大阪に転居します

 先日、勤務先で人事異動の内示があり、3月1日付けで大阪への転勤が決まりました。妻と悠平も一緒に、家族3人で大阪に行くことにしました。
 わたしの勤務先はメディア企業で、全国に取材拠点を置いています。この企業に身を置く限り、転勤はついて回ります。22歳で入社して以来、既に5回。2001年4月に横浜から東京の本社に戻ったのが最後です。このときから相当な時間が経っていること、同期入社組や前後の先輩、後輩たちもここ数年、支社局の管理職への異動対象になっていることなどから、いずれ私にも話は来るだろうと思っていましたし、妻とは折に触れ「いずれ転勤になっても家族でそろって行こう」と話していました。
 大阪行きの話は昨年12月に打診がありました。悠平が広汎性発達障害と診断されていること、妻がうつ病の治療中であることを前職場で上司に告げていたからでしょうか。現職場の上司からは「大阪へ異動の話があるがどうだろうか」と、文字通りの「打診」で強制のニュアンスは感じませんでした。断ろうと思えば、断れたのかもしれません。しかし、今の企業に身を置き続ける以上は、転勤を含めて企業人としては過度のハンディキャップを求めることなく働いていきたいと思っていますし、過度に企業と個人がもたれ合うことにならないためにもそうしたいと考えています。妻もその点は理解してくれており、帰宅して相談し、ほどなく3人で大阪に行こう、との結論になりました。勤務先の人事部門が、妻や悠平の事情に配慮の姿勢を示してくれたことには感謝しています。
 大阪に行くと決まって以降は、身辺が慌ただしくなっています。どこに住むかを決めるにも、まずは悠平が最優先。悠平は4月から世田谷区の区立幼稚園へ通うことが決まっていたのですが、当然キャンセル。大阪の幼稚園探しを一から始め、妻が探し出した大阪府北部・高槻市の私立幼稚園に内諾をいただくことができました。高槻市を候補にしたのは、障害児の受け入れ実績があるこの幼稚園があったのと、生活習慣のトレーニングである療育プログラムを実施している施設が市内にあることの2点からです。現在、悠平が療育に通っている世田谷区の総合福祉センター(さくらポート)の保育士さんからは、幼稚園で集団生活を送りつつ、月に1回でも2回でも、療育を組み合わせるのがいいでしょうとのアドバイスもいただきました。実際、さくらポートでの療育は非常に効果があり、この1年で悠平は彼なりに随分と成長(発達)したと感じます。
 幼稚園探しはほとんど妻がやりましたが、発達障害児の幼稚園への受け入れにしても、療育プログラムのありようにしても、東京と大阪で、あるいは大阪府の中でも自治体によって違いがあると感じました。行政にとって発達障害児をどう扱うかは比較的新しい課題であり、自治体にとってのスタンダードはないのかもしれません。
 さて、当分忙しい日が続きそうです。大阪は出張では何度も行ったことがありますが、住むのは初めて。妻も同様です。慣れないことも多いでしょうし、一般に発達障害児は身辺の変化に弱いとされることにも不安がないと言えばウソになります。しかし、妻とは「家族3人が一緒なら乗り越えられないものはないね」と話しています。悠平が関西弁を話すようになるのかも楽しみ。今後も折に触れ、3人の生活をつづっていきたいと思います。引き続き、ご訪問いただければうれしいです。

 先日、高槻市の幼稚園を見学しに行った折、阪急電車に乗りました。図鑑やDVDしか見たことがなかったあずき色の車体に、電車大好きの悠平は見入っていました。大阪圏も首都圏と同じくJRやいろいろな私鉄の電車が走っています。悠平にとっては楽しい土地になるかもしれません。
【追記】2011年1月29日
 とてもうれしいコメント(ご要望通り非公開にいたします)をいただきました。その中で「北摂杉の子会」を教えていただきました。
 北摂杉の子会 http://www.suginokokai.com/
 ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。