汗と笑顔とパニックと――夏休みの家族旅行

 妻(yuheimama)です。8月に3泊4日で伊勢志摩に行きました。悠平の療育園は既に始まっていたのですが、主人の休暇の都合で、夏休みを少し延長しての旅行となりました。宿泊は三重県の鳥羽、主な目的は伊勢神宮参拝と志摩スペイン村です。天気に恵まれ、観光と海の幸、温泉を堪能できました。また宿泊先ホテルでは悠平の偏食にも、ゴールデンウィーク同様(「ゴールデンウィークの家族旅行」を参照ください)に対応していただくことができ、安心して楽しむことができました。

 初日の移動は京都から近鉄特急・伊勢志摩ライナーです。鉄道好きの悠平は、前日から「いせしまライナーのろうね、のろうね」と何度も口にし、楽しみにしている様子。ホームで記念撮影をしてからルンルン気分で乗り込みました。

 出発するとしばらくは窓にへばりついて外の景色を眺めたり、すれ違う電車に興奮を隠しきれない悠平でしたが、京都から鳥羽までは約2時間15分、さすがに途中で飽きたようです。何度か最後尾の運転席近くのパノラマデッキへ行って、パノラマビューを楽しんだり、運転席をしげしげと観察していました。そんなときでもカメラを向けて「ゆうくん、チーズ」と声を掛けると、目は合わせなくても律儀にピースサインだけは欠かしません。悠平の写真には目線がずれたピース写真の何と多いことか!

 鳥羽に着いたのはちょうど昼食時でした。魚好きの主人と貝好きの私はすぐにでも海鮮料理店に飛び込みたいところでしたが、グッとこらえて悠平が食べられる唐揚げやエビフライをおいているお店を探します。主人がネットで下調べをしておいた駅と直結したビル内に、唐揚げ定食のある海鮮料理店を見つけて、三者三様、大満足の昼食となりました。食後、ホテルのチェックイン時間まで2時間弱あったので、世界で初めて真珠の養殖に成功したというミキモト真珠島へ徒歩で向かいました。展示資料やコレクションにはほとんど興味を示さなかった悠平ですが、海女の実演には興味津々。真剣なまなざしでじーっと見入っていました。その後、駅に戻ってシャトルバスでホテルへ。ホテルではプールで楽しいひと時を過ごし、ニコニコ笑顔の悠平でした。プールの後には温泉、夕食。たっぷり楽しんで疲れたのか、夜は早々に寝入ってくれました。

 2日目は伊勢神宮への参拝です。私自身、歴史への興味から伊勢神宮に一度は行ってみたいと思っていたので期待に胸が高まります。…が、炎天下の伊勢神宮は暑い、広い! 当初はタクシーチャーターも考えましたが、悠平には乗ってきた乗り物を「しゅっぱつしんこう!」と言って見送る「悠平ルール」があるので、同じタクシーでの乗り降りを繰り返すチャーターにはパニックを起こすリスクが高いと考え、やむなく却下。いざ境内に足を踏み入れると、汗だくになって砂利道を歩くのに精一杯でした。家族そろっての「お伊勢参り」に満足しつつも、「参拝は涼しい時に限る」との教訓を得ました。

 寺社巡りに慣れているはずの悠平も、境内を散策するより神社の外を走る見慣れない路線バスや観光バスにばかり気を取られている様子。いざバスで移動しようとすると、自分の乗りたいバスとは違うバスだったのか、乗車口でパニック! 危険なので主人と二人がかりで何とか乗せたものの、パニックはおさまらず、乗客の皆さんにギョッとされました。汗だくの上にパニック対応で親はぐったりですが、夕方にホテルに戻ると悠平は何事もなかったように「プールあそび〜」と無邪気なものです。いつものこととはいえ、あのマイペースぶりは、ある意味うらやましいほどです…。

 3日目は志摩スペイン村です。鳥羽からは近鉄特急で向かいます。特急は、レギュラータイプのエースだろうと思っていたのですが、ホームに入ってきたのはアーバンライナーでした! 家族全員「アーバンライナーだ〜」と大騒ぎ。悠平も「アーバンライナーアーバンライナー」と声が弾んでいます。滑り出しは順調です。実は旅行前には「なんで伊勢志摩にスペイン村があるの?」と親の方は懐疑的だったのですが、悠平が冬休みにディズニーランドを大いに楽しんだ様子だったので、テーマパークも試す価値があるかと思い、行くことにしました。スペイン村は、スペインの歴史や街並みを感じさせる建物や展示がある一方で、絶叫系のジェットコースターなど遊園地の要素も兼ね備えています。

 悠平はもちろん絶叫マシーンにはまだ乗れませんし、私たち夫婦もそろって苦手。20分以上のフラメンコショーなども悠平が座って見続けられないだろうと思い、初めから省略。それでも家族で乗れる汽車や乗り物のアトラクション、迷路、3Dシアターやパレードなど、予想以上に楽しめました。悠平は中でも乗り物に乗って「くるみ割り人形」の世界を体験するアトラクションが気に入ったようで、ホテルに戻ると「おうさま(本当は話中に登場する王子様)のしゃしんくださ〜い」とアトラクション中に撮影した写真を何度も見返していました。たっぷり遊んで帰りはバスで駅まで向かうのですが、ここでもまたバス・パニック。おかげで駅に着いてからも特急に乗り損ねて、各駅停車で鳥羽に戻る羽目になりました。それでも悠平はホテルに着くと「プールあそび〜」とケロッとしています。あぁ、マイペース。

 最終日はホテルをチャックアウトした後、鳥羽水族館に行きました。ここでは日本で唯一、人魚のモデルと言われるジュゴンを見ることができます。ジュゴンはとても大きく、お世辞にもかわいいとかきれいとは思えない姿でした。悠平はジュゴンの希少価値を知る由もなく、主人と私は「う〜ん、人魚には見えない」と言いつつ、珍しいものが見られたと一応は満足しました。

 水族館といえば、悠平が初めて行ったのは千葉県にある鴨川シーワールドでした(「受け身はイヤ、見たいものを見たいように見る〜鴨川シーワールドで親はがっかり」をご参照ください)。有名なシャチのショーには目もくれず、クラゲ以外にはほとんど無関心でしたが、今回は迫力のある大型獣の泳ぎに「わ〜」と声を上げて笑ったり、ペンギンの障害物競走では10分以上の待ち時間をなんとかおとなしく待つことができ、ショーもしっかり楽しむことができました。また、ディズニー・アニメ『ファインディング・ニモ』で覚えたクマノミやエイを見つけて喜んでいました。鴨川の時に比べ、魚の種類や周囲への認知が高まり、待つスキルが身に付いたことが実感でき、悠平の成長ぶりをうれしく思いました。

 お土産コーナーでは魚のシールがはってある水色の「マリンバス」(バスのおもちゃ)のもとへ直行。トミカよりずっと大きく値段もちょっと高かったので躊躇しましたが、どうにも離さないので根負けして買いました。後になって、悠平がそのバスを宿泊していたホテルのシャトルバスに見なして遊んでいるのを見て、そういえばホテルのバスも水色だったと思い至りました。ホテルでの数日間が悠平にとって、とても楽しいものだったのだと感じられました。

 いよいよ帰りの特急・伊勢志摩ライナーがホームに入ってきます。伊勢志摩ライナーには黄色い車体が多いのですが、今回は赤い車体です。主人が「撮り鉄」してから乗り込むと、程なく出発。窓の外に向かって「バイバ〜イ」と手を振りながら鳥羽を後にしました。

 帰宅後、悠平は写真絵本「してつとっきゅう」や特急のDVDを見ながら、伊勢志摩ライナーアーバンライナーが出てくると「のったね」とうれしそう。お風呂に入ると「ふんふふふ、ふんふん、ふんふんふ〜ん」と「くるみ割り人形」のメロディーを口ずさんでいました。「おもしろかった」「うれしかった」とはスムーズに言葉にできない悠平ですが、その様子からは楽しかった夏休みの思い出がにじみ出ていました。

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 yuheipapaです。初日に訪ねたミキモト真珠島の中にある御木本幸吉記念館にあった「戦争と真珠養殖業」の展示が印象に残りました。真珠王と呼ばれた御木本幸吉は、日中戦争の始まりで不況になるといち早く養殖場を1カ所に絞りました。昭和15年には真珠養殖も宝飾品販売も禁止され、昭和16年には対米戦争が始まり海外支店も閉鎖されました。幸吉は戦争に行く従業員たちに「絶対に死ぬな 貝は戦争をしとらん」と言って励ました、とのエピソードを紹介しています。また、軍需産業への転換を勧められた時には、死んだモグラを指差して「やわらかい土の中のモグラが固いところへ出てきたから、もとに戻れなくて死んでしまった…ワシは真珠以外やる気はない」と断ったとのことです。
 御木本幸吉という人が主義主張として反戦だったのかは分かりません。しかしあの時代、「個」がほとんど顧みられず、ただひたすら国家への従属だけが求められていた中で、従業員たちに「生きて帰って来い」とは、なかなか声に出せるものではなかっただろうと思います。
 当時の戦時国家体制は、何もかもが戦争遂行を最優先にしていたのだと思います。男なら立派な兵隊になれ、と当たり前のように言われていた中で、心身にハンディを持つ人たちはどんな境遇にあったのか。今、悠平を育てながら思うのは、どんな大義名分があろうとも一切の戦争を認めるわけにはいかない、ということです。