「恥ずかしい」の教え方

妻(yuheimama)です。過去のエントリーでも触れましたが、「恥ずかしい」という抽象概念の理解に困難がある悠平(「難しい説明」を参照ください)。これは、例えば「うれしい」「楽しい」が、自分自身の感情の動きであるのに対し、「恥ずかしい」は他者の視点を意識することによって出てくる感情なので、他者がどう思うか、他者からどう思われるかに関心がないと生まれてこない感覚だからのようです。「心の理論」を通過していない悠平にとって、他者の視点を意識することはまだ難しそうです。では、どう教えるか?

私から見て、身だしなみで恥ずかしいと思うのは、例えば、シャツの襟が立っていたり、裾がズボンからはみ出している場合。この状態を言い換えると「かっこわるい」と言えそうです。でも、「かっこわるい」というのは、否定的な表現であり、具体的にどうすれば「かっこいい」状態になるのかが伝わりません。そこで、シャツをズボンに入れながら「ズボンに入れるとかっこいいね」と声を掛けます。具体的な動作・状態を伴いながら「かっこいい」と、プラスの評価をすると、悠平の顔がニコニコになります。そう考えて、家庭で「かっこいい」作戦を始めたところ、時を同じくして、学校でも「こうすると、かっこいいね」という声掛けをさまざまな場面で取り入れているという話を5月の家庭訪問で伺いました。

「恥ずかしい」が意識できなくても、「かっこいい」と生活習慣を組み合わせて、身だしなみの向上をはかっていきたいと思います。