西国巡礼〜父子の旅

 yuheipapaです。「父の日」の今日は、久しぶりにわたしが書きます。
 今までにも何回か紹介してきましたが、休みの日は妻を休息させるため、なるべく悠平と2人で電車に乗り、近郊に出かけるようにしています。悠平は電車大好きですが、実はわたしも子どものころは北部九州で蒸気機関車を追い駆けていました。今で言う「撮り鉄(テツ)」です。悠平とのお出かけの中心は昨年夏から始めた西国三十三所巡礼。合わせて「父子乗り鉄と巡礼の旅」と名付けています。
 きっかけは昨年夏の家族旅行です。和歌山県那智勝浦の一番札所、青岸渡寺を訪ねた際に、ふと思い立って三十三所専用のご朱印帳を買い求めました。九州の製鉄所に勤める研究者だったわたしの父はその昔、出張の機会などを利用して巡礼を続けていました。せっかくの関西暮らしなので、わたしも悠平と一緒に回ってみようと思いました。一筆で番号順にたどる本格的な巡礼ではありません。日帰りで1日1カ所ずつ、順番も気ままです。

 日本の巡礼で有名なのは四国八十八所ですが、西国三十三所は伝承では起源は8世紀にまでさかのぼる最古の霊場巡りとのことです。観音様を本尊にする33寺院に加え、巡礼を創始した徳道上人、再興した花山法皇ゆかりの3か所を番外として合わせてお参りするのが一般的のようです。京都・清水寺のような観光地としてのスーパースターの大寺院もありますが、ひなびた田園の中に静かにたたずむ古刹もあり、それぞれに魅力があります。
 ※サイト「西国三十三所巡礼の旅」 http://www.saikoku33.gr.jp/

 もともと悠平も神社仏閣は大好きです。ベビーカーを降りて歩き始めたころ、散歩に出かけると、神社の近くで必ずわたしの手を強く引っ張って境内に行きました。手を合わせてのお参りの真似事もそこそこに、広い境内をきゃっきゃとはしゃいで走り回るのが好きなようでした。

 西国巡礼は昨夏からせっせと出かけ、これまでに番外2カ所を含めて29カ所を回りました(うち10カ所は妻も一緒に3人で参拝しました)。あと番外1カ所を含めて残るは7寺院というところまで来ています。悠平も参拝の一通りの手順は分かっているようです。お寺に着いたらまず手を洗う(浄める)。鐘を撞けるところでは撞く。線香をあげて、ご本尊を拝む。ご朱印をいただく。以上の手順はわたしと一緒に、比較的おとなしくこなします。「比較的」と書いたのは、時には境内を一人ではしゃいで走り回ることもあるからです。最近では、ほかの参拝の方たちの迷惑にならないか、境内の静寂を破るようなことはないかをみながら、場合によっては好きに走り回らせるようにしています。観音さまは、それぐらいの度量はお持ちだろうと勝手に考えて(笑)。

 悠平は、仏様を拝むという行為の意味は分かっていないかもしれません。どう教えたらいいか、いろいろ考えたのですが、何カ所か回ったころ「手を合わせたら、観音さまに『ぼくの頭を楽にしてください』とお願いするんだよ」と教えました。以来、手を合わせると「ぼくのあたまをらくにしてくださーい」と、必ず語尾を伸ばしてお願いしています。山の中にある寺では、向かう道のあちこちに石に刻んだ小さなお地蔵さまなどがあります。田園地帯にも、札所に向かう道の傍らに、やはり小さなお地蔵さまが立っていたりします。そうした場所でも「ほら、悠くん、お地蔵さまだ。拝んでいこう」と声をかけると、手を合わせて「ぼくのあたまをらくにしてくださーい」と声に出しています。

 ご朱印には興味があるようで、納経所でわたしが差し出したご朱印帳に、お寺の方が印を押し、墨書するさまをじっと見ています。時には、お寺の方が「いい子やねえ」とか「賢い子やねえ」と声を掛けてくださります。お菓子をいただいたこともあるのですが、自分からお礼を言うことはできず、わたしに「悠くん、ありがとうございます、は?」と促されて「ありがとうございまーす」と声に出しています。

 33の寺院は、険しい石段や坂道を登る山上もあれば、田園の平地、さらには京都の街中、住宅街の真ん中もあるのですが、行きやすいところから順に回っているうちに、残りは山の上ばかりになってきました。ちょうど、悠平が幼稚園への登園を拒否し始め、明らかに運動不足になってきたのが見て取れたころでもあったので、今では、なるべくたくさん歩かせる方針にしています。山道に備えて、トレッキングシューズも父子で新調しました。実はわたしの運動不足解消も目的の一つです。

 石段や山道の場合、一般的な所要時間の倍を見込みます。悠平は音を上げたりすることはなく、好きなアニメのフレーズなどを繰り返し口にしながら登ります。はた目には子どもながらにタフに映るのですが、実は疲労を感じ取って言語で表現することができないのだろうと思います。突然の電池切れで動けなくなったりすることがないように、こまめに休憩を取って水分を補給したりしています。

 最後の33番札所に詣で、巡礼を終えることを「結願(けちがん)」と呼ぶのだそうです。父子の巡礼も残り7カ所と、終わりが見えてくるようになりました。結願で本当に悠平の頭に変化が起こるとは思っていません。ただ、わたしの心の中には何か残るのかなという気がしています。一つのことを悠平と一緒にやり遂げた満足感のようなものでしょうか。その時が来たら、このブログでも報告しようと思います。