突然の変事に冷静だった悠平~yuheipapa骨折記

 yuheipapaです。
 悠平が昨年秋、右腕を骨折したことはこのブログでお知らせしました。何と今度は、わたしが転倒して右上腕部を骨折しました。年明け早々、1月中旬のことです。しばらく不便な生活が続きましたが幸いに経過は順調で、骨は無事につながり、現在は、固まった右肩から右腕にかけて、元のように動くようにするリハビリの最中です。焦らず、じっくり治していきます。

yuheipapa.hatenablog.com

 その日は休日で、午前中から悠平と「乗り鉄と巡礼」の散策に外出していました。東京の下町、江東区の門前仲町で深川不動尊にお参りした後、江戸御府内八十八カ所の札所を巡りながら両国に移動。さらに錦糸町方向に歩いて向かいながら、悠平と「天気が良いし、混んでいなければ久しぶりに東京スカイツリーに上ろうか」と相談していました。その直後、細い道から広い通りに出て右に曲がろうとして、歩道の段差につまずき、体のバランスを崩してしまいました。2センチにも満たない段差だったと思いますが、前のめりになってしまい、おっとっとっと、という感じで2、3歩進んだところで転倒。必ずしも記憶は定かではないのですが、首から掛けていたカメラをとっさにかばうようになってしまったのか、右肩のあたりに体重がかかるような姿勢になり、倒れた瞬間の何かがつぶれたような感触に「これは骨に来たな」と分かりました。
 しばらくは痛みはありませんでした。心配そうにのぞき込んできた悠平が「何をしているの」とひと言。「悠くん、お父さんが起き上がるのを手伝ってくれるかな」と言いながら、まず仰向けに姿勢を変え、背負っていたリュックを外すと、悠平がリュックを持ってくれました。次いで左腕を下に、ようやく起き上がることができました。
 体の様子を点検したところ、右手の手のひらは動くものの、腕は動きません。救急車を呼ぼうか、とも考えましたが、歩くのは問題なさそうですし、翌日以降の通院や治療のことを考えると、自宅に少しでも近い病院に行くのがいいと思い、とりあえずタクシーをつかまえ、自宅方面に向かってもらうように頼みました。
 タクシーに乗ってからyuheimamaに電話しました。急なことなので驚くのは当然。それでも何が起きたかを的確に伝えなければと、ちょっと考えてからスマホのダイヤル番号をタッチしました。伝えたのは、まず緊急事態だが悠平はけがもなく大丈夫ということでした。次いで、わたしが転倒して、どうやら腕を骨折したこと、タクシーで自宅の方向に向かっていること、近所で受け入れ可能な整形外科を探してほしいことを伝えました。yuheimamaもびっくりしたと思います。昨年に悠平が骨折したばかりだったので、なおさらです。でも機敏にあちこちと当たってくれ、やがて自宅から徒歩圏内の整形外科で診てもらう旨、アポイントメントを取ってくれました。悠平と一緒にタクシーでその病院に向かい、yuheimamaと合流しました。車内でだんだんと痛みを感じるようになり、冷や汗も出て軽いショック症状になっていたかもしれません。この間、悠平はパニックを起こすこともなく、わたしの荷物を持ち、落ち着いた様子で行動してくれました。
 当日のレントゲン検査で骨折が確認されました。右腕の骨の最上部の肩の関節に接する辺り、骨が膨らんでいる部分に亀裂が入っていました。診断名は「上腕骨近位端骨折」。翌日にはCT検査も受け、手術は不要ということになりました。悠平が骨折を治してもらった自宅近くの整形外科に転院し、リハビリを含めて全治2カ月との診断を受けました。3週間ほどはギブスをはめ、丸1カ月ちょっとの間は利き手の右腕をスリングで吊った不自由な生活が続きましたが、幸いに順調に回復してきています。

f:id:yuheipapa:20190303211948j:plain

【写真】ギブス(下)と腕を吊るスリング。

f:id:yuheipapa:20190303212233j:plain

【写真】スリングを装着

 今、骨折した当日のことを振り返ってもちょっと驚くのは、一緒にいた悠平が終始冷静だったことです。パニックを起こすこともなく、荷物を持ってくれたり、「お父さん、大丈夫?」と気遣う言葉をかけてくれたり。突発の変事だったのですが、まったく動じることがありませんでした。あらためて、悠平の発達が進んでいることが実感できて、これはうれしかったです。
 もう一つ、今さらながらに思ったのは、悠平の独特の感覚、具体的に言えば痛みへの強さです。このブログにyuheimamaが書いた通り、悠平は昨年秋、やはり右腕を骨折しました。その日は痛いとは一言も口にしませんでしたが、翌日、腕を上げることができなくなりました。yuheimamaが学校に迎えに行って、整形外科に連れて行き、レントゲン検査の結果、骨折が分かりました。そうなって初めて「痛い」と口にしました。わたしはと言えば、タクシーの中で痛みを感じるようになり、その後は時に泣きたくなるような激痛に思わず「痛い、痛い」と口走っていました。自閉の人の感覚は独特だとは、よく言われるところですが、悠平の痛みへの強さも、わたしたちには思いもつかない、ヒトの種の保存の上で何か意味を持つのかもしれない―。そんなことも考えています。
 思わず笑ってしまったのは、翌日の悠平のことです。翌朝、学校の担任の先生への連絡帳に、yuheimamaがわたしの骨折のこと、悠平も一緒にいたが終始、落ち着いて行動したことなどを書いて悠平に持たせました。学校に着くと悠平は先生に「きのう、大変なことがありました。詳しくは連絡帳を見てください」と話したそうです。思えば、悠平が自分で口頭で説明しようとしても、なかなかうまく言えなかったでしょう。相手に着実に伝えるコミュニケーション術という意味では、「詳しくは―」はそれなりに的確な説明かもしれないと感心しました。

 骨折して数日は通院などもあって仕事を休んでいましたが、その後は毎日出勤しています。最初は出勤前の身支度も、帰宅後の着替えも一人ではできず、yuheimamaに手伝ってもらっていました。2週間後くらいからは、帰宅後の着替えを悠平が手伝ってくれるようになりました。最初は「おかえりなさーい」と玄関で出迎え、わたしがコートを脱ごうとすると「僕が手伝うよ」と手を貸してくれました。それならいっそのことと考えて「お父さんのワイシャツも脱がせてくれないかなあ」と頼むと「うん」と言って袖口のボタンをはずしにかかりました。しかし、うまくいかずに「むり~」と尻込み。yuheimamaにシャツを脱がせてもらいながら「よーく見ててごらん。明日は悠くんにやってもらうよ」と“研修”を実施しました。翌日、予告通りに悠平に着替えの手伝いを頼みました。悠平もチャレンジ精神満々で、四苦八苦しながら時間はかかったものの、yuheimamaの手助けを借りることなく、わたしの着替えを終えました。その後は靴下の着脱まで手伝ってくれるようになりました。