父子で初もうでと鉄道史跡めぐり

 yuheipapaです。
 今年最初の「父子乗り鉄と巡礼」は大阪府貝塚市水間寺に行って来ました。初もうでを兼ねていたのですが、今回はどちらかと言えば鉄道史跡めぐりが中心。初めて乗ったローカル私鉄もあって、電車好きの悠平も満足のようでした。
 水間寺は8世紀の天平年間に開かれたと伝えられる古刹で、新西国三十三所観音霊場の第四番としてにぎわっています。アクセスは南海電鉄本線で貝塚駅で下車し、ここを始発にしている水間鉄道に乗り換え、終点水間観音駅で下車して徒歩10分足らずです。この水間観音駅の駅舎がとてもユニークで、1926(大正15)年1月の開業時のもの。水間寺の三重塔がモチーフになっているそうです。
 ※水間寺公式サイト http://www.mizumadera.or.jp/

 悠平はと言えば、駅舎にはまったく興味がないようでしたが、初めて乗った水間鉄道には興奮状態。実は前日作ったスケジュール表を見ながら「なんかいでんしゃにのってー、かいづかえきでおりてー、みずまてつどうにのるよー!」とうれしそうに何度も口にしていました。

 わたしも初めて乗った水間鉄道でしたが、使用車両は東急電鉄から譲渡を受けたものとのこと。大阪に来るまで、わが家は東京で東急線沿線に住んでいました。水間鉄道の電車は東急そのままのアルミの外観のほか、車内もどこか東急の面影を残しており、思わぬ“再会”に不思議な感じがしました。

 水間寺は大変な人出でごった返していました。少し驚いたのは、露店が参道ではなくて寺の境内にびっしりと立ち並んでいたことです。ほかの神社や寺ではあまり見ない光景でしたが、地域性なのでしょうか。悠平は、景品のおもちゃを並べた射的やスマートボール、くじ引きの露店の前を通るたびにくぎ付け。引きずるように連れ歩きましたが、とうとうスマートボールの露店で動かなくなりました。
 「あれ、あれ」と吊るしてある景品のおもちゃを指さして欲しがり、「あれはゲームの景品だから買えないんだよ」と言ってもききません。根負けして1回だけ、悠平と一緒にゲームをやってみました。わたしも縁日のスマートボールは初めて。持ち球は15個ほどで、盤上に4列×4列で16個あるホールを狙い、縦、横、斜めのいずれでもボールがホール4個に一列に並ぶと当たりですが、そうそう甘くはなく3個並べるのがやっと。残念賞のあめ玉をもらいました。意外なことに悠平は納得した様子の顔つきで、それ以上おもちゃを欲しがりませんでした。


 帰路、南海本線に乗り換えた後は各駅停車で堺市浜寺公園駅へ。この駅舎は何と1907(明治40)年築の木造です。国の登録有形文化財に指定。設計は東京駅を手掛けたことで知られる辰野金吾です。彼は大阪にも事務所を持っていたとのことで、ほかにも大阪・中之島にある日銀大阪支店や大阪市中央公会堂などを残しています。大阪市中央公会堂は赤れんがに白い帯、青銅のドーム屋根が東京駅をほうふつとさせます。

 なんば方面へ一駅隣りの諏訪ノ森駅までは徒歩で15分ほどでした。この駅舎も1919(大正8)年築と古く、浜寺公園駅同様、国の登録有形文化財です。正面からは分かりにくいのですが、入り口の上に5枚のステンドグラスがはめ込まれており、ものの本に拠れば、淡路島の風景を模したものとのことです。

 浜寺公園、諏訪ノ森の両駅とも高架化計画があり、駅舎がどうなるか議論が続いたそうですが、浜寺公園駅については新駅舎の正面に移築することで決着しているようです。
 ※ウイキペディア「浜寺公園駅
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%AF%BA%E5%85%AC%E5%9C%92%E9%A7%85

 南海電鉄は、純民間資本としては現存する日本最古の私鉄で、その歴史は浜寺公園、諏訪ノ森両駅のほか、大阪都心のターミナルなんば駅高島屋大阪店が一体になっているルネッサンス様式の南海ビルディング(1933=昭和8年竣工)からも感じられます。

 諏訪ノ森駅を後に再び南海電車に乗りました。わたしはついでに大阪の初もうでの名所として名高い住吉大社に寄りたかったのですが、悠平は「いや」のひと言で拒否。新今宮でJR大阪環状線に乗り換え、帰宅しました。