無事に飛行機に乗れました

 9月のお彼岸の3連休に、妻の父母の墓参に親子3人で岩手に行ってきました。大阪・伊丹空港から花巻空港まで飛行機を利用。あまりに非日常の移動手段なので、パニックを起こすことも想定して周到に準備しました。終わってみれば悠平はパニックを起こすこともなく、彼なりに空の旅を楽しんだようで、まずはひと安心。この調子ならいずれ北海道や沖縄にも、と親の勝手な希望が膨らみます。

 以前のエントリーでも紹介しましたが、自閉症と飛行機で思い出すのは、映画「レインマン」のひとコマです。ダスティン・ホフマンが演じる自閉症の兄を、弟のトム・クルーズが西海岸に連れて行くのに飛行機を使おうとしたところ、空港でダスティン・ホフマンが大パニックを起こすシーンがあります。トム・クルーズは飛行機を断念し、兄とともに車でアメリカを横断する、というのが映画のストーリーです。
 ※参考過去エントリー「絵日記・悠平の夏休み」=2011年8月28日
 http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20110828/1314518898

 悠平は1歳前後のとき、北海道と沖縄に家族で旅行した際に2回、飛行機には乗っているのですが、それから随分時間も経っており、すんなり乗ってくれるかどうか心配でした。墓参に行くお寺は岩手県奥州市です。妻とは、新幹線を東京で乗り継ぐことも話しましたが、あまりに時間がかかり、また私たちも悠平も疲労が大きいだろうということで、飛行機利用を決行することにしました。仮に悠平がパニックを起こしたとしても、抑え込んで抱きかかえ、飛行機に乗せてしまおうということで。もちろん、悠平が進んで乗ってくれればベストです。そのために、8月のうちから準備を始めました。
 まずは以前のエントリーで紹介したように、悠平を大阪空港に連れて行き、飛行機を見せながら「悠くんも飛行機に乗って岩手に行くんだよ」と“洗脳”を開始。このときに買ってきた飛行機のおもちゃは全日空モデルの青い塗装でしたが、実際に乗るのは日本航空の便なので念には念を入れ、日航モデルの赤い塗装のおもちゃも後日、2回にわたって買い足しながら連日「飛行機で岩手に行こう」と吹き込み続けました。
 自閉症児を持つほかの親御さんが、どうやって飛行機での移動をしのいでいるのかをネットで調べていて、日本航空にはプライオリティ・ゲストサポートというサービスがあるのを知りました。体の不自由な利用客や、病気やけがをしている利用客へのサポートです。
 ※日本航空サイト http://www.jal.co.jp/jalpri/
 出発の1週間前、電話してみました。心配だったのは、仮に搭乗口で悠平がパニックを起こして大暴れとなった場合、親が抱え上げるとしても保安上の理由などから搭乗を拒否されることはないのかの点でした。電話の応対の方はとても丁寧で、保護者が付き添っているなら搭乗拒否はまずないでしょうとのことでした。ほかには、座席の予約と優先搭乗をお願いしました。悠平がパニックを起こした場合、抱え上げて機内に連れ込むのはほかのお客さんに迷惑がかかります。座席も最後部にしてもらいました。
 そうやって迎えた出発当日。「飛行機で岩手に行こう」との呼び掛けに、悠平は「ひこうき、のる」と応じるようにはなっていましたが、一抹の不安を残したまま伊丹空港へ。飛行機の出発時刻は朝8時10分でしたが、悠平連れの旅行の常として十分な余裕を見込み、5時過ぎには起床。朝食は空港で取ることにして、悠平には飛行機のおもちゃを手に持たせ、6時過ぎに予約していたタクシーで自宅を出発しました。
 空港に着いても悠平は落ち着いており、無事にカウンターでチェックイン。「これはうまく行きそうだね」と妻と話しながらエスカレーターで2階の出発ロビーに上がったところで、予想外の事態が起きました。悠平が目ざとく売店のおもちゃ売り場を見つけまっしぐら! 「しまった」と思った時にはもう手遅れで、悠平は並んだ飛行機のおもちゃを順に見て回りながら、やがて飛行機と空港の車両がセットになった箱の前で立ち止まり、指差して「これ!、これ!」と要求。「これから飛行機に乗るんだよ」「きょうは、おもちゃはナシ」と言いながら、悠平を抱え上げていったんは店を出ましたが、悠平は床に寝転がったまま泣きわめいてパニックに。妻と相談し、無事に飛行機に乗ることを最優先にすることにして、悠平の要求を受け入れました。お目当てのおもちゃを手にして、悠平はたちまち上機嫌に。悠平がほしがりそうなおもちゃを置いてある売店を避けるコースをあらかじめ調べておくべきでした。また、ほしがっても、いつもそれが手に入るとは限らないことをどうやって教えていくか、今後の療育の課題です。

 おもちゃを買って以降は、すべて順調でした。搭乗時刻になって、お願いしていた優先搭乗で最初に機内へ。客室乗務員が搭乗ゲートまで迎えに来てくれました。「悠くん、こんにちは、のごあいさつは?」と促すと、悠平は元気な声で「こんにちは!」。客室乗務員の方に悠平の障害の特徴を手短に説明しながら機内に向かいましたが、悠平も落ち着いた様子。機内にすんなりと足を踏み入れ、促されるままにすたすたと最後尾へ。おとなしく座席に座ってシートベルトを締めました。最初は妻が隣りに座ったのですが、妻は機内の与圧が体調にこたえるため、途中でわたしが交代。花巻まで約1時間半の飛行でしたが、悠平は客室乗務員に借りた飛行機の絵本を眺めたり、窓の外に見える翼端の日本航空のマークを指差して「あかいひこうき!」と言ったりと、終始、上機嫌。着陸までほとんど揺れることもなく、無事に花巻に到着。悠平は「ばいば〜い」と手を振りながら、飛行機から降りました。帰りのフライトもまったく問題はありませんでした。往復とも、客室乗務員の方には何かと目を配っていただきました。ありがとうございました。

 行きのフライトでは、窓から琵琶湖がきれいに望めました。悠平もじっと見入っていました。

 岩手の滞在は3日間。東日本大震災津波被害を受けた沿岸部にも妻の親戚がいるのですが、今回は悠平連れのため足を伸ばすのは見送り、内陸部の奥州市花巻市で過ごしました。それでも随所に東日本大震災の被害の大きさを感じました。駅に掲示してあるJR東日本のポスターには「つなげよう、日本」「がんばろう日本」のフレーズ。街角でも「がんばろう岩手」のフレーズを目にしました。

 ふだんは遠く離れた大阪に身を置いていますが、岩手にゆかりを持つ者としてどんなお手伝いができるか、細くとも長く続けられることをやっていきたいと考えています。

 東京にいたころは、岩手にはもっぱら新幹線で行っていました。悠平は水沢江刺駅奥州市)までしか来たことがなく、実は花巻市は初めてでした。宮沢賢治と並んで有名な花巻の郷土芸能に「鹿(しし)踊り」があります。JR花巻駅のホームにも人形がありました。悠平はいたく気に入ったようでした。いずれ、実物の演舞を見せてやろうと思います。

 宮沢賢治童話村にも行きました。緑の香りに包まれた広々とした施設です。悠平は思いっきり駆け回り、また学習展示のログハウスでは、特に鳥の生態に興味を持った様子で、じっと見入っていました。
宮沢賢治童話村
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/dowamura/