親も自分の生き方を考える〜人事異動を機に思うこと

 先日、わたしの勤務先の人事異動の内示があり、今月中旬に2年ぶりに部署を変わることになりました。生活のリズムがいい方へ変わりそうです。
 勤務先はマスメディア企業で、現在の部署はニュースの取材・出稿部門です。もともと伝統的な長時間労働職場で、帰宅は連日午前1〜2時。土曜日と日曜日は休めるのですが、何か大きなニュースがあると出勤です。悠平が昨年12月、広汎性発達障害と診断されて以降、療育のためになるべく自宅で過ごす時間を増やしたいと考えていましたが、現在の部署ではそれもままならず、上司に転出の希望を出していました。新しい部署は本社内で、現在よりも自宅で過ごす時間はかなり増やせると思います。年次や経験を考慮すれば東京を離れての転勤もあり得るかな、とも考えていました。発達障害の子どもは環境の変化に適応するのが困難です。単身赴任や転居をしないで済むのは、上司が家庭事情を考慮してくれたからだろうと感謝しています。
 わが子に障害があると分かったとき、親としては多かれ少なかれ、それからの生き方を考えざるを得ません。わたしの場合は40代の終わりで、仕事の上での自分の力量や企業内での今後のポジションなどもある程度、自分で見切ることができるだけの人生経験を持っていました。分不相応の野心はなく、与えられたポジションで相応の職責を果たしていきたいと考えています。願うのは、悠平の子育てとの両立です。
 しかし、まだまだ若くて野心も持ち、これからの働きぶりいかんではより大きな舞台で腕を振るうことができる、というような境遇だったら今のような心境になれただろうか、と考えることもあります。あるいは今、僻地への転勤かリストラで仕事を失うか、のような究極の二者択一を迫られたらどうするだろうか、とも考えます。
 以前のエントリーで紹介した戸部けいこさんの漫画「光とともに…」では、係長だった光くんのお父さんは会社で陰険な上司ににらまれ、中東への赴任を迫られた挙げ句、リストラ対象要員として左遷されてしまいます。しかしお父さんは投げやりになることなく、左遷先で有り余る時間を使って新規事業の企画書を次々に書き上げ、やがてそれが本社の中枢部門の目に止まり、本社に課長として復帰を果たします(第6巻〜第7巻)。中東行きを承諾していれば単身赴任せざるをえず、そうなれば自閉症児の光くんの子育ては厳しいことになっていたでしょう。結果としては、お父さんは踏ん張って、仕事も子育ても両立できる生き方を守ることができたわけです。
 今のわたしが、光くんのお父さんのような立場に置かれたときにそれだけのパワーを発揮できるかどうか、心もとありません。平穏無事に働き続けることができたとしても、企業勤めである以上、いずれは定年で退職することになります。発達障害のわが子と歩む道は、実は親も自分自身の生き方を考えながら歩いていく道なのだと、最近思うようになりました。

光とともに… (1)

光とともに… (1)

※わが家はマンションですが、小さな専用庭があります。その庭に先日、天使がやってきました。悠平は大喜びで、毎日のように庭に出ては「てんし、てんし」と言って触っています。