絶妙あるいは微妙なヒント~人の気持ちを想像する

 妻(yuheimama)です。自閉症児者は相手の気持ちを想像するのに困難があると言われています。悠平も最近取り組んでいる国語の読解問題で、「このときの○○君はどんな気持ちだと思いますか?」的な質問の前では、毎回固まってしまいます。

 先日は、下校中の二人の男の子の会話が題材でした。一人の男の子が急にお腹が痛くなり、公園のトイレに寄ろうとしたものの、清掃中だったため、急いで家に帰ることにしたというストーリー。質問では、その子の様子を見ていたもう一人の男の子の心情を問うています。もう一人の男の子の気持ちは?

悠平「…分かんない」
母「じゃぁ、お母さんの具合が悪かったら、悠くんはどう思う?」
悠平「…分かんない」
母「(えっ!?←心の声)じゃぁ、お母さんの具合が悪くて、(スクールバスの)バス停に一緒に行けるか分からなかったら、悠くんはどう思う?」
悠平「しーんぱーーーい!」
母「じゃぁ、お腹の痛い男の子の友達はどんな気持ちだと思う?」
悠平「心配だと思う」
母「正解!」

 母の健康状態よりバス停への送迎を心配する悠平の発想を生かした絶妙なヒントだったかしらと思ったものの、よく考えたら、悠平が心配しているのはあくまで相手ではなく自分であり、やっぱり○○君の気持ちを想像したことにはならないのかもと微妙な気持ちになりました(バス停送迎をめぐる攻防は「悠平の心配事」「ついにハードルを越えました~悠平の心配事・完結編」を参照ください)。国語以外でも、四谷学院療育55段階のソーシャルスキルの課題で、場に相応しい言動を問う問題では、自分一人がどう行動するべきかというマナーはほとんど正答できるものの、対人関係が絡んでくると途端に正答率が下がります。クリニックでも「認知力は上がってきているけれど、関係性が認知力ほどには育っていない」と指摘されました。

 何事も1人称で判断しているかに見える自閉症。ここまではっきり特性が見えてくると、社会への適応力を向上させるために本人への働きかけをさらに強めるべきか、そうしたありようを包摂する社会を志向するほうが悠平にとって生きやすいのか悩ましくなってきます。学齢期も後半にさしかかり、悠平に合った課題を模索しながら、今まで以上に周囲に支援者・理解者を増やしていきたいと思います。「みんな違ってみんないい」――お題目だけではない多様性の必要をひしひしと感じています。