決断――本日、幼稚園を退園しました

 妻(yuheimama)です。悠平が幼稚園を休み始めて4カ月近くが経ちました。これまで、幼稚園の園長先生はじめ、教頭先生、年中・年長の担任の先生、保育補助の先生、そしてクラスのお友達がさまざまな形で働きかけをしてきてくださいましたが、悠平の幼稚園に対する拒否感は全く弱まることがありませんでした。原因はいまだに分からないままです。幼稚園であった小さなトラブルが悠平の記憶の一番手前にあって、それまでのたくさんの楽しかった思い出を覆い隠してしまったのかもしれません。あるいは、悠平自身の聞き取りの弱さや視覚刺激に敏感な特性から、大勢の人がいる幼稚園という環境そのものにストレスをつのらせ、限界に達してしまったのかもしれません。

 当初は原因を特定して取り除き、幼稚園に行けるようにと模索していました。ところが最近では、幼稚園どころか公園やトミカが買ってもらえる機会以外は外出自体を敬遠する傾向が出てきました。このまま引きこもりが常態化すると、その先の就学に不安が出てきます。私たち夫婦は、幼稚園に行くことを目的化せず、その先の小学校への就学を目標とすることにしました。そのための第一歩が、幼稚園の退園です。

 幼稚園には本当にお世話になりました。主人の転勤が決まり、新学期が迫る2月に、加配が必要な年中児を受け入れてくださる園は稀でした。園では悠平の自主性を尊重し、クラスのお友達も悠平の特性を子供たちなりに理解して、一緒に遊んだりお手伝いをしてくれました。体が大きく力の強い悠平ですが、お友達にけがをさせることもなく、自身も大きなけがすることなく過ごすことができました。体育遊びや、音楽、造形など、幼児期に体験させたいさまざまなことを、たくさん提供してくれる幼稚園でした。今から思えば、悠平にとってはかなり頑張らなくてはならない環境だったのかもしれませんが、それも経験したからこそ分かることであり、少なからず悠平が「努力」したのであったのならば、それは大いなる財産だと思っています。あらためて、幼稚園の先生方、お友達、そして私たちを心配して励ましてくださったママたちにお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 「小学校への就学を目標とする」としましたが、では今後どうするか。梅花・こどもセンターでの療育は個別で隔週、月に2〜3回です。それ以外には予定らしい予定はありません。私自身、平日は「母子シェルター」状態で煮詰まっていたこともあり、4月に小児神経内科を受診した際、幼稚園に行かない間の過ごし方を相談しました。主治医からは、悠平と同じようなハンディのあるお子さんのサークルなどに参加して、できるだけ体を動かした方がよいだろうとのアドバイスをいただきました。そこでさっそく近隣にそうしたサークルがないか、ネットで検索したり、自治体の相談窓口に問い合わせたのですが見つかりません。そんなとき、昨年幼稚園探しと同時に検討した市立の療育園の存在を思い出しました。当時、市に問い合わせた時には募集を締め切った後だったので入園は難しいとの回答だったのですが、ダメでもともと、退園を考え始めた5月下旬に療育園に直接電話してみました。園長先生が対応してくださり、見学可能とのお返事をいただきました。

 乗り物パニックで暴れる悠平を無理やりタクシーに突っ込み、汗だくで療育園に着くと、今度は30分近く玄関で大泣き。園長先生は「皆さんそうですから」と慣れたご様子。その後、園内でミニカーを見つけた悠平は何事もなかったようにケロッと元気になりました。さらに心理士の方がプレイルームの写真を見せてくださると、大はしゃぎで遊びまわりました。そこで転園を前提に話を進めることになり、6月に入って家族3人で面接に伺い、転園させていただくことになりました。無理を聞いてくださった療育園の関係者の方々に感謝です。

 これまで、なかば引きこもり状態で、好きなように好きな時間を過ごしてきた悠平。そうスムーズには通園できないかもしれません。悠平が転園することで通園バスも調整していただくことになり、調整期間中は親子通園する予定です。もうひと頑張りしなくては…私も気持ちを切り替えなくてはいけません。

 写真は、山歩きを含む寺社巡り用に、父子で購入したトレッキングシューズです。「悠平と歩く道」はまだまだ続きます。