コロナ禍の体験 家庭編

 妻(yuheimama)です。コロナ禍で家庭生活でも新たな体験がありました。

 【在宅勤務】

 まずはyuheipapaの在宅勤務。yuheipapaは仕事の性質上、在宅勤務は限定的で、出勤することがほとんど。学校休校期間での在宅勤務は、悠平にとって休日の延長のような感じだったのか、事前に予告しておけば、あまり抵抗感なく受け入れられたようでした。問題は学校再開後、悠平が帰宅したときに、いつもはいないはずのyuheipapaが在宅していることを受け入れられるかどうかです。生活習慣へのこだわりが殊のほか強い悠平は、「いつもと違う」が大の苦手です。

  小学校低学年のころ、シフト勤務だったyuheipapaが帰宅時に在宅していると、玄関で固まって「嫌―――――!!!」と絶叫(2014年「困った習慣」を参照ください)。少しずつ少しずつ、変化への適応力を上げるべく、家庭―学校―放課後デイで連携してこだわり崩しに取り組んできました。最近では嫌であっても何とか受け入れられることが増えてきたので、今回も母は心の中で「頑張れ!」と応援。数日前からyuheipapaが月曜日に在宅予定だと伝えると、初めは「嫌」と言っていたものの、そのうち何度も「月曜日、お父さんは在宅勤務です」と母に確認してくるようになりました。覚悟ができた様子です。当日は学校終了後、放課後デイがあったため、デイの送迎車で自宅マンション前まで送っていただきました。昨夏から、送迎車を降りた後は母のお迎えなしに玄関まで一人で帰ってきていた悠平でしたが、その日は送迎車から母に迎えに来てほしいと電話がありました。母と一緒に帰宅することで、「いつもと違う」不安感(不快感?)を乗り越えようと考えたようです。母を後ろに従えて、玄関のドアを開けると、「ただいま~」といつもより勢いよく玄関に飛び込んだ悠平。これでまた一つ、こだわりをクリアできました。こだわり崩しもうれしかったのですが、母が感心したのは悠平が自分でこだわりへの対処法を考え付いたこと。学齢期の間に、こうした経験を積み重ね、少しでも自分で対応できる範囲を広げていってほしいと思いました。

【リモート参加】

 昨年末の記事で触れたように、yuheipapaは定年退職を迎え、延長雇用となりました(「ちょうどよい「やり切った感」とともに迎えた定年~人生の夏から秋へ」を参照ください)。定年を機に、家計の見直しと「親亡き後」への具体的な対策を考え始めました。「親亡き後」の不安と言えば、お金や住まい、支援者のことなど。タイミングよく、障害者家族の「親亡き後」関連の相談に対応する「一般社団法人あしたパートナーズ」とのご縁ができ、オンライン相談をしていただくことになりました。yuheipapaとyuheimama、2人そろってパソコンに向かって話をしている様子が気になる悠平は、相談中にパソコン前に顔を出し、「こんにちは~」。数回目の相談時には、ついに折り畳み椅子を持参して、yuheipapaとyuheimamaの間に陣取り、15分程、参加してしまいました。話の内容はピンとこなかったと思いますが、親に合わせて「ありがとうございます」「よろしくお願いします」等、小声で応え、リモート体験を満喫(?)していました。

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 最近はテレビでもゲストがリモート参加する場面が多く、リモート体験に興味津々だった悠平。あしたパートナーズさんとは長いお付き合いになるので、悠平自身、ご担当者と面識ができていい機会になりました。ただ一つ気がかりなのは、悠平は場面と人をセットで認識する特性があるので、リモートで知り合ったご担当者と直接会う機会があったときに、顔を背けずにいられるかどうか。学校休校中、学校から配信された動画も、学校で会うはずの先生の姿を家庭で見ることに拒否感が強く、観られずじまいでした(「オンライン学習と登場人物」を参照ください)。…テレビで観ているミュージシャンには「会ってみたい」と言っているので、画面を通して知り合った方ならリアルでも会えるかなと期待。こうしたこだわりも少しずつ崩していけたらと願っています。

 

コロナ禍の体験 学校編

 妻(yuheimama)です。今年度も残り1カ月余りとなりました。今年度は学校休校に始まり、通常授業が再開された後も、ほとんどの学校行事が中止され、残念な思いをしたお子さんも多かったのではないかと思います。悠平はと言えば、休校が長期化したときにはさすがに「学校、行きたいよ!」と訴えてきましたが、行事の中止については仕方がないと淡々と受け止めていたようです。

  学校では行事の準備がなくなった分、日々の学習に落ち着いてじっくり取り組めたようです。これまでは家庭学習が学校での学習に先行することが多かったのですが、担任の指導力の高さもあって、2学期からは学校での授業が先行。宿題で持ち帰った割り算のプリントを、筆算で計算している様子を見て、母は感激してしまいました。行事にも教科学習にも、それぞれ異なる役割があり、学びがあるので、行事の中止はやはり残念なのですが、できないことを嘆くだけでなく、できること、できたことを前向きに受け止めていきたいと思います。

 3学期の初めには、毎年恒例の書初めがありました。小3のとき、先生から「好きなものを書いていいよ」と言われて、「にく」と書いた悠平。

yuheipapa.hatenablog.com

 

 中2の今年は「好きなものをかいていいよ」と言われて、「緊急事態宣言」と書こうとしたとのこと。コロナ禍で初めて耳にした言葉だったのでしょうが、さすがに先生から、初見で毛筆で書くのは難しいと説明を受け、断念。最終的には昨年、yuheipapaと一緒に乗った電車「レオライナー」と書きました。 

 学校では行事ができない分、学年ごとの小規模な発表会などを企画してくださっています。まだまだ制約の多い日々ですが、工夫しながら前向きに生活していきたいと思います。次回は「家庭編」です。

じゃがいも、にんじん、豚肉

 妻(yuheimama)です。悠平は発音が不明瞭なことがあり、音読の練習を継続しています(「筋肉の省エネ」を参照ください)。学校から音読用のプリントを課題として出され、宿題として家庭で音読。1週間、同じプリントの音読を繰り返し、週の後半、それを基に読み取り問題として取り組んでいます。1週間繰り返し音読すると、つっかかりや発音不明瞭が改善され、だいぶスムーズに読めるようになるため、聞いている母は「分かってきてるんだな」と思いがちなのですが、いざ、学校で読み取り問題として取り組むと、なかなか全問正解とはいきません。 

 以前から、読解問題では5W1H(いつ、どこで、だれが等)等の情報を問題文から抜き出すことはできていたのですが、行間を想像したり、ストーリー・意味をイメージしないと回答できない問題は全滅に近い状態でした。これは自閉症の「想像力の困難」という障害特性に由来するものと思われ、悠平にとってはハードルの高い問題です。 

 先日、持ち帰った音読プリントでは食料品の買い物の様子が書かれていました。登場人物が買い物かごに入れていく食材は、じゃがいも、にんじん、豚肉300gでした。それらの食材で何を作るかまでは書いていなかったのですが、母はカレーか肉じゃがだろうと想像しました。そこで音読の後、母が「どんなお料理、作ると思う?」と尋ねてみると悠平は「うーん、野菜炒め」。「え!?」と思い、「野菜炒めにじゃがいもって入ってる?」と尋ねると、自信満々に「入っていない」と悠平。続けて「野菜炒めじゃなかったら、何だろうね」ともう一度尋ねると、「お好み焼き」との返答。悠平、食わず嫌いでお好み焼きを食べたことがないのに、なぜ、お好み焼き??? 「お好み焼きにもじゃがいもは入ってないから、また読んで考えてみようね」と、後日に持ち越しました。1日置いて再び「どんなお料理だと思う?」と尋ねると、今度は「みそ汁」との答え。「豚肉が入ったおみそ汁?」と母が聞くと、「うん、豚汁!」と笑顔です。悠平の変化球に、まぁ、豚汁もできるかもねと一瞬思ったものの、300gの豚肉が入った豚汁って一体何人分だろうと笑いをこらえた母でした…。 

 悠平の様子に、文字を音として読み上げることと、内容理解は同じではないことに気づかされました。読めているからといって、分かっているわけではないということを周りの大人、支援者は知っておく必要があります。大人になって、変な契約書にサインしなきゃいいけどと不安に感じつつ、今度、悠平とスーパーに行ったときには何を作るための材料かを話し合いながら買い物をした方がいいかななどと考えています。

悠平が選んだ路線~2020年秋から冬のスケッチ

 yuheipapaです。
 新型コロナウイルスのため昨年春以降は家族旅行を断念。休日も自宅で過ごす日が増えていました。悠平との「父子乗り鉄と巡礼」もしばらくは自粛していましたが、秋になって「そろそろいいかな」と、近郊への日帰りで再開することにしました。そうなってみて、ちょっと驚いたことがあります。それまでは、どこに行くか、どの鉄道路線に乗るかはわたしが考え悠平に提案。悠平が同意すると、わたしが予定表を作っていました。ところが、乗りたい路線を悠平が自分で指定するようになりました。
 例えば西武鉄道の山口線、通称「レオライナー」です。東京都東村山市の西武遊園地駅と埼玉県所沢市の西武球場前駅を結ぶ2.8キロの路線で、コンクリートの軌道上をゴムタイヤのコンパクトな車両が走ります。正式には「自動案内軌条式旅客輸送システム」(AGT)と呼ぶそうですが、狭義で使われる「新交通システム」の方が、なじみがあるかもしれません。「悠くん、どうしてレオライナーがいいの?」と聞いてみると「まだ乗っていないから」との答え。「『ゆりかもめ』(東京)と『舎人(とねり)ライナー』(東京)と『ニューシャトル』(埼玉)と『シーサイドライン』(神奈川)は乗った。乗っていないのはあと二つ」。どうやら悠平は、東京と周辺の新交通システムで、乗ったことがある路線、ない路線を数えた上で、未乗路線を制覇することにしたようでした。
 わたしやyuheimamaの指示や誘導もなく、自発的に目標を持ったのは初めてかもしれません。しかも余暇の過ごし方、自分の趣味の分野です。役に立ったのは昨年の誕生日にyuheimamaが選んだ「鉄道大百科」。全国の鉄道路線の詳細な紹介を、悠平は熟読していたようです。
 リクエストを受けて昨年10月、さっそくレオライナーに乗り、11月には最後の「ユーカリが丘線」(千葉県)を全線乗車(と言っても4.1キロですが)。悠平は「新交通システムを全部乗りました」と達成感を味わっているようでした。
 将来、自立して生きる上で、余暇の過ごし方はとても重要です。自分で目標を持つことができるようになったのは大きな成長だと思います。
 以後も休日の外出はなるべく悠平に行きたい場所、乗りたい路線を選ばせるようにしています。年明けに首都圏では緊急事態宣言が再発令されてしまい、休日の長距離の移動はしばらく控えることにしましたが、いずれ事態が収束したら次はあの路線、その次はこの路線と、悠平と一緒に計画を立ててみようと思います。

 以下は昨年秋以降の、悠平との外出のスケッチです。

【新交通システム・レオライナー】

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 最初に乗ったレオライナーは白い車体でした。悠平は緑の塗装の別の車体に乗りたかったようです。年末に2度目に乗った時は、その緑の車体でした。悠平は帰宅後、yuheimamaに「満を持して緑の車両に乗りました!」と報告していました。

【新交通システム・ユーカリが丘線】

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 千葉県佐倉市のユーカリが丘ニュータウン内を環状に走っています。ニュータウンの開発業者である不動産会社が運営している珍しい路線です。愛称は「こあら号」で、新交通システム車両3編成は「こあら1号」から「こあら3号」、同社が運行するバスにも「こあら4号」以下の通番がついているようです。

【JR相模線と相模鉄道のJR乗り入れ車両】

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 昨年、相模鉄道がJR東日本と新宿~海老名間で相互乗り入れを始めました。悠平が自分から「乗りたい」と最初にリクエストしたのが、重厚感がある相模鉄道の車両でした。わたしも興味があったので、悠平と一緒に乗ってみました。まず小田急線で多摩センターに行き、京王線に乗り換えて終点の橋本へ。昼食の後、JR相模線で海老名へ。海老名から相模鉄道に乗りました。途中、相模原市内にある一遍上人(踊念仏で知られる時宗の始祖)ゆかりの古刹一カ所に寄ったのですが、コロナで御朱印の対応は休止中だったのが残念。いずれ再訪しようと思います。

【関東鉄道常総線】

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 茨城県の取手駅と下館駅を結ぶ関東鉄道常総線は、悠平にとっては首都圏の未乗路線の中では気になって仕方がない存在だったようです。51.1キロとそれなりに長く、取手でJR常磐線、守谷でつくばエクスプレス、下館でJR水戸線、真岡鉄道とそれぞれ接続している地域の動脈です。沿線の寺社詣でを兼ねて、取手~水海道間を乗りました。全線非電化ながら、この区間は複線。首都圏では珍しい光景だと思います。

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 平将門ゆかりの史跡もあり、歴史好きの方も楽しめそうです。乗り残した水海道~下館間もいずれ乗りに行こうと、悠平と約束しています。

【リニューアル『踊り子』号】

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 東京と伊豆を結ぶ伊豆急乗り入れのJR東日本の特急「踊り子」号がリニューアルしています。スーパービュー踊り子号が全廃され、代わりにデビューした「サフィール踊り子」は全席グリーン以上という豪華さが話題のようですが、在来特急型のリニューアル車両に乗ってみました。

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 伊豆まで行くのは日帰りではもったいないので、小田原でおりて伊豆箱根鉄道に乗り換え、天狗伝説の道了尊・最乗寺にお参りしました。紅葉がきれいでした。帰りは小田急線のロマンスカー。多彩な電車旅で悠平も満足でした。

【武蔵野三十三観音巡礼】

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 12月は西武線に集中的に乗りました。東京都練馬区から埼玉県飯能市にかけて、武蔵野三十三観音という観音霊場があります。3年ほど前に専用の御朱印帳を買い求めていたのですが、練馬区内で最初の3カ所をお参りした後、そのままになっていました。昨年10月にレオライナーに乗った際、西武球場近くに13番札所の金乗院があったので久しぶりに御朱印をいただいたところ、何やら「開創八十年」の特別の印が。2020年は霊場が開創されてから80年に当たるとのことで、年内いっぱい、それぞれの寺院ごとに特別の印を押しているとのことでした。そうなると、その特別印を集めたくなるのが巡礼者心理というものです。がんばって残り3カ所、というところまでお参りして回りました。

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 霊場を巡礼で回る際には、わたしも悠平も数珠を手に般若心経を唱えることにしています。悠平は「門前の小僧」さながらにすっかり暗記。いまだに経本を手放せないわたしの横で、大きな声で「まーかー、はんにゃーはーらーみーたーしんぎょう」と唱えています。

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 もともとこの霊場は西武鉄道の肝いりでつくられたそうで、西武池袋線沿線を中心に各寺院が点在しています。行き帰りには特急電車「ラビュー」や「ニューレッドアロー」、全車指定のSトレインも組み合わせたので、悠平も楽しめたようです。お茶どころ、狭山の茶畑の間を歩いたりしながら、晩秋の武蔵野を巡りました。コロナが収束したら、残り3カ所も2人で回って、結願(けちがん)を目指します。

 この記事の「悠平が選んだ路線」の見出しは悠平が考えました。あらかた記事を書き終え、写真を付けて、さて見出しはどうしたものかと考えていたら、横からパソコンの画面をのぞき込んで書き出しを読んでいた悠平が「『悠平が選んだ路線』にする」とひと言。せっかくなので、そのまま採用しました。

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「密」を避けながら、ことしも七福神巡り

 yuheipapaです。
 昨年末から東京は新型コロナウイルスの感染者が急増し、新年早々、緊急事態宣言が出ました。毎年年明けは、2015年に始めた七福神巡りがわたしと悠平の恒例行事になっています。ことしはどうするか、ちょっと思案しましたが、「密」を避けてなるべく自宅に近いところをと考えて、東京都品川区内、東急電鉄大井町線に沿うようにして七つの寺社を回る「荏原七福神」に行ってきました。
 ※「荏原七福神めぐり」 http://ebara-shichifuku.com/
 最初は東急電鉄目黒線の西小山駅から徒歩5分ほどの小山八幡神社。わが家なりのコロナ対策として、外出中は食事を取らないこととしたので、午後からのスタートとなりました。そのためもあってか参拝客はまばら。七福神巡りと思われる方も、逆コースをたどってゴールインされる方が2組ほど。わたしと悠平は本殿、次いで大黒天に参拝した後、社務所で七福神専用の色紙を1500円で購入しました。
 これまでに回った東京の七福神は、おおむね専用色紙に各寺社でいただく御朱印に費用がかかり、トータルでは2千円とか3千円になる場合が多いのですが、荏原七福神は色紙代のみで、あとは無料のスタンプを押して回ります。すべて回ると最後の寺社で絵馬をいただけます。
 もう一つ、こちらでは七福神をそれぞれアニメ風に擬人化したキャラクターがあり、「もう一つの荏原七福神巡り」として、無料のスタンプラリーが用意されています。こちらもすべて回ると、最後に記念品としてクリアファイルがもらえます。東急電鉄の協賛があるようです。絵馬も含めてかなりのお得感があります。
 住宅街に点在する寺社を巡るので、名所や見どころはあまりないのですが、その中で布袋尊をまつっている養玉院・如来寺はお奨めです。江戸時代の建立と伝わる5体の大仏がお堂にずらりと並んでおり、「大井の大沸(おおいのおおぼとけ)」と言われています。実はこのお寺だけは昨年、悠平と一緒に訪ねており、今回が2度目。境内からはすぐ近くを走る東海道新幹線もよく見えるので、悠平もお気に入りのスポットです。

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【写真:如来寺の「大井の大仏(おおぼとけ)」】

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【写真:大仏は御朱印も迫力があります】
 七福神最後の大井蔵王権現神社では、2人でおみくじを引きました。大吉を狙っていた悠平は中吉で、ちょっと悔しい様子。わたしは吉でした。まあまあの結果ではないでしょうか。帰りに大井町駅から乗った東急大井町線の車両は、有料座席用の「Qシート」車両を連結した急行。急行でもこの車両を連結していない編成があるので、悠平はうれしそうでした。ことしの「乗り鉄」は大吉のスタートとなったようです。

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【写真:「Qシート」連結の大井町線急行】

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【写真:七福神の色紙、絵馬と「もう一つの荏原七福神」】

 

ちょうどよい「やり切った感」とともに迎えた定年~人生の夏から秋へ

 yuheipapaです。
 ことし10月、わたしは満60歳になり、勤務先のマスメディア企業を定年退社しました。引き続き、1年ごとに延長雇用契約を更新しながら、年金が支給されるまであとしばらくは同じ会社で働く予定ですが、社会人としては大きな節目を迎えました。
 悠平が生まれたのはわたしが45歳の時でした。自分が定年になっても、悠平はまだ中学生。中学、高校そして大学へと、一般には教育費がもっともかかる時期です。定年になっても、可能な限り長く働き続けることになるのだろうな、と思っていました。ただ、15年も先の自分の姿、どんな気持ちでその日を迎えるのかなどは、到底想像できませんでした。
 「働く」ということは、生活のための収入を得ることであるのと同時に、自己実現の手段です。思う存分に能力を発揮して成果を挙げたい、というのは誰にでもある自然な感情だと思います。わたしもそうでした。そして仕事を口実に、悠平が生まれた後も育児は妻(yuheimama)に任せきりでした。
 やがて悠平が3歳の時、広汎性発達障害の診断を受けました。前後して妻も心身の調子を崩しがちになりました。その頃のわたしは勤務先で管理職になったばかりで、それなりの責任あるポジションに就き、帰宅は毎日午前1時から2時、という生活でした。妻の具合が悪い日は、職場でやり繰りをつけて早めに帰宅して悠平の相手をしたり、逆に朝も遅れて出社したりしながら、仕事と現実の生活の折り合いを考えました。当たり前のことですが、妻にとっての夫、悠平にとっての父親は自分しかいません。家族と過ごす時間を増やそう―。そう思ったときから、仕事への向き合い方を変えました。過剰に気負うことなく、自分なりのペースで進む、他人の目、他人の仕事ぶりを気にしない、しかし自分にしか出せない成果を目指す。この十数年間は、そうやって過ごしてきました。
 この間、「定年になったら『もっと責任ある地位に就いて、思う存分に腕を振るってみたかった』と思うのだろうか」と考えたりしたこともありました。しかし、実際に定年に達した今、そんな気持ちはまったくありません。ちょうどよい「やり切った感」とでも言えばいいでしょうか。会社や仕事を自分にとって絶対のものと受け止めるのではなく、相対的に考えることができるようになっていたのだと思います。
 10年前の大阪への転勤は、見知らぬ土地での生活という面では負担もありましたが、いいこともいくつもありました。一つは、わたしの休日に悠平と出かけることが習慣になったことです。関西には歴史の古い社寺や史跡が豊富にあります。住んでいた大阪府高槻市から京都まではJRの新快速に乗れば15分という近さでした。休日のたびに、悠平を連れてあっちのお寺、こっちの神社と巡りました。悠平にしてみれば、いろいろな電車やバスに乗れるのが楽しかったようです。わたしが悠平と出かけている間は、妻は体を休めることができました。
 悠平との外出は今に至るまで続いています。悠平と2人で過ごす中で、思わぬ成長ぶりに驚くことも増えてきました。そうした悠平の姿を見ながら、これから先の妻と悠平との3人で過ごす時間のことをあれこれと考えるようにもなっています。それはそのまま、定年後のわたし自身の生活を考えることにつながっています。悠平のおかげで、わたし自身も居場所を見失わずに済んでいる、と言えるかもしれません。

 職業人としての生活に区切りを迎え、わたしの人生は夏から秋に入りました。しかし、悠平は人生の春の真っただ中です。やがて必ず来る「親亡き後」に備えて、何を教え、何をどう残してやるか。悠平と歩く道のこれからの課題です。

 この1年、ご訪問ありがとうございました。
 新年もよろしくお願いいたします。

「いろいろ」の中身

 妻(yuheimama)です。時々、悠平の部屋からドア越しに「お母さん、これ、どうする?」と声が聞こえてきます。母が「これって何のこと?」と聞き返すと、「これ!これ!」と繰り返し、「これ」が何なのか分かりません。さらに、「これって、どんなもの? 色とか形とか」と突っ込むと、「うーん、分かんない」となって、結局、母が悠平の部屋に行き、確認することになります。似たようなことは家の外でもあり、例えば美容院に行ったとき、美容師さんに「学校の体育ではどんなことをするの?」と聞かれると、悠平は「そうですね…いろいろです」と答えて、いろいろの中身が分からないままです。悠平には説明力に課題があります。

 思い起こすと、小学生のとき、クリニックのST(言語聴覚)から出された課題に、物の形状を説明する「ことばクイズ」がありました。素材はおもちゃでも何でもよいのですが、例えば電車のおもちゃ、プラレールであれば、「これは電車です。四角いです。銀色に黄緑の線が入っています」といったように説明します。物の名前は、物にラベルを張るように覚えていけばよいのですが、これを形容していくとなると、ハードルが上がります。悠平はこの課題、苦手だったようで、しばしば渋い顔をしていました。家庭で市販の教材を使うようになってから、課題もいつしかフェードアウト。説明力不足は今も残っています。

 そんな悠平ですが、当時に比べれば格段としゃべるようになり、小学校を卒業するときには、低学年で担任だった先生が「いっぱいしゃべるようになりましたね!」と言ってくださったほど。先日も中学部での担任の先生から「話すときに主語がはっきりして、時系列で説明できるようになってきたと思います」と評価していただきました。ちなみに悠平が先生に説明したのは、最近まで東京・上野の東京国立博物館で開催されていた「トーハク×びじゅチューン なりきり日本美術館リターンズ」を見学し、ミュージアムグッズを購入したり、キャラクターが入ったガチャポンを回して、大満足だったこと(びじゅチューンはNHK・Eテレで放送中の美術作品を歌とアニメで紹介する番組。「「乗り鉄と巡礼」に「アート鑑賞」が加わりました」を参照ください)。確かに、びじゅチューンといい、旅番組への投書といい、好きなものなら自発的にどんどん表現できるようになってきました。こうした「好き」を大切に、「これ、これ」や「いろいろ」をもう少し具体的に説明できるよう、言葉を引き出す言葉がけを考えていきたい――母の冬休みの宿題になりそうです。

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