坂東三十三観音の巡礼が終わりましたー付記・春の花2016

yuheipapaです。
2年前に大阪から東京に移って以降、「父子乗り鉄と巡礼」のメインだった坂東三十三観音霊場の巡拝が終わり、無事に結願(けちがん)となりました。33カ所すべてを悠平と一緒に回りました。大阪にいた当時、西国三十三所の1巡目は1年で終えていたので、坂東はほぼ倍の時間がかかったことになります。欲張らずに1回に1カ所ずつのゆっくりペースで、その土地の名所に足を延ばしたり、土地の味覚を楽しんだりの巡礼でした。
西国を回っていたころは、幼児だった悠平は巡礼の意味も分からなかっただろうと思います。坂東では回を重ねるにつれ、ご朱印に興味を示したり、寺のご本尊の前で数珠を持ち、真似事ながら私と一緒に般若心経を唱えようとしたりするようになりました。那古寺ご朱印をいただいた後、「悠くん、これで坂東の観音さまはコンプリートだ。よくがんばったね」と声を掛けると「これまでに回ったお寺を見よう!」と言って、ご朱印帳に見入っていたりしていました。この2年間、悠平は少しずつかもしれませんが着実に成長を続けていましたし、たまの休みに悠平と一緒に過ごしながら、その成長を私も実感できた巡礼でした。
観音信仰の巡礼は、平安時代に始まり日本最古と言われる西国を始め各地にあるようですが、中でも西国、鎌倉時代に始まった坂東、そして埼玉県秩父市を中心とする秩父三十四観音の三つを、足して100になることから「日本百観音」と呼ぶのだそうです。次はその秩父の巡礼です。今では悠平も「最初に行くお寺はどこ? 二番目は?」と聞いてきます。巡礼を彼なりの理解で楽しめるようになってきたのかもしれません。
那古寺では、納経所でいくばくかを包んで巡拝の修了証のようなものをいただきました。「巡拝おわる」と読むそうです。「終わり」ではなく、次のステップの修行へ、ということでしょうか。名前は悠平と私の連名にしていただきました。本当は連名は夫婦だけなのだそうです。

那古寺の前、32番目の巡拝は21番の札所の日輪寺でした。茨城、栃木、福島3県の県境にある八溝(やみぞ)山の8合目付近にあります。三十三所の最難所と言われ、江戸時代には麓で拝むだけで済ます巡礼者もいて「八溝知らずの にせ坂東」と呼ばれたりしたそうです。
東京から日帰りではきついので、yuheimamaも一緒に袋田の滝で知られる茨城県大子町に泊りがけで家族旅行を兼ねて行きました。JR常陸大子駅前を朝一番のバスに乗り、終点の登山口で降りて歩くこと2時間半。悠平は弱音を吐かず、元気に登り切りました。

※坂東三十三観音公式サイト http://www.bandou.gr.jp/
西国三十三所巡礼の旅 http://www.saikoku33.gr.jp/
秩父札所連合会公式サイト http://www.chichibufudasho.com/


▼春の花2016
悠平と一緒にあちこち行きながら、季節の花を楽しみました。この春のスケッチです。
〈梅〉

東京スカイツリー(東京都墨田区)/坂東観音26番清瀧寺(茨城県土浦市

湯島天神(東京都文京区)/偕楽園茨城県水戸市

坂東観音22番佐竹寺(茨城県常陸太田市)/利休梅・池上本門寺(東京都大田区



ボケ・小名木川遊歩道(東京都江東区)/桜・道了尊最勝寺奥の院(神奈川県南足柄市

シャガ・道了尊最勝寺:天狗のこみち(神奈川県南足柄市)/シャクナゲ・坂東観音21番日輪寺(茨城県大子町

タンポポ偕楽園茨城県水戸市)/黄菖蒲称名寺横浜市金沢区


花の写真をあれこれ撮っているうちに、写真の構図のバリエーションを増やしたくなり、先日、望遠レンズを買い求めました。花もさることながら、実際にあれこれ撮り出すと、おもしろいのは鉄道です。実は小学生のころは、蒸気機関車が全国各地で次々に姿を消していくころ。その姿をカメラに収めようと、恐らく第1次と呼んでいい鉄道ブームが起きていました。私も親に買ってもらったコンパクトカメラを持って、夢中で撮っていました。長じるにつれて、いつしか興味は薄れていきましたが、40年ぶりぐらいで興味が戻って来たようです。「父子乗り鉄」に「撮り鉄」が混じり始めました。

千葉県・いすみ鉄道ムーミン列車と菜の花/いすみ鉄道の旧国鉄塗装の急行列車

飛鳥山公園の桜と都電荒川線(東京都北区)/都会の菜の花・京王井の頭線(東京都世田谷区)