夏休み2014まとめ

yuheipapaです。9月になりました。新学期になって悠平がちゃんと学校に行けるか、yuheimamaと心配していましたが元気に登校。まずはひと安心です。
長い夏休みでしたが、悠平は大きな病気やけがもなく元気に過ごしました。一緒に外出した折などに、悠平の話し言葉が増え、言語能力が増しているのに気付いてびっくりすることもありました。悠平と一緒に過ごした思い出をいくつか書き留めておきます。


世界遺産で朝の散歩
7月に家族旅行で日光に行きました。以前に書いた通り、わたしとしては中禅寺の観音参りと男体山を見ることが主な目的でしたが、悠平はといえば、東武鉄道の特急車両スペーシア中禅寺湖の遊覧船など、いろいろな乗り物に乗ることができて楽しそうにしていました。2泊した宿は、東照宮をはじめとする世界遺産の社寺に徒歩で10分足らずの場所でした。最終日の朝、早起きして悠平と2人で朝風呂に入った後、朝食まで時間があったので散歩に出ました。輪王寺から東照宮二荒山神社へと、悠平と2人でてくてく歩きました。歩いている人もまばらで空気がすがすがしく、東京での日常に戻る前の束の間、気分的にもリフレッシュできました。東照宮はまだ門が閉まっていましたが、隣接する二荒山神社に悠平とお参りしました。


鉄道模型博物館
8月の平日、休みが取れたので、悠平と横浜の原鉄道模型博物館に行きました。
原鉄道模型博物館 http://www.hara-mrm.com/
大阪にいた当時の2012年に開館した施設です。わたし自身も子どものころ一時、鉄道模型に手を出していた時期があり、東京に戻ったら早々に行ってみたいと思っていました。売り物は、1番ゲージの室内ジオラマとしては世界最大級という約310平方メートルの「いちばんテツモパークジオラマ」。見ごたえがあり、悠平と一緒に飽きることなく眺めていました。
 
博物館を出ようとして、ちょっと困ったことが起きました。博物館は大きなビルの中にあるのですが、その1階にはミュージアムショップを兼ねて、高級鉄道模型で知られる銀座の宝飾店の支店が入居しています。うかつにもそこに悠平を連れて足を踏み入れてしまいました。ずらりと並んだ模型は、精巧な蒸気機関車などになると1両が20万円などという値段がついています。1両ずつ手作りで大量生産ができないためのようです。わたしにとっては目の保養のようなものでしたが、悠平は何か買ってもらえるのではと期待してしまったようです。「しまった」と思ったときには、悠平はショーウインドウの前に無言でへばりついて、てこでも動こうとしません。こういう時、言葉で言って聞かせようとしても無理なのはこれまでの経験で十分に分かっています。大阪で診てもらっていた小児科の先生からは、過度にパニックを恐れずに親のペースで進めてみてもいいのでは、とのアドバイスももらっていました。そこで「悠くん、きょうは何も買わないからね。さあ、行くよ」とだけ言って、ずんずんと歩き始めました。少し遅れて悠平も走ってついてきましたが、わたしの手をつかんで、無言のまま店に戻ろうとします。わたしも無言で手を払って前にずんずん。再び走って追いかけてきて、わたしの手をつかむ悠平。そんなことを何度か繰り返して、何とか店から引き離すことができました。
しばらくは悠平は不機嫌でしたが、大きなパニックになることもありませんでした。お店やほしい目標が視界からなくなってしまえば、ほどなく何もなかったように忘れて(?)しまいます。おかしな言い方かもしれませんが、後に尾を引かないのは自閉の子の長所になりうるのではないかと思います。
この日の昼食は横浜市内のさるトンカツ屋さんに入りました。10年以上も前、yuheimamaと結婚する前に、わたしは転勤で横浜に2年半ほど在勤していました。そのころ時折足を運んでいたお店です。さっくり揚がった衣に、自家製のソースがとてもおいしく、横浜では知る人ぞ知るというお店。悠平は最近はトンカツも大丈夫で、なんと大人1人前のヒレカツをあれよあれよという間に平らげてしまいました。ただしソースはなし。付け合わせのキャベツもまったく手を付けません。学校の給食は好き嫌いを言わず完食しているらしいのですが、親が一緒だと好きなものを好きなようにしか食べない、というスタイルを貫いています。

この日は昼食後にもう一か所、京浜急行線で弘明寺にお参りしました。坂東三十三観音の第十四番の札所です。境内には閻魔像もありました。「悠くん、うそを付いたら閻魔さまに舌を引っこ抜かれるよ」と言って、2人で手を合わせました。
弘明寺 http://www.gumyoji.jp/


▽岩手で「乗り鉄と巡礼」
8月にyuheimamaの両親、悠平にとっては祖父母の墓参に岩手に行きました。昨年の墓参では、あわせて平泉の中尊寺を回りました。ことしは中尊寺ほど有名ではないのですが、曹洞宗の修行場所として歴史のある奥州市・水沢の正法寺を訪ねました。街中から離れた静かな山中。茅葺屋根の本堂がとても珍しく、ほかでは目にしたことがありません。内部も天井が高く、とても見ごたえのある古刹でした。
正法寺 http://www7.ocn.ne.jp/~shoboji/
 
続いて訪ねたのは盛岡市の郊外の小岩井農場。まきば園には子ども向きの遊び場所や乗り物がたくさんあるのですが、中でもわたしが楽しみにしていたのは鉄道馬車。あいにくの雨でしたが運行しており、楽しむことができました。これも「乗り鉄」です。正法寺の拝観と合わせて、一家3人で「乗り鉄と巡礼」でした。
小岩井農場まきば園 http://www.koiwai.co.jp/makiba/index.html

牛舎の見学では、ちょっとびっくりすることがありました。悠平は間近の牛に向かって「モ〜って、言って〜」と呼びかけたのです。いつの間にこんなに話すことができるようになったのか、驚くとともに、うれしくもありました。


▽ライオンバス
東京には上野動物園のほかに多摩動物公園があります。上野動物園には悠平を連れて2回行ったことがありますが、多摩動物公園はありませんでした。岩手から東京に戻って間もなく、わたしの仕事が休みの日、悠平をどこに連れて行こうかと考えながら、何気なく「悠くん、多摩動物公園に行ってみようか」と声を掛けたところ、悠平は即座に大きな声で「サファリバスに乗る!」と宣言。公立の動物園にサファリなんてあるのかなと思いながらネットで調べてみたら、本当にありました。ただし名称は「ライオンバス」です。悠平は日ごろ、パソコンでユーチューブなどの動画をよく見ています。興味のある分野で次々に関連映像をクリックしているのが、結果としては彼なりの情報収集になっているようです。多摩動物公園のライオンバスも、おそらくはそうやって見知っていたのだろうと思います。
多摩動物公園 http://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/
出掛けた日は平日で、とても空いていてゆっくりと園内を回ることができました。ライオンバスも並ばずに乗車。すぐそばまでライオンが寄ってきますが、長年の動物園暮らしのせいか、いささか迫力不足と感じました。悠平はと言えば、もちろんライオンよりもバスに夢中でした。
 
屋外の運動場に出ていたオランウータンとも対面しました。

この日も少し驚くことがありました。最後に園内の売店でおみやげを買おうとした時のこと。着いた時から「最後におみやげを一つ買おう」と話していたのですが、悠平としてはなかなか一つを選びきれないようでした。今までならこういう時、「悠くん、何にするか決まりましたか」と尋ねると「分からない」と答えていました。「分からない」という受け答え自体、言語能力として相当の進歩だと思っていたのですが、この日の返答は「迷っちゃう」でした。悠平なりのペースで着実に発達を続けていることをあらためて実感しました。


江戸東京たてもの園・博物館
夏休みの最後の1週間、悠平と一緒に東京・小金井市の「江戸東京たてもの園」と両国の「江戸東京博物館」を2日に分けて訪ねました。二つの施設は、たてもの園が博物館の分館という関係です。それぞれで連携してスタジオジブリの映画に関連する企画展を開催中でした。「千と千尋の神隠し」はわたしもyuheimamaも気に入っていて、わが家にはDVDがあります。悠平は関心のないシーンはバンバン飛ばして、気に入ったシーンだけ再生→戻し→再生を繰り返す、独特の作法で見ています。テレビ放映を録画した「となりのトトロ」の見方も同じです。長編のアニメ映画でストーリーを追うのはまだ難しいようです。
江戸東京たてもの園 http://www.tatemonoen.jp/index.html
たてもの園ではジブリの企画展を見た後、メインの展示である屋外の建築物を順に見て回りました。1936年の「二・二六事件」で殺害された高橋是清の自宅が移設されていました。木造2回建ての2階寝室に反乱軍の一隊が押し入り就寝中の高橋を襲ったとされる、その建物です。退屈そうな悠平を何とかなだめながら、じっくりと内部を見て回りました。旧高橋邸を出てほどなく、悠平がうれしそうに駆け出しました。旧都電の電車でした。結局ここでも、悠平が関心を示したのはこの電車やボンネット型の古いバスなどの乗り物でした。
 
数日後、悠平と今度は江戸東京博物館に行きました。わたしの仕事の都合で、悠平と一緒に出掛けることができる夏休み最後の日でした。ここは悠平が生まれる前にわたしとyuheimamaで来たことがありました。常設展示にある江戸時代や明治の街並みのミニチュアが見た目にも面白く、ミニチュア好きの悠平も楽しめるのではないかと思ったのですが、あまり関心はないようでした。しかし広い空間は気に入ったのか、一つ一つの展示に足を止めるわたしを置いて、うれしそうに一人で小走りに走り回っていました。
江戸東京博物館 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
 
博物館を出た後は、隣接する横網町公園にある東京都慰霊堂を訪ねました。ここは1923年の関東大震災の折に、避難していた人たちを火災旋風が遅い多くの人が犠牲になった地です。またこの地を含む下町一帯は1945年3月10日の大空襲で焦土と化し、おびただしい犠牲を生みました。慰霊堂は大震災や空襲で犠牲になった方々のうち、身元不明の方の遺骨を納めた施設です。ちょうど9月1日の関東大震災の日に合わせて行う慰霊祭の準備が進んでいました。悠平には震災も戦争も理解できないだろうとは思いながら「ここでたくさんの人が亡くなったんだよ。戦争がなくなるようにお祈りしようね」と言いながら、祭壇の前で手を合わせました。悠平も黙って手を合わせていました。
※都立横網町公園 http://tokyoireikyoukai.or.jp/

慰霊堂を出るともう夕方でしたが、がんばってバスで移動し、江東区の亀戸天満宮にお参りしました。天満宮や天神社にまつられている菅原道真は学問の神様としてよく知られています。大阪に転勤になって寺社巡りをするようになってから、天満宮や天神社が全国にけっこうあることが分かりました。入試に合格するようにとか、成績が上がるようにということでなくても、悠平が彼なりのペースながらも発達を続けていってほしいと願って、天満宮や天神社には可能な限りお参りするようになりました。この日も最後に同じお願いをして、今年の父子の夏休みは終わりました。