特別なハンバーグ

yuheipapaです。
先日の休日の夕食に、妻(yuheimama)が家族3人分のハンバーグを作りました。偏食の悠平もハンバーグは好物の一つ。満足そうに平らげました。子育て中の家庭では、ハンバーグは定番メニューの一つでしょう。実は妻の手作りハンバーグはこの日が初めてでした。わが家にとって、特別な意味を持ったハンバーグでした。
このブログでも触れてきていますが、妻は「うつ病」で通院が続いています。悠平が2歳の夏に実母が事故死し、父も早くに他界していたために、育児の傍ら岩手の実家の片づけに追われました。悠平も当時は自閉症と分かっておらず、発語が遅れていることが気になりながらも、日常的にはただただ、手のかかる子ども。やがて妻は体調を崩し、翌年の年明け間もなく、心療内科で「うつ病」と診断を受けました。
つらい日々だったと思います。心がふさぎ込む気分的な症状もさることながら、身体的な症状が激しく、不調の時は横になったまま起き上がることもできませんでした。悠平の食事も離乳食のころはなるべく手作りで、とがんばっていたのですが、とても料理ができる状態ではありませんでした。ちょうど悠平は偏食が激しくなっていた時期。日々の食事は、おかずは悠平がこれなら食べるという、食材の宅配業者で注文した冷凍のから揚げやミートボール。これをレンジで温め、それにトマトや果物を添えてという内容が中心にならざるを得ませんでした。
当時、わたしは勤務先で管理職になって間もなくでした。マスメディア企業で伝統的に勤務が長時間に及ぶ職場でしたが、妻が不調の時は出社を遅らせたり、帰宅を早めたりして、悠平の相手をしながら、何とかその日その日をしのいでいました。当時の上司や同僚の理解があって可能だったことで、今も感謝しています。
その年の暮れ、悠平は3歳半で広汎性発達障害の診断を受けました。わたし自身、そのころから自分の生き方への考えが変わり始めたように思います。家庭人としての自分の役割、夫として、父親として、どうやって妻を助け、息子を育てるか、意識し模索するようになりました。休日はわたしが悠平の相手をして「乗り鉄」に出掛けたりし、妻にはその間、できるだけ休養したりリラックスする時間を取らせる役割分担も固まりました。
3年前の大阪への転勤は、家族にとっては大きな出来事でしたが、妻の体調は徐々に回復していきました。東京に戻ってからは、妻がキッチンでいろいろ料理する機会も増えました。それだけ、回復が進んでいます。そして先日、初めての「おかあさんハンバーグ」が食卓に上りました。わたしも以前はよく自分で料理していたので、ハンバーグもそれなりに手間がかかることは知っています。そうした料理ができるまでに妻が健康を取り戻しつつあることが本当にうれしく、一口ひとくちをかみしめながら食べました。

▽60万PVありがとうございます
妻(yuheimama)です。当ブログの総ページビュー(PV)が60万を超えました。たくさんの方々に読んでいただき、本当にうれしく、励みになっています。ありがとうございます。

悠平は現在、特別支援学校小学部2年生の8歳です。最近では、簡単な会話のやりとりが増えてきて、時々、オッと思わせるような表現をするようになってきました。目に見えて成長している部分、まだまだ苦手で頑なな部分があり、毎日が試行錯誤です。山あり谷ありの日々の中でも笑顔を忘れず、家族3人の歩みを、これからも綴っていきたいと思います。

今年は秋の訪れが早く、早くも「読書の秋」を勝手に実行しているyuheimama。最近は、趣味の読書時間を持てるようになってきましたが、やはり発達障害自閉症に関する本は気になります。秋には「読書週間」があることですし、近々、久しぶりにブックレビューもしてみたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

【おまけ】
7月にyuheimamaの手記が掲載された本が発売されました。読書の秋に読んでいただければ幸いです(宣伝!?)。

わが子は発達障害 (シリーズ・わたしの体験記)

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