郷愁の新幹線0系(悠平は「知ったこっちゃない」と大はしゃぎ)〜大阪府摂津市の新幹線公園

 yuheipapaです。9月の休日、大阪府摂津市にある「新幹線公園」に悠平と行ってきました。ちょっと変わった「父子乗り鉄と巡礼」のレポートです。
 新幹線公園とは、東海道新幹線を最初に走った「0系(ゼロケイ)」車両の先頭車を当時の姿そのままに保存している公園です。丸い団子鼻が特徴。その後、新幹線車両は進化を重ねて、現在では東海道新幹線のN700系、東北新幹線のE5系のように、長い鼻の流線型が主流になりました。もはや0系は歴史的な遺産かもしれません。

【写真説明】摂津市の新幹線公園に保存されている「0系」
摂津市のサイトの「新幹線公園」のページ
http://www.city.settsu.osaka.jp/0000000073.html
 摂津市のサイトの説明によると、この0系先頭車は昭和44(1969)年の製造で、昭和59(1984)年に引退。同時に公園も開設になっており、保存・展示で既に約30年の歴史があります。毎月第2、第4日曜日は車内も無料で開放。運転台にも上がることができます。
 客室のシートは現在のようなリクライニングではなく、背もたれの角度は固定。分煙はその言葉を耳にすることすらなかった時代で、小さな灰皿も座席それぞれに付いています。今となっては信じられない話ですが、昭和40〜50年代と言えば、特急でも車内の座席でタバコが吸い放題でした。

【写真説明】「0系」の客室内
 この0系車両には、わたしは並々ならぬ愛着があります。生まれ育った北九州市に新幹線が走り始めたのは昭和50(1975)年3月10日の岡山〜博多開業からでした。当時、わたしは中学生で、修学旅行では新幹線で小倉から新大阪まで行きました。
 昭和54(1979)年春に大学入学とともに九州を離れて上京。夏休みや正月休みの帰省などで東京との行き来に新幹線を使うたびに乗ったのが0系でした。「のぞみ」が登場するはるか以前のこと、東京〜小倉は最速の「ひかり」で6時間半ぐらいだったでしょうか。東京を出て3時間10分で新大阪駅着。座りっぱなしでそろそろ腰に痛みを感じながら「まだ半分か」と背伸び。それから1時間で岡山に停車。このころから腰の痛みがだんだん増してきて、さらに1時間で広島に着くころには、座席の上でひんぱんに尻の位置を変えながら「あと少し、あと少し」と念仏のように唱えていました。新関門トンネルをくぐって地上に出ると、ほどなく小倉駅に到着。「やっと着いた」と大きくため息をつくのが常でした。現在、東京〜小倉は「のぞみ」で4時間半余り。隔世の感があります。
 今は移動時間も惜しいとばかりに、新幹線の座席でビジネスマンがパソコンを広げる光景が当たり前ですが、スマホはおろか携帯電話すら未来小説の中の話だった時代。車中ではよく本を読みました。たまたま隣り合った人と話が弾むこともあり、それも長旅の楽しみの一つでした。10代の終わりから20代のはじめ、自分がこの先、何になるのか分からず、しかし何でもできる可能性があると思っていた時期。今振り返って、怖いもの知らず、身の程知らずだったなあと思ったり、もっと勉強しておけばよかったと悔んだり。わたしにとっては、ほろ苦くもあり、甘酸っぱくもある遠い記憶とともに思い返されるのが「新幹線0系」です。

【写真説明】デッキには昭和59年当時の「国鉄」の時刻表が掲示されたままです
 さて、懐かしい0系の座席に座って思い出に浸っていたわたしには目もくれず、悠平は悠平できゃっきゃと大はしゃぎ。運転席にも上がってハンドルをがちゃがちゃと動かしてご満悦でした。
 この公園にはもう一両、EF15形という古い電気機関車も保存されています。現代の電気機関車とは随分雰囲気が異なる外見ですが、悠平はこちらも中に入って、楽しんでいました。

【写真説明】EF15形電気機関車
 保存されている「0系」もさることながら、この公園にはもう一つ、大きな楽しみがあります。JR貨物の大阪貨物ターミナル駅をはさんで新幹線の鳥飼車両基地がすぐ隣りにあり、ずらりと並んだ現役の新幹線車両を眺めることができます。
新幹線公園に行くには大阪モノレール摂津駅が最寄り。そこから府道大阪環状線に沿って歩いて15分ほどで安威川を渡ります。堤防を左に入れば公園ですが、直進すると数十メートルで鳥飼車両基地のゲートです。基地内に入ることはできませんが、ゲートの手前からでも迫力は十分。新幹線公園の行き帰りに立ち寄る家族連れもいれば、府道で車を停めて写真を撮る親子連れもいて、ちょっとした名所になっているようです。わたしと悠平もしばらくの間、飽きずに眺めていました。

【写真説明】鳥飼車両基地にずらりと並ぶ新幹線車両
 ここでは府道大阪環状線の上を大阪モノレールが走っており、モノレール車内からは鉛筆箸が並んだような車両基地の光景を見ることができます。写真は2年前の撮影です

【写真説明】モノレールからの鳥飼車両基地の眺め=2011年8月撮影
 新幹線公園まではモノレール摂津駅から道々、何カ所も案内板が設置されていて、迷うことはありません。公園は摂津市が管理しているようですが、鳥飼車両基地と一体で地元の「名所」として盛り上げようと活動されている「新線組」という市民グループもあるそうです。公園までの堤防上の遊歩道には、新線組の方が植えたとおぼしき彼岸花がきれいに咲いていました。

【写真説明】「新線組」の看板

【写真説明】公園までの遊歩道を彩る彼岸花

【写真説明】新幹線公園への案内板(モノレール摂津駅
 この日のメインの目的は新幹線でしたが、悠平との休日のお出かけはあくまでも「父子乗り鉄と巡礼」です。帰りはモノレールに乗って南茨木阪急京都線に乗り換え、総持寺駅で下車。西国三三所霊場の二十二番札所、大阪府茨木市総持寺にお参りしました。

【写真説明】総持寺