大阪を離れ東京に戻ります

yuheipapaです。勤務先の人事異動に伴い、4月1日付で大阪・高槻を離れ、東京に移ることになりました。3年ぶりに妻(yuheimama)と悠平との一家3人で世田谷区のマンションに帰ります。
大阪に来たのは3年前、2011年の2月下旬でした。間もなく東日本大震災があり、その後の日本社会が変わっていく年月を大阪で過ごしました。3年ぶりに戻る東京は、大震災前の、わたしが知っている東京ではないかもしれません。しかし、今までもいろいろな困難を家族3人で乗り越えてきましたし、これからも家族3人が一緒なら、乗り越えられない困難はないと思います。
悠平は東京都立の特別支援学校に転校になります。転勤は会社勤めの身の宿命とは言いながら、ちょっと申し訳ない気持ちでいます。悠平は今通っている特別支援学校が大好きで、毎朝元気に家を出ます。先生方の指導も手厚く熱心で、親のわたしたちが気付かなかった悠平の力を引き出し、伸ばしていただきました。
少し前から悠平には「4月から、お父さんは会社が大阪から東京に変わります。悠くんも学校は大阪から東京に変わります」「東京のスクールバスで学校に行きます」と話しかけています。今のところ、悠平は「4月から、東京の学校に行きます」と話し、転校を受け入れているようにも見えますが、こだわりの強い自閉児のことでもあり、このまますんなり行くかどうかは分かりません。どうやったら悠平が無理なく転校を受け入れられるか、当面の大きな課題であり、妻とともに試行錯誤が続きそうです。

最近、わが家と悠平にとって大きな出来事がもう一つありました。先月、千葉県に住んでいたわたしの母、悠平にとっては祖母が亡くなりました。急なことで、まずわたしが一人で実家に向かいましたが、その後、葬儀に合わせて妻が一人で悠平を大阪から千葉まで連れて行けるか不安もあり、一時は悠平の参列は見送ることも考えました。実は母には、春には大阪勤務が終わりそうだと伝えていました。母は、わたしたちが悠平を連れてゆっくり遊びに来るのを楽しみにしていました。そういうこともあったので、悠平もそろって母を見送ることが供養になると考え直し、前の晩にいったんわたしが大阪に戻り、翌朝の新幹線で妻と悠平との3人で千葉に向かいました。
悠平が肉親の死をどこまで理解できたかは分かりません。でも葬儀では騒ぐこともなく、促されるままに棺の中の祖母の顔を見つめ、出棺の間際には自分の手で花も入れました。わたしが「悠くん、おばあちゃんに『さようなら』だよ。おばあちゃんはいつも悠くんのことを見ていてくれるよ」と言うと、悠平はわたしと同じように手を合わせて「おばあちゃん、さようなら」と言いました。
母を見送りながら考えたのは、将来わたしが逝き、妻もこの世を去った後に一人残る悠平がどう生きていくか、でした。わたしたちの子育て、悠平の教育は、その日に備えるためにあるのだと、あらためて思いました。

ともあれ、「悠平と歩く道」は「なにわ幼児編」が終わり「お江戸少年編」が始まります。引っ越しや転校も含めて、日々のあれやこれやをつづっていきたいと思います。引き続きご訪問いただければうれしい限りです。



先日、京都・嵯峨野〜亀岡を走るトロッコ列車に悠平と一緒に乗ってきました。冬季の営業休止期間が終わり、今シーズンの運行を始めたばかりでした。大阪に来た直後から、悠平には「今度乗ろうね」と言いながら、なかなか機会がなかったのですが、ようやく約束を果たすことができました。鉄道大好きの悠平は大喜び。関西暮らしのいい思い出になりそうです。