感激!の入園式

 きのう4月9日は悠平の幼稚園入園式でした。ピカピカの制服を着て、式の間はわたしや妻とは離れた場所に新入園児だけで座りましたが、パニックはおろか立ち上がったり歩き回ったりすることもなく、30分ほどの、幼児にとっては決して短くはない時間を、トラブルを起こすことなく終えました。妻とは「暴れ出したり、泣きわめいたりしても、親はにこやかに笑顔でいよう」と話し合っていましたが、心配は杞憂に終わり、わたしも妻も感激でした。東京のさくらポート(世田谷区総合福祉センター)で受けた療育プログラムの成果でしょうか。あさがおグループの先生方にご覧になっていただきたくなる光景でした。
 思い起こせば、わたしの大阪転勤が内定して以降、真っ先に取り掛かったのが悠平の幼稚園探しでした。妻がネットで口コミサイトなどを調べ、メールを送ったり電話を入れて、発達障害児でも2年保育で受け入れ可能と言っていただいた幼稚園を2つ、高槻市吹田市で探し出しました。両方を見学した上で幼稚園を高槻に決め、したがって住まいも高槻に決まりました。
 悠平が通う幼稚園は、3年保育で各年5〜6クラスと大きな園です。最初に妻がメールで問い合わせた際に、すぐに園長先生から電話をいただきました。非常に丁寧な対応でとても好感がもてました。見学に行き、園長先生からお聞きした話の中で、次のことがとても強く印象に残っています。「発達障害そのものへの対応プログラムは用意できません。が、のびのび育てるのが方針です。教室で退屈したら、外に出て行っていい。無理に教室に縛り付ける指導はしません。園児が多いので、常に園庭でどこかのクラスの園児が遊んでいる。教室を出てそうした園児のところに行って、遊びに混ぜてもらってもいいし、混ぜてもらえないかもしれない。そうやって子ども同士の社会の中で、交わりを学ぶことになる。うちの園が提供できるのは、その環境かもしれない」。
 もともと、東京のさくらポートでも、発達障害に対応した療育は幼稚園とは別に考えた方がいい、幼稚園に通う一方で療育プログラムに定期的に通うのがいいと、アドバイスを受けていました。悠平がこの先どこまで知的に発達するかによりますが、小学校は特別支援学級か、場合によっては特別支援学校に進むこともあるかもしれません。それはそれとして、幼稚園ではふつうのお子さんと一緒に過ごさせ、できるなら「集団の中での自分」を悠平に意識させたいと考えています。園長先生のお話は、わたしと妻の考えにも合致しているように思え、悠平をお願いすることに決めました。
 さっそく明日からは毎日、幼稚園バスに乗っての通園が始まります。入園式は無事に乗り切ったとはいえ、これからが本番。とりわけ、悠平は同じ年のお子さんと比べて並はずれて体が大きいので、ほかのお子さんにケガをさせるようなことがなければいいがと、心配が尽きません。おそらく、いろいろなことが起きるのでしょうが、家族で力を合わせて、一つひとつ乗り越えて行こうと思います。

 3月11日の東日本大震災からちょうど1カ月です。どれだけの方が亡くなられたのか、いまだに被害の全容がはっきりしないことに暗たんたる思いがします。犠牲者の方それぞれに家族がおり、生活があったのだと、あらためて一人ひとりの「生」に思いをはせつつ、ご冥福をお祈りします。
 子を亡くした親、親を亡くした子。それぞれの心情を想像するとき、とりわけ胸が押しつぶされるように苦しくなります。わが子を抱き締める、ただそれだけの平凡に見える日常が、実はどれだけ幸せなことなのかをこの1カ月で知りました。どんな子でも、何があっても、しっかり育てていこうと決意を新たにしています。