登校初日、がんばりました

yuheipapaです。妻(yuheimama)と悠平と3人で大阪・高槻から東京・世田谷に引っ越して10日。東京都立の特別支援学校に転校した悠平は、きょうが2年生1学期の始業式でした。新しい先生、新しい友だち、新しいスクールバス。一般に自閉児は環境の変化が苦手と言われますが、悠平はよくがんばったようで、元気に帰ってきました。
当初は「東京はいや!高槻がいい!」と言い張っていた悠平に対して、大阪にいた先月、ネットで探した転校先の学校の画像を見せることから“転校プロジェクト”を開始。悠平が特に乗り物へのこだわりが強いことから、yuheimamaが学校にお願いしてスクールバスの写真もメールで送っていただきました。こうした視覚支援が功を奏したのか、悠平は新しい学校に関心を示すようになりました。引っ越しから数日後の先週、始業式に先立って、家族3人で学校を訪ねて教職員の方と面談。このときも悠平は少しだけぐずりましたが、パニックを起こすこともなく上機嫌でした。
そして迎えたきょうの初登校日。転校生はスクールバスではなく保護者同伴で登校とのことで、昨日、休日出勤だった私も休暇を取り、yuheimamaと一緒に悠平を学校まで送りました。早めに着いて待っていると、スクールバスが次々に到着。子どもたちは学年が変わって場所も変わった下駄箱を確認しながら上履きに履き替え、準備が終わった子から廊下に並びます。全員がそろったクラスから教室に向かって出発。悠平のクラスも出発しましたが、悠平はと言えば、その場を動こうとしません。どうやら外に止ったままのスクールバスが気になって仕方がなかったようです。
わたしに後ろから押されるようにして何とかかんとか、教室の前まで来た悠平でしたが、やはり緊張しているのか、すんなりとは入りません。yuheimamaとわたしで、悠平を廊下から放り込むように教室に入れて、あとは担任の先生にお任せしました。ドア越しに見ていると、悠平は徐々に緊張もほぐれてきたのか、持ってきた荷物の整理を無事に終えると廊下に出てきてトイレへ。戻るころには、わたしやyuheimamaを見ないように、顔をそむけるように教室へ入っていきました。これは、もはや悠平が学校に同化したので、わたしやyuheimamaがここにいてはいけないというサイン。悠平にとって家庭での登場人物であるわたしやyuheimamaは、学校では不要なのです。なので、見ないようにするのが悠平流。わたしたち2人は安心して学校を離れることができました。悠平は始業式を終えて、帰りはスクールバスでした。
初日はまずまずうまくいきました。明日から本格的な通学が始まります。


【写真説明 世田谷区・豪徳寺に奉納されている招き猫】

わが家から徒歩圏に、招き猫で有名な豪徳寺という曹洞宗の寺があります。大阪転勤の前にも悠平を連れて散歩に来たこともありましたが、関西での「乗り鉄と巡礼」に実は縁があることを知りました。
この寺は江戸時代、滋賀・彦根藩主の井伊家の菩提寺になりました。ウイキペディア「豪徳寺」では、2代藩主井伊直孝が猫によりこの寺の門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという話が紹介されています。
※ウイキペディア「豪徳寺」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AA%E5%BE%B3%E5%AF%BA
この猫が、ゆるきゃらとして一世を風靡した滋賀県彦根市の「ひこにゃん」のモデルというわけです。ウイキペディア「ひこにゃん」では上記と少し異なって、豪徳寺井伊直孝がにわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた際に、手招きをする白猫を見て近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちたとのバージョンの話が紹介されていますが、いずれにせよ直孝が猫に招き入れられた、という逸話は共通しています。
※ウイキペディア「ひこにゃん」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%93%E3%81%AB%E3%82%83%E3%82%93
2年前の夏、「父子乗り鉄と巡礼」で悠平を連れて、琵琶湖の竹生島を訪ねた帰路、彦根城に寄ってひこにゃんと対面したことがあります。悠平は大喜びで、「ひこにゃんひこにゃんひこにゃんにゃん〜」と歌いながら飛び跳ねていました。
先週、区役所に転入手続きに行った折に、豪徳寺を訪ねました。江戸で亡くなった彦根藩主や家族の墓があり、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓もあります。たくさんの招き猫が奉納されているのを見て、世田谷と関西とひこにゃんとわが家の縁をあらためて感じました。
【写真説明 彦根で対面したひこにゃん=2012年7月】