講演会「災害時に必要な障害児者への支援と家族の心構え〜阪神大震災の経験を通して〜」に参加して

妻(yuheimama)です。悠平の通う支援学校で先日、表題の講演会がPTAの学外交流委員会主催で開催されました。講師は社会福祉法人えんぴつの家理事長の松村敏明さん(神戸市)。松村さんは特殊学級(当時)を担当した経験のある元教師で、奥さまの弟さんが重度の知的障害者という、障害者の家族でもあります。

講演では、阪神大震災の朝の様子に始まり、自らバイクで障害者の安否確認に回った体験談などを話してくださいました。当時、区役所では個人情報の保護のため、障害者の名簿を開示してくれず、それでいてほかのことに手がいっぱいで障害者の安否確認には手が回りませんでした。そこで、ご自身の頭の中にある「リスト」をもとに安否確認。以後は生活支援へと活動が移行しました。学校の体育館などの避難所に長期滞在できない障害者のためにプレハブ建設もしましたが、中には挨拶などを通して避難所での人間関係が形成でき、あえてプレハブに移らなかった障害者家族もいたということです。

話はさらにグループホームなどの事業展開や、そこで暮らす人々の生活の様子にまで及びました。全体を通して印象に残ったのは、「地域のネットワークの重要性」と「障害者にとっての自立の意味」でした。では、地域で人とつながって自立して生活していくとはどういうことなのでしょう。地域のネットワークづくりとしては、歩いて回れる小学校の校区ごとに小規模な作業所を作り、毎月バザーを開催するなどして、地域の拠点づくりをしてきたという具体例を挙げられました。障害児者の家族が自ら声を上げ、行動することの生きた見本だと思いました。

さらに、そうして築いた地域で「自立して生活する」とはどういう意味なのでしょう。自立というとまず「自分で稼ぐ」という経済的な点を思い浮かべるかもしれませんが、障害者年金と場合によっては生活保護でまかなっている方々が実際にいるそうです。経済面以外はというと、自分にできないことについては「助けを求める、頼む力を持つ」ということでした。例として、パン屋さんで働く車いすの青年のエピソードが挙げられました。彼はリフト付きのバスがなかったころに、通勤でバスに乗るたびに「乗せてください」と支援を求め、お客さんやバス会社の方々に持ち上げてもらっていたのですが、そのうちに腰を痛める人が出て「勘弁してくれ」と言われたそうです。そこで、障害を理由に乗車拒否するのではなく、バスにリフトを付けるように市と交渉すべきではないかと主張し、その結果、市内のバスにリフトが完備されたということでした。支援を求める一声が社会を変えた一例です。このほかにも幾つかの実例が語られ、そのたびに私は大きくうなづいてしまいました。

悠平の将来を考えた時、私たち夫婦亡き後のことを漠然と不安に思ってきました。悠平が大人になったとき、独力で何ができて何ができないかにもよりますが、完全な一人暮らしというのは難しいだろうと思っています。その時に最も必要なのが、地域の方々や支援スタッフに助けを求める力なのだろうと思います。今回の講演には、防災や被災した場合についての内容を予想して参加したのですが、そこからさらに、障害者の生活力にまで話が広がり、思いがけない収穫を得られました。と同時に、こうした講演会を学校で聞くことができるというのが、支援学校ならではだなと、改めて認識しました。


追記:思いっきり余談ですが、この日の帰り、新たに沖縄ダイニングを発見。ちょうどお昼時だったので、おひとりさまでゴーヤチャンプル定食を注文。お料理が出てくるまでメニューを眺めていると、沖縄そばラフテー定食など、沖縄ならではのメニューの中に、な、な、なんと「唐揚げ定食」が! これなら悠平連れでもOKかと、即、沖縄好きのyuheipapaにメールしました。もちろんゴーヤチャンプル定食、おいしかったですよ!