どうにも止まらない

妻(yuheimama)です。初診時、「一生しゃべれないかもしれない」と言われた悠平が、今ではちょっと文法がおかしいものの、ずいぶんとしゃべれるようになりました。絵本の読み聞かせやST(言語)療育、さらにはYou Tubeで興味のある動画を視聴しては口まねをすることも言語発達につながっているのではないかと思います。当初、医師からは、絵本のせりふを覚えて話すことと言語の発達には関係がないと言われ衝撃を受けたものですが、その後、絵本の文章を現実の場面に合わせて使えるようになったことから、経験的には暗唱や口まねも発達に寄与していると信じています(「「絵本の力」を確信――『クシュラの奇跡』を読んで」を参照ください)。

それはさておき、しゃべれるようになったらなったで、時々困ったことや恥ずかしいことも起こります。自閉症児者はよく「空気が読めない」と言われますが、悠平もTPOやケース・バイ・ケースの判断ができずに、思ったことを相手構わず話してしまうのです。例えば、見ず知らずの人に「○○(乗り物)に乗ってきました」「△△に行ってきました」と唐突に話しかけたりします。STに相談すると「それは悠ちゃんのキャラだからすぐには治らないわよ」と言われ、次善の策としては、話しかける前に「こんにちは」と挨拶を入れると、相手のサプライズ度が少し和らぐのではないかとアドバイスされました。確かにこちらが子供で相手が大人の時はそれである程度の間合いが取れるのですが、相手が同世代の女の子だったりすると、先々が不安です。そこで悠平には、「びっくりさせちゃうから、知らない人には話しかけないように」と話していてます。

さらに最近、閉口しているのが、標題のような「どうにも止まらない」おしゃべりです。おしゃべりといっても、悠平が一方的にしゃべるわけでなく、私とのやりとりを求めてきます。具体的には、絵本で気に入ったお話があると、その絵本に出てくる登場人物たちのやりとりを、悠平と私とで再現しようとするのです。再現が、絵本の中の登場人物に限られて入れば、一通りやりとりをするだけで済むのですが、悠平の場合は、ほかの絵本の登場人物やアニメのキャラクターまで登場させてロールプレーするので、際限なく続きます。長いときには夕方から夜寝るまで3時間。こちらが家事をしていようが、連絡帳に記入していようが、新聞を読んで世界情勢に思いを馳せていようが(?)、お構いなしです。

はじめのうちは、こうしたやりとりが悠平の想像力を刺激し、言語力の向上につながればと思って付き合っていたのですが、これが毎晩、何ヶ月も続くと苦痛以外の何物でもありません。数時間にわたって作業や思考が細切れにされ、イライラが募り、しまいには頭に霧がかかったようにボーッとしてきます。そこで何度か、「今、お母さんは連絡帳を書いているのでお話しできません」「今、お母さんはお仕事をしているのでお話しできません」と短時間の中断を設けました。悠平はこう言われると、ものすごく傷ついたような、つまらなそうな表情を見せるので、こちらも切なくなります。そこで、主治医に相談すると、否定的な言い方をしないで、お話タイムを設け、それ以外の時間は話をしないようにルール化することを勧められました。

その後、何度かお話タイムを設けようとはしたのですが、これから苦行が始まると考えただけで、頭の中に霧が噴射されて朦朧とし、どうにもやる気が起きません。結局、今でも適当に悠平に付き合いながら、早くこのやりとりブームが去ってくれるのを祈っています。

こうした一連の流れの中で思い出したことがあります。これまでも悠平は、同じ遊びの長期にわたる繰り返しを続けてきました。乳幼児期の常同行動に始まり、2歳のころは連日1時間、ひたすらペットボトル転がしをやらされました。そういうときの遊び相手は決まって母親で、私にとってはひたすら忍耐、頭に濃霧注意報が出るような状況でした。一方でこのことから想像できるのは、立場を逆転させて考えると、自閉症仕様にできていない社会環境や時間の流れの中で、それに合わせて生活しようとすれば、自閉症児者が日常的に大変なストレスにさらされるということです。そう考えると、悠平が母親と変化の少ない遊びを繰り返す時間は、安心してリラックスした時間であるともいえそうです。どちらかが一方的にストレスを我慢するのはストレス疾患のもとなので避けたいところですが、そのバランスをとるのがいかに難しいか、身をもって日々考えさせられています。