家庭療育1周年!

 妻(yuheimama)です。7月も下旬となり、多くの子どもたちは夏休みを迎えたことと思います。悠平が通っていた幼稚園でも、昨年はもう夏休みでした。現在通っている療育園では8月に入ると短縮療育になるものの、お盆前後に1週間の夏休みがあるだけで、7月中は通常通りの療育を行っています。昨年の今頃は「長い夏休みをどうやって過ごそうか」と戦々恐々とし、せめて生活のリズムを崩さないようにと家庭療育をスタートさせました。

 あれから1年。さまざまな出来事に右往左往しながらも、悠平は療育園で日に日に活発になっていき、梅花にも通うことができています。家庭療育はというと、やったり休んだりの繰り返しですが、この1年で実感したのは「根気よく続けることの大切さ」「スモールステップは私が思っていたよりもずっとスモールだった」「単にスキルアップだけを考えるのではなく、生活に生かすことを考えることが大切」ということでした。

 3つ目の「生活に生かすことを考える」という点は、手先の微細運動として始めたトングやピンセットで物を挟む練習が、補助具付きの箸の使用につながった時にはじめて意識したことです(「療育から実生活へ―箸の練習を始めました」を参照ください)。悠平と私のこの体験はほんのささやかな例ですが、最近読み始めた宮田広善『子育てを支える療育 <医療モデル>から<生活モデル>への転換を』(2001年/ぶどう社)は、もっと大きな視野で療育をとらえ、共感する点が多々あったので、少し紹介したいと思います。

子育てを支える療育―“医療モデル”から“生活モデル”への転換を

子育てを支える療育―“医療モデル”から“生活モデル”への転換を

 同書は、医師である著者が「まえがき」で述べているように、療育の専門家のための解説書でも、障害児の親に向けて書かれた手引書でもなく、自身が療育に携わってきた経緯やその時々の姿勢を振り返り、今後の療育のあり方を模索している本です。そこには著者の考えとして「『療育』とは『障害のある子どもとその家族を援助しようとする努力のすべて』」(p.43)とあります。この考えは、親も専門家も「早期発見・早期療育で訓練すれば障害が治る、改善する」と盲信して、子どもにとっては受動的な訓練を優先し、しつけを後回しにした結果、自分の意思を伝えられず、最低限の社会性も身につかないまま成人した障害者を目にした経験に基づいています。その上で、「今、療育は、『障害を治療する(改善する)』という『医療モデルの療育』から、『(障害があっても、援助を受けていても)地域で生活していける技術』を育てていく『生活モデルの療育』へと変わることを求められています」(pp.44-45)と述べています。この本は約10年前に出版されたもので、現在は著者が当時目指した方向に向いてきているとは思いますが、障害児の親として療育の意義をあらためて考えるうえで有用でした。

 私自身、療育について当初は、障害を改善するためのトレーニングだと狭義にとらえていましたが、補助箸をきっかけに漠然とながら「生活の質の向上」を意識し始めました。悠平が通う療育園の園長先生も「ここではTEACCHや何かといった特別な療育をやっているわけではなく、まずは『生活』です」とおっしゃっていました。今は、突き詰めて言えば「生活そのものが療育」であり、日々の積み重ねが悠平の「生活する力」を育てるのではないかと考えています。もちろんトレーニングが無意味だと考えているわけではなく、それも生活の一部だと思っています。「木(=スキル)を見て森(=悠平の生活、自立)を見ず」ではなく、森をイメージしながら一本、一本の木を育てていけたら…と思う1周年記念です。