2つの関係~「視点の置き換え」の問題

 妻(yuheimama)です。以前のエントリーで、悠平は2種類の絵図が示されると、その関係が把握できないようだと書きました(「繰り上がりの足し算――認知特性に合わせた学び方」を参照ください)。この「2つの関係」への理解の困難は、その後の学習においても、生活においても、悠平の言動を理解する上でキーになっています。

 算数では、繰り上がりの足し算に続いて繰り下がりの引き算を学習し、簡単な文章題にも取り組んでいます。足し算の文章題はスムーズにこなしましたが、引き算の文章題では特定のタイプの問題に引っかかっています。引き算の文章題には、ある数の集まりから幾つかを取り除いた数を求める「求残」と、2つの集まりの数の違いを求める「求差」があります。
求残の例:ケーキが3個あります。1個食べると、残りは何個になりますか?
求差の例:女の子が3人、男の子が1人います。女の子は男の子より、何人多いですか?
→いずれも3-1=2で答えは2(個/人)。
 悠平は、求残は分かるのですが、求差が分かりません。「あぁ、2つの関係が把握できないのだな」と思いました。この認知特性はすぐには変わらないと思ったので、一通り説明だけして、求差の文章題はペンディング。次の項目に移ることにしました。

 国語では、2人の間の視点の置き換え問題が難題です。視点の置き換えとは、一つの行為が立場によって異なる表現になることです。例えば、「あげる/もらう」「ほめる/ほめられる」「さそう/さそわれる」などです。悠平は学校で行ったアセスメント「NC-プログラム」でも受身表現で引っかかっていました。家庭では私と2人でロールプレイをして、理解を促していますが、「2つの関係」理解の困難に原因があるのは間違いないように思います。

 日常生活では、例えば病院で予約の時間を過ぎてもなかなか呼ばれず、20~30分後に呼ばれると、悠平は診察に室に入るなり「遅くなってごめんなさい」と謝ってしまいます。自分が待たされたのに、待たせたのか待たされたのか、立場・関係が把握できていないようです。仮にそれが障害特性・認知特性だと分かっていても、待たせた側にとっては「ごめんなさい」と謝られると、バツが悪く感じたり、謝罪を強要されているようで不快に感じるのでは気にかかります。

 自閉症では、自分の考えと他人の考えに違いがあることを理解する「心の理論」の獲得に困難があるといいます(「心の理論」については、「自閉の本丸――世界自閉症啓発デーに寄せて」を参照ください)。言い換えれば、二人称を想定できずに常に一人称で物事を捉えて生活しているということでしょうか。今後も学習面・生活面で悠平がつまずいたとき、つまずきの根幹がどこにあるのか考えながら、アプローチの仕方を探っていこうと思います。

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 yuheipapaです。
 3月11日の日曜日、東京は午後から晴れ、温かい春の陽気になりました。悠平と一緒に大田区の池上本門寺をお参りし、近くの池上梅園を訪ねました。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から7年の日。本門寺では追悼の法要が行われていました。大震災の発生時刻の午後2時46分に合わせて、悠平と一緒に本堂で手を合わせました。
 あの日、わたしたち一家はわたしの転勤で東京から大阪府高槻市に転居して間もなくでした。悠平は4月から幼稚園の年中組に入るという時期でした。慣れない初めての関西暮らしの中で、被災地で自閉や知的障害の方々や家族の苦労はいかばかりか、と思いをはせていました。悠平は7年前のことをどれだけ覚えているか、理解できているかは分かりませんが、本門寺で手を合わせた後、東北で大きな地震があったこと、大勢の方が亡くなったことを改めて説明し、今、生きていることに感謝しようね、と話しました。
 梅園は白梅は見ごろが過ぎたようでしたが、青空に映えるピンク色の花が、そこかしこで見ごろを迎えていました。悠平はわたしと一緒にあちこち回り、今では花を楽しむようになってきました。帰り際、「きょうは何が一番楽しかったですか」と尋ねると、元気よく「梅!」と答えました。

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