『療育なんかいらない!』って、どういうこと⁉

妻(yuheimama)です。先日、刺激的なタイトルの本を発見しました。その名も『療育なんかいらない!』。これは療育ママを自認する身としては、看過できません。タイトルから、これは私に対する挑戦状かと勝手に意気込んで読み始めたのですが、結果的にはおもしろくて一気読み。共感する点が多々ありました。

著者は、自閉症の男子中学生・がっちゃんを育てる佐藤典雅さん。放課後等デイサービスを運営する会社の代表を務められています。息子さんが4歳のときに療育のため、療育先進地の米国ロサンゼルスに転居。9年間、療育を受けて帰国しました。では、9年間の成果はどうかというと、自閉症のこだわり・問題行動が改善されたとはいいがたく、中学校の特別支援学級や放課後デイでもいちばんすごい状態。こうした体験から、著者は療育を捉えなおしています。詳細は省きますが、以下に、私と悠平の経験と照らし合わせて共感した点を紹介します。

以前にも触れましたが、悠平は就学前、3年間の療育によって発達指数DQが20伸びました。私はそれを療育の効果だと疑わなかったのですが、あるとき、自然な成長による伸びと療育による伸びに明確な線引きをすることができるのか、療育を続けることによって伸び続けることは可能なのかという疑問がわいてきました。
悠平の場合、TEACCH、ST(言語)、OT(作業療法)などの継続的な療育によって、言語力、手先の技巧性、姿勢などに明らかな向上・改善が見られました。その結果、パニックの大幅な軽減や生活動作の向上、本人の自信につながったと見ています。一方で、療育から学習にシフトしつつある今、1桁の足し算は1年以上継続学習しても、自閉症ならではの想像力の困難と抽象概念理解の困難からか、暗算が完璧にできない状態が続き、「やればできる」と言い切れない現実があります。

この点について著者は、「療育はその子の潜在的な学習レベルを数年、前倒しできるということ。しかし、それによって着地するゴールのレベルが高くなる、という意味ではない。(中略)一つ誤解してもらいたくないのは、私は療育を全面否定しているわけではない。がっちゃんだって、同じ言葉を発するのであれば、6歳まで待つよりは4歳の時にできた方が楽しいに決まっているであろう」(pp60-61)と述べています。また、「アメリカほど療育を受けていない自閉症の子どもたちも、中学生になると、療育を受けた子どもとあまり変わらない状態になる」(p60)、「結果が大きく変わらないのであれば、療育に必死になって、大きなストレスを親子で抱えるよりは、開き直って日々を楽しんだ方がいい」(p61)と主張しています。さらに「がっちゃんは学校でも放課後でも、療育プログラムを何年にもわたり、とても手厚く受けてきた。しかし親として見ていると、がっちゃんはどこまでいってもがっちゃんだ。がっちゃんの自閉症の特性が変わることはない」(p79)、「気付いたらどこかの時点で療育に期待しなくなった自分たちがいた」(p81)と述べています。このあたりがタイトルの『療育なんかいらない!』につながっているのかもしれません。

療育によって自閉症の特性自体が変わることはないと認識した著者は、放課後デイを運営する中で出会った親子との関わりから、次のように書いています。「どうやら子どもの年齢が上がるに従って、療育に対する親の関心度は下がっていくらしい」(p98)、「療育で自閉症が改善されないのであれば、自閉症のまま受け入れてくれる『居場所』。これこそ、親が療育の次に求めるキーワードである」(p99)。そして、放課後デイの親子面談で、「うちでは療育はやっていません」と言って、親にギョッとされつつ、自閉症児がありのままで過ごせる放課後デイづくりを実践するに至ったのです。
この「居場所」というキーワードは、私にとってここ数年、別件を考える際のキーワードになっていました。それは「インクルーシブ教育」――障害の有無に関わらず、一緒に学ぶという教育方針です。インクルーシブ教育を提唱する方々の中には、特別支援学校を「分断・排除・隔離」の象徴のように捉える方もいらっしゃいます。確かにそういう面はあると思うのですが、一方でそこに「居場所」を得て、笑顔を見せる子どもたちがいることを考えると、とても全面否定する気にはなりません。
本のなかでは、インクルーシブ教育については触れられていませんが、東京大学の「ロケット/異才発掘プロジェクト」の中邑賢龍(なかむらけんりゅう)先生による、「自閉症の子どもたちは、常識の外にいる子たちだから、佐藤さんも常識にとらわれた施設をつくる必要はないと思いますよ。自閉症を変えることはできないから、環境を彼らに近づけた方が早いですよ」(p102)という言葉を紹介しています。
常識からみると「突拍子もない言動」を引き起こす自閉症を、「これが自閉症だ!」と周囲に理解を求めるていくことは、親にとってはなかなか勇気がいることです。それでも、他者を傷つけるような言動の予防を心掛けつつ、まずは居場所を確保して、隣近所の人々と知り合っていく。そうした日々の積み重ねが、環境づくりの第一歩なのかもしれません。
著者は本文を次のように結んでいます。「日々の活動を通して、身近な隣の人から一人ずつ変えていけば、いずれコミュニティ全体が変わっていく。そう、世界平和を唱えるよりも、隣の人とケンカしないこと。『世界中の自閉症』よりも、『隣の自閉症』だ」(p186)。

――『療育なんかいらない!』というタイトルは実にキャッチーでした。yuheimamaとしてはこの本のメッセージを「療育は発達を促すけれど、万能ではない。親子でストレスを感じるような療育だったら再考して、自閉症に合う環境づくりを考え、親子でハッピーを追求しよう」と受け取りました。