「知能テストなどは今後、行うのでしょうか」「既に実施していますよ」と、医師は手元の資料をめくります。「3歳5カ月時点でIQ、正確にはDQですが45と出ています。高機能自閉症はこれが70以上の場合です」。これもショックでした。悠平は6月生まれなので3歳5カ月と言えば昨年の暮れに東邦大大橋病院に入院して検査を受けた際のことでしょうか。そのときには、知能検査の説明はありませんでした。
 医師の話は続きます。「IQは年齢相応の発達がみられる場合が100です。3歳5カ月で45ということは、知能は1歳7カ月レベルです」「通常は成長してもIQはそのままです。絶対的な知能は上がりますが、自閉症に限らず脳の発達は18歳で止まります」。18歳でIQ45なら8〜9歳レベル、それ以上の発達は見込めない、ということなのでしょうか。主治医を決めて継続的に通う必要は、との質問にも「医療措置は必要ないと思います。療育を通じて、日常生活をどうしていくかを考えたほうがいいでしょう」との答えでした。
 パニックについては、強いこだわりと自己コントロールの弱さの2つが要因との説明。「成長すれば収まってきます。ただし、これからピークが来ると思っていてください」。確かに一般的には「イヤイヤの2歳児」と言われるように、2歳のころがいちばん聞きわけがなく手を焼きます。悠平の発達のスピードでは、その時期がこれからやってくる、ということなのでしょう。思わずため息が出ました。
 帰宅後、妻といろいろ話しました。「やっぱり、ちょっとショックだね」とわたし。「悠平がようやくかたことをしゃべり始めたのも、まだオムツがとれないのも1歳7カ月ならよく分かるわ」と妻。しかし、その後の妻の言葉に切なさがこみ上げてきました。「悠平を一生けんめい育てようと思って、1年間はテレビも見せずに毎日くたくたになりながら絵本を読んでいたのに。なのにまだ1歳7カ月なんて」。悠平の赤ん坊のころ、わたしはと言えば仕事にかまけて育児参加もサボり気味でした。妻には本当に申し訳ないと思いました。
 当日はわたしも妻も滅入った気分でした。でも悠平はマイペースで、けらけらと笑い元気いっぱいです。休みだったきょうも、買い物に出かけたときにはいつものように道順にこだわって少しパニックも起こしましたが、家ではお気に入りの絵本を一人で開いて、たどたどしくながらも「ねこは、さかーなが、すきでした。さかーなも、ねこがすきでした」(「ねこざかな」という絵本です)とにこにこしながら、すっかり暗記した内容を声に出したり、テレビでダンスシーンが出てきて「ほら、悠くん、ダンスダンス」と声をかければ、やっぱりにこにこしてステップを踏んだり。そんな悠平を見ていると、できることは全部やるのが親の務めだろうと思わずにいられません。
 思えば、昨年秋の3歳児健診に始まって、東邦大病院で検査、さくらポートへ紹介を受けての検査と、ここまでのことは行政が用意している手続きでした。あえて言えば、ベルトコンベヤーで運ばれているような画一的な流れです。それも行政としては無理もないことなのでしょう。自閉症にも個人差はありますし、悠平の個性にあった育て方はわたしたちが考え、見つけるしかありません。悠平は4月春からさくらポートの療育プログラムに通うことになります。同じ自閉症の子を持った方々に出会うこともできるでしょうし、そうした方々の経験の蓄積に学べることも期待したいと思います。そうやって、わたしたち夫婦ができることを探していきたいと考えています。

※金曜日(26日)のこと、妻が目を離したすきに悠平がカメラを手にとってバシャバシャとシャッターを押していました。いつもわたしが撮るときにレンズが自分の方を向いているため、悠平はやっぱり自分でもレンズを自分に向けたようです。後から妻の話を聞いて笑ってしまいました。撮りも撮ったり全部で70数枚。記念すべき悠平の初作品を少しだけ紹介します。 



【追記】2010年2月28日午前9時50分
▽妻と話していて、医師との面談ではもう少しやり取りがあったことを思い出しました。わたしたちからの質問で、悠平は今、かたことの単語を口にするだけなのですが、この先、どこまで話せるようになるのかを尋ねました。医師の答えは、人によってはかなり話せるようになるし、二語文、三語文で止まってしまう人もいて個人差がある、とのことでした。
▽面談の後、さくらポートから連絡があり、悠平はひとまず3月下旬か4月から週に1回、集団療育のお試しプログラムに行くことになりました。3〜4回通って経過を見ながら、その後のプログラムを決めるようです。「4月から」との記述を「春から」に改めました。