巡礼:室生寺、大野寺、薬師寺:美しいものを見せるのは、親ができることの一つ

 yuheipapaです。以前にも触れましたが、休みの日は悠平を連れて寺社仏閣めぐりで過ごすことが多くなっています。せっかくの関西暮らしなので、わたし自身、良質の文化財をできるだけ多く見ておきたいのが理由の一つです。電車が大好きな悠平は、JRや私鉄各線をいろいろ乗ることができて大喜び。悠平自身も赤ん坊のころから神社や寺は好きで、自宅近くの散歩コースには神社や寺を組み込んでいました。またわたしが悠平を連れて外出している間は、妻が悠平から解放されて体を休めることができます。夫婦の間の役割分担にもなっています。「父子乗り鉄と巡礼」と名付けている悠平との小旅行。同名のカテゴリーを新設しました。実用的な情報も交えながら随時、紹介していきます。

 先日は奈良県宇陀市室生寺を訪ねました。真言密教の中で高野山が女人禁制だったのに対して、早くから女性の参拝を認めていたので「女人高野」の呼び名で知られます。
室生寺公式ホームページ
http://www.murouji.or.jp/

 JRで京都駅に出て、悠平の好きな近鉄の2階建て特急ビスタカーで大和八木まで行き、急行に乗り換えて室生口大野駅で下車。バスで15分ほどで室生寺に到着です。近鉄の電車は数も多く便利なのですが、バスの便数が少ないので注意が必要です。

 ちょうど春の特別拝観が始まったばかりで、金堂に国宝や重文の諸仏像が立ち並ぶ光景を、公式サイトのトップページの写真さながらに、まじかで眺めることができました。実は悠平は仏像にまったく関心がなく、以前は、お寺といえば広い境内をただ走り回るのが好きなだけでした。しかし、最近では父親に付いて歩いて、静かに眺めるくらいのことはできるようになってきました。「悠くん、仏さまに手を合わせよう」と促すと、両手を合わせます。


 有名な五重塔まで、境内は石段続きでしたが、悠平は嫌がることもなく、先に立ってずんずん登りました。さらに奥ノ院まで行ってみたかったのですが、バスの時間が気になり、次回の楽しみに取っておくことにしました。
 ご朱印は本堂(潅頂堂)でいただきました。中にいた女性の方が悠平に「大きいね。何年生?」と声を掛けてくれました。悠平は返事ができず、照れたようにニコニコするばかり。わたしと少し雑談になり、自閉症のことを話しました。参拝に来られる方の中には、車いすの方もいらっしゃるとのことです。「体が動くということは、ありがたいことですね。美しいものをたくさん見せてあげてください」と言われました。「なるほど、その通りだなあ」と思いました。親として悠平にしてあげられることの一つだろうと思います。これからもできるだけ、美しいもの、本物を見せてやろうと思います。
 復路のバスは、室生口大野駅の一つ手前の大野寺で降り、河原の崖に刻まれた高さ10メートル余りの磨崖仏を拝んで駅に向かいました。

 悠平と一緒の外出で課題の一つは食事です。偏食が激しい悠平は、外食でも決まったものしか口にしません。あると助かるメニューのベスト3はトリの唐揚げ、ハンバーグ、エビフライ。都市部の街中なら、デパートやショッピングセンターにファミリータイプのレストランが見つかるのですが、寺社巡りの場合は意外に苦労します。室生寺の門前にも食事ができる店は数軒あり、山菜料理などおいしそうなメニューも見えましたが、悠平連れでは無理です。近鉄百貨店がある大和八木駅まで戻って、昼食を取ることにしました。

 大和八木は近鉄大阪線橿原線が交差する大和路の交通の要で、これまでも何回か下車しています。近鉄百貨店にはハンバーグを出す店があるのですが、この日の悠平は強硬に唐揚げを要求。今後もこの駅は利用しそうなので、新しい店を探しに少し駅周辺を歩きました。ほどなく、お昼の定食に唐揚げを出しているうどん屋さんを見つけました。みそ汁をうどんに変更してもらって、小鉢付きで写真のボリューム。これでも1000円でおつりが来ました。唐揚げとごはんは悠平に、うどんと小鉢、刻みキャベツはわたしが別に注文した玉子丼と一緒にいただきました。父子ともに満足の昼食でした。
 昼食後は近鉄橿原線を北上。薬師寺にお参りしました。
 ※薬師寺公式ホームページ
 http://www.nara-yakushiji.com/

 ここも春の特別拝観中で、国宝の吉祥天女画像もまじかで見ることができました。ご朱印は2種類いただきました。右は通常のもの。左は吉祥天女画像の公開期間限定とのことです。
 薬師寺から徒歩で10分ほどの唐招提寺も訪ねたかったのですが、悠平は疲れもあるのか拒否。帰りも近鉄特急でした。
 薬師寺を訪ねたのは大学生の時以来で30年余ぶり。その前は小学生の時でした。実に40年以上前のことです。今では金堂や講堂など創建当時の伽藍が復元され、大寺院の威容ですが、最初に訪ねた時には、創建当初から残る東塔がひなびた周囲の景観に溶け込んでいて、子ども心に自分なりの大和の原風景の記憶になっていました。今回の再訪で、この記憶の景色はすっかり遠いものになったことを知りました。さて、悠平は後々、この日のことをどんな風に覚えているでしょうか。

【追記】2013年3月24日11時20分
 このカテゴリー「父子乗り鉄と巡礼」に分類できそうな主な過去記事をリストアップしてみました。あわせて読んでいただけるとうれしいです。

▼2013年
1月6日「父子で初もうでと鉄道史跡めぐり」
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20130106/1357419663
▼2012年
12月10日「試行錯誤は終わらない〜おまけ 紅葉2012」
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20121210/1355149386
10月20日「父子乗り鉄と巡礼」も視覚支援で
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20121020/1350705555
9月17日「『先達』になって西国三十三所を再び巡礼(もちろん『乗り鉄』も)※追記・『出発進行ルール』も思わず忘れたパトカー電車」
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20120917/1347839093
9月1日「西国巡礼、父子で満願成就です」
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20120901/1346488708
8月27日「汗と笑顔とパニックと――夏休みの家族旅行」=妻が書きました
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20120827/1346021749
6月17日「西国巡礼〜父子の旅」
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20120617/1339887227
▼2011年
8月8日「クジラに大喜びの夏休み旅行〜パニック増大にとまどい」
http://d.hatena.ne.jp/yuheipapa/20110808/1312757481