夏休み2018 その2

 yuheipapaです。悠平と過ごした夏休みの振り返りの続きです。

▼凛とした空気、早池峰神社
 ことしも悠平、わたしと妻(yuheimama)の3人で、妻の両親、つまり悠平の祖父母の墓参に岩手に行きました。花巻市の「るんびにい美術館」を訪ねたことは、既にyuheimamaがこのブログでお知らせしました。

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 花巻市では旧大迫(おおはさま)町の早池峰神社にも足を延ばしました。北上山地の最高峰で百名山の一つ、早池峰山の登山口に当たり、山岳信仰と早池峰神楽で知られる山あいの古社です。旧大迫町が設置した説明板によると、本殿の築造は1612年とのこと。南部藩の手厚い保護を受けていたようです。
 悠平と一緒に各地の神社を巡っていますが、この神社の境内は、ほかのどこよりも凛とした空気が張り詰めているのを肌で感じました。身が引き締まる思いで参拝するとともに、昔の人たちの自然への信仰心に思いをはせました。
 社務所は無人でしたが、案内にあった通り、御朱印は近くの宿坊で書き置きをいただきました。

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 花巻界隈は「わんこそば」で知られるソバどころです。昼食は、かねて気になっていた地元発祥の和食レストランチェーンでおそばをいただきました。メニューには、たっぷりの冷たいつゆとカリカリの天ぷらが大好きな悠平のために用意されたかのような「冷やかけ天ぷらそば」があり、迷わず注文。東京では冷たいそばと天ぷらの組み合わせは、「ざるそば」「もりそば」になってしまい、つゆたっぷりの丼タイプは冷やしタヌキかキツネぐらいしか見かけません。悠平は「おいしいね」とつゆまで完食でした。わたしは天ざるをいただきました。

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▼1000段の石段~山形・立石寺へ
 岩手への旅行は墓参のほかにもう一つ、目的がありました。山形県山形市にある「山寺」こと立石寺(りっしゃくじ)参拝です。
 東北新幹線で岩手に別れを告げ、仙台で下車。山形に向かう在来線のローカル線、仙山線に乗り換えて、山形県境に近い作並温泉に一泊しました。翌朝、再び仙山線の電車に乗って「山寺駅」で降りれば、ホームからも見えるのが立石寺です。
 ここは松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中に寄り、「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」の俳句を詠んだ場所として知られる天台宗の古刹です。山中を1000段余りの石段を登った急峻な斜面を切り開いて、奥の院を始めとしていくつもの堂宇が立ち並んでいます。特に五大堂からの眺めのよさが有名です。
 わたしと悠平は関西在住当時、山の中にある寺にもあちこち行っており、悠平は小学校に入る前、880段の石段も登ったことがあります。1000段の石段にわたしと悠平はさほどの心配はありませんでしたが、暑さもあるのでyuheimamaは無理をしないことにして、わたしと悠平が参拝を終えてに降りてくるころに、麓で待ち合わせることにしました。

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 さて、わたしと悠平は麓にある根本中堂(本堂)にお参りした後、石段の登山道へ。途中には芭蕉と門人の曽良の像がありました。日差しが強い日でしたが、登山道は木立の陰になっており、清々しい空気に満ちていました。悠平に「気持ちいいね」と声をかけながら、石段を登り始めましたが、直に汗が吹き出し息も途切れがちに。こまめに立ち止まって休息を入れ、水分補給をしながらゆっくりと時間を掛けて登りました。やがて山上の境内の入り口である仁王門が見え、斜面に立ち並ぶお堂の一つ一つにお参りし、御朱印をいただきながら無事に奥の院に着きました。普通の大人の足で、登山道入り口から奥の院まで20~30分ぐらいとのことですが、わたしと悠平は40分ぐらいのペースだったでしょうか。

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 絶景で有名な五大堂へは、奥の院から少し下ったところにある開山堂と納経堂の脇の狭い道を登ってすぐです。眼下に仙山線の線路と山寺駅、門前の街並みを望むパノラマは、わたしも悠平も見飽きませんでした。

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 無事に麓に降りて、作並温泉の宿をゆっくり出てきたyuheimamaと合流。yuheimamaも根本中堂にはお参りできました。昼食は3人で、門前町のおそば屋さんに。わたしは山形名物の板そばに天ぷら付きを頼みました。板そばは、大量のそばがせいろではなく、板のような浅い木の箱に盛られています。かなりの量でしたが、箸が止まらないおいしさで、難なく食べ切りました。悠平が食べたのは冷やし肉そば。これも山形のご当地そばのようで、具は煮た鶏肉でした。写真に写っているエビ天は、わたしから。悠平はここでもつゆまで完食でした。

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 帰りの電車まで時間があったので、門前のみやげもの屋さんで山形名産の洋ナシ、ラ・フランスのジュースと、これも山形名産の玉こんにゃくをいただきました。ちょっと妙な取り合わせでしたが、山形の味を満喫しました。悠平とyuheimamaは、それぞれラ・フランスのソフトクリームとサクランボのソフトクリームでした。帰路は山形駅に出て山形新幹線に。いつもは東北新幹線で往復する岩手への墓参ですが、今回は仙山線や山形新幹線に初めて乗ることができて、悠平は東北の旅を満喫したようです。

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▼平和を考える季節
 わたしはマスメディア企業に勤め、報道の仕事に従事して三十年以上になります。8月は新聞もテレビも、6日と9日の広島、長崎の原爆の日、15日の終戦の日に関連した記事や番組が増えることもあって、この時期はいつのころからか、個人的にも戦争と平和について考えながら過ごすようになりました。そんな中、悠平とのお出かけ先を探していて、東京都調布市の調布飛行場に隣接する「武蔵野の森公園」に、旧日本陸軍の戦闘機を米軍の空襲から守るために作られた「掩体壕」が保存されているのを知り、悠平と一緒に訪ねてみました。
 調布飛行場は陸軍航空隊の基地として建設されました。掩体壕に掲示されている説明によると、1941年(昭和16年)4月に完成。滑走路は南北1000メートル、東西700メートルの2本。掩体壕は1944年ごろから、コンクリート製の約30基、土塁の約30基が作られ、うちコンクリート製の2基が保存されています。
 配属されたのは戦闘機「飛燕(ひえん)」を中心とする飛行部隊。戦争末期には米軍のB29爆撃機を迎え撃ちますが性能の差から戦果は上がらず、最後はB29に体当たりしました。飛行場では特攻隊の訓練も行われたとのことです。

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 保存されている掩体壕の傍らには、掩体壕とその中で待機する飛燕の様子を再現したブロンズ像が置かれています。公園の中の高台からは、調布飛行場の全景を望むことができました。今は平和な光景が広がっていますが、掩体壕は、70年以上も前、確かにここで戦争があったことを物語っています。

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 悠平はと言えば、飛行場の駐機場に小型機がずらりと並んだ光景が気に入ったようでした。掩体壕や飛行場の滑走路を見ながら、戦争について悠平にいろいろ話しましたが、どこまで理解できたかは分かりません。抽象的で難しすぎて、ほとんど分からなかったのではないかと思います。それでも、親子3人が一緒に暮らし、日々、笑顔で過ごせることが何より。だれのことも、どの国のことも憎まずにいられる、それが平和のために大事なことなのだと、いつか悠平が思うようになってくれることを願っています。