夏休み突入!

 妻(yuheimama)です。1学期があっという間に終了し、夏休みが始まりました。長~い夏休み、悠平にとって有意義かつ私にとってストレスフルにならないよう、過ごし方を考えておきました。

 悠平は生活習慣へのこだわりが強いため、これまで放課後等デイサービスには週に1回、決まった曜日にしか通所できずにいました。そこを何とか乗り越えたいと、8月には週2回の通所にチャレンジです。1学期からデイのスタッフにも働きかけていただき、渋々ながら「うん」と言った悠平。頑張れ悠平! 行ってくれると母も助かる~。

 長期休みのお約束は映画館でのアニメ映画鑑賞。まずは夏休み初日、ディズニー・ピクサーカーズ/クロスロード』を観に行きました。内容は大人向けだと思いましたが、悠平は次から次に出てくるさまざま車に釘付け。集中して観ているようでした。8月にはユニバーサル・スタジオ『怪盗グルーのミニオン大脱走』を観に行く予定です。

 日帰りできる博物館も要チェック。学校の遠足で行って楽しかった藤子・F・不二雄ミュージアムの再訪や、リニューアルしたポリスミュージアム(警察博物館)、そして敬愛する岡本太郎先生の記念館に行くことも計画しています。

 そして忘れてならないのは、家庭学習。学校の宿題と療育55段階を柱に、国語算数に取り組みます。なかなかクリアできない繰り上がりの足し算の理解が進むよう、継続して学習する予定。お金については、おつりを理解できるよう、教え方を検討中です。

 今年の夏は暑くなりそうですが、夏バテしないよう体調管理に気をつけて過ごしたいと思います。

就学相談――小5になって思うこと

 

妻(yuheimama)です。7月に入り、夏休みの家庭学習や外出予定などをあれこれと考え始めています。

来年、小学校入学を控えたご家庭では、そろそろ就学相談が気になり始める時期ではないでしょうか。そこで今回は、悠平の就学相談で迷ったこと、気になったことを振り返り、特別支援学校小5になった今、懸念していた事柄が実際はどうだったのかをまとめてみたいと思います。支援学級か支援学校か、悠平の場合は「学習面、生活面、地域のお子さんたちとの交流」などをポイントに検討しました。

【学習面】
就学前、学校見学をしたときには学習内容が非常に初歩的に思え、支援学校側からも「学業優先なら支援学級に」と言われて大いに悩みました。知的に軽度なら支援学級、重度なら支援学校という考え方もありますが、悠平の場合は知的に中度なので判断がより難しかったように思います。

参考までに、4年生の授業参観で見た「国語・算数」を紹介します。クラスの在籍児童は6人、教員は2人です。授業は集団学習と個別学習で構成されています。まずは集団学習について。通常学級であれば、教員が一斉授業するところですが、支援学校では6名という少人数であっても、児童の認知レベルも特性もそれぞれ違うため、一つの素材を使いながら個別課題に即したアプローチをしていました。例えば算数では、一人ずつサイコロをふり、数の理解が難しい子は教員と一緒に目を数え、一人で分かる子は自分で数え、足し算ができる子は2回ふって目の合計を計算するという具合です。個別学習では、発達検査に基づく療育課題(「目と手の協応」や「手先の微細運動」など)を中心に、それぞれの課題に応じて読み書きや数・計算といったプリント課題に取り組んでいました。

総じて、授業では新しいことを次々に教えていくというよりは、苦手補強をしながらボトムアップを目指すという印象があります。悠平の場合は、就学前に家庭で取り組んでいた療育課題は学校に任せ、国語算数は学校と相談しながら家庭学習を中心に進めています。

【生活面】
支援学校では、身辺自立や身だしなみが日課に組み込まれています。言葉かけだけでなく、視覚支援を多用しながら、毎日、毎週、繰り返し練習していくことで、一人でできることを増やしていきます。授業に乾布摩擦を取り入れ、体の洗い方を覚え、入浴の自立につながったときには、感心してしまいました。

係活動ではそれぞれが役割を担います。普通校であれば、もしかしたら係を担当しても周りのお友達に手伝ってもらうことがあったかもしれませんが、支援学校では時にはお友達を手伝うこともあるようです。また、悠平は昨年、学校行事の体育発表会開会式で、児童代表による「誓いの言葉」の一端を担いました。こうした機会が得られたのは、支援学校だったからかもしれません。

さらに悠平の場合、就学前後はパニックの最盛期であり、パニック対応と通学の継続が大きな課題でした。支援学校では視覚支援で見通しを持たせたり、学校生活の中であえて変化を経験させて慣れさせたりと、きめ細かい対応をしていただきました。最近では、パニックと思いこみの強さなどからくるわがままを見極め、わがままには断固とした態度をとるなど、一貫性のある対応をしてくださっています。学校と療育の相乗効果か、悠平のパニックは激減し、学校に楽しく通学できています。

生活全般を通して、専門性の高い教員が手厚く指導してくれるのは、支援学校の特徴です。

【地域交流】
地域の学童クラブ等に行っていれば、日常的な交流が持てると思いますが、支援学校と放課後等デイサービスが生活の中心である場合は、正直、機会が限られます。学校では地域の小学校との交流授業があったり、直接間接の交流を行う副籍制度がありますが、日常的といえるほど頻繁な交流ではありません。また、地域差があると思いますが、悠平の学校は区境に位置し、交通の便もあまりよくないため(わが家からは電車やバスを乗り継いで片道1時間以上かかります!)、自宅近隣の方々は支援学校がどこにあるかをご存知な方もほとんどおらず、地域住民の方々が障害のある子どもたちを身近に感じる機会が少ないという現状があります。

悠平は最近、お友達に積極的に関わりたがるようになってきましたが、周囲もマイペースな自閉症のお子さんが多く、なかなか一緒に遊べない様子。かといって、近所の公園で遊んでいる同年代のお子さんたちを見ると、サッカーや野球などをしているので、こちらもまた一緒に遊ぶのは難しそう。友達との関わりについては放課後デイで積極的に取り組んでいただいていますが、お友達、引いては地域交流は将来、地域に居場所を作っていく上での大きな課題だと思っています。

悠平は就学相談や学校見学を通じて大いに迷った結果、支援学校に就学しました。今では、のびのびかつゆっくりでも着実に育っている姿を見て、yuheipapaと「支援学校にしてよかったね」と話しています。就学相談の際には、支援学級と支援学校の特徴をメリット・デメリットという見方で判断しようとしたこともありましたが、5年間通学して思うのは、メリットとデメリットは表裏一体、子どもにとって大切なのは居場所があって、そこが合うかどうかなのではないかということです。また、すべてを学校に任せるのではなく、学校と家庭、放課後活動との役割分担を意識的に考えていくことも重要だと思います。悠平と我が家の体験談が少しでも参考になればうれしいです。

※以前に支援学校の先生が書かれた本をブックレビューしました(2014年11月3日「久しぶりのブックレビュー(2)――読書週間に寄せて」)。

 

 

お知らせ:「はてなブログ」に移転しました

 yuheipapaです。お知らせです。

 「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移転しました。記事、写真、コメントはすべて「はてなブログ」に引き継がれるそうです。過去記事は「はてなダイアリー」の以前のURLからでも「はてなブログ」に誘導されるとのことです。

 今後とも、よろしくお願いいたします。

11歳になりました

 妻(yuheimama)です。悠平は6月、11歳になりました。当日、学校ではクラスで「ハッピーバースデー」を歌ってもらい、放課後等デイサービスでは写真入りバースデーカードをプレゼントしてもらってご機嫌で帰宅しました。家では、かねてから誕生日にリクエストされていた絵本『くまモンとブルービーの大冒険』をプレゼント。しかし、今年はこれでは終わりません! 

くまモンとブルービーの大冒険

くまモンとブルービーの大冒険

 

  まず、母がサプライズでもう1冊用意していた本があります。『どうなっているの? からだの たんけん: ドラえもんの不思議はじめて挑戦』です。悠平はこれまでも絵本を一人で読むことがありましたが、絵本以外の本には手が伸びていませんでした。文字が中心の本の場合、読み進めても内容をイメージして、ストーリーを追っていくのが難しいのだと思います。そこで、絵本以外にも読書の幅を広げたいと考えた結果、選んだのが学習コミックです。「ドラえもんのプレ学習シリーズ」は、全編ひらがなで書かれており、内容も平易で実用的です。今年の春の遠足が、神奈川県川崎市にある藤子・F・不二雄ミュージアムだった悠平にはピッタリだと思いました。悠平は初めてのコミックに大喜び! あとは時間がかかっても構わないので、独力で読んでくれればと願っています。 

  また、悠平の誕生日の数日前に録画機が壊れてしまい、誕生日前日にテレビと録画機を買い替えることにしたところ、配送・設置が誕生日当日になりました。決して悠平の誕生日のために買い替えたわけではないのですが、本人は「今年の誕生日プレゼントは絵本とテレビ!」と美しい誤解をして、家電量販店で小躍り。テレビが届くと、さっそくリモコンの使い方をあれこれと試していました。

 さらに、その日は学校で栽培していたピーマンを収穫して持ち帰ってきたのですが、これも悠平はプレゼント扱い。結果、「今年の誕生日プレゼントは、絵本とコミックとテレビとピーマンの4つです!」と大喜び。現実を知らしめて、喜びに水を差すこともないかと、母は「よかったね~」と大人の対応? 来年、プレゼントを5つ要望されないよう祈っています。何はともあれ、元気に11歳を迎えられ、親子ともどもハッピーな1日になりました。

 

キャラクターTシャツの効用

妻(yuheimama)です。先日、悠平にミッキーマウスの半袖Tシャツを買いました。悠平は自分で選んで買ったTシャツをとても気に入って、それを着て登校。学校や放課後デイでうれしそうに話していたとのことです。

これまで悠平の洋服は、私が選ぶか、ネットで在庫のあるものの中から悠平に選ばせて購入していました。というのも、店舗で気に入ったデザインを見つけても、サイズが合わずに在庫がないといった場合に、大声で泣きわめかれては大変だと思っていたからです。今年に入り、学校の保護者会で「自分のものを自分で選ぶ機会を」という話があり、一か八かユニクロに連れて行きました。

恐れていた通り、悠平が気に入ったデザインのTシャツは、サイズ切れでした。悠平、神妙な顔つきで我慢しています。結局、別のデザイン、上述のミッキーマウスのTシャツを選びました。最初のTシャツがなかった場面で諦められれば◎だったのですが、騒がずに気持ちを切り替えて別のTシャツが選べたことは進歩です。これからも自分のものを自分で選ぶ機会を少しずつ増やしていこうと思いました。

 ←悠平お気に入りのキャラクターTシャツです

買い物から帰ると、悠平はミッキーTシャツを手に、「明日、これ、着ていく」と言って、引き出しから取り出した半ズボンと一緒に着替えカゴにセットしました(着替えカゴについては、「子ども部屋の構造化 in 東京」を参照ください)。以来、どのTシャツを着ていくか、自分で選ぶようになりました。時々、色柄の調和が合わない半ズボンを選ぶことがあるので、そんなときには「シャツとズボンを格好よく合わせることをコーディネートと言うんだよ」とアドバイスしながら一緒に選んでいます。最近では、洋服に合わせて、スニーカーも赤いラインと黄色いラインのどちらを履くのか、自分で判断するようになってきました。

梅雨に入り、肌寒い日には七分袖を着せたい日もあるので、前夜には一緒に天気予報の予想最高気温をチェック。悠平はまだ一人で最高気温が何度なら半袖か七分袖かを判断できないのですが、「天気予報ー気温ー衣服の調整」の関係を理解しつつあるようです。

高学年になり、そろそろキャラクターTシャツを卒業させたいと思っていましたが、キャラクターのおかげで、身辺自立がまた一歩前進できたように思います。将来、センスのいいイケメンになれますように!?

秩父三十四観音の巡礼を終え、日本百観音を結願です

yuheipapaです。久しぶりに書きます。
昨年5月、坂東三十三観音の巡礼を終えたことは、このブログでも書きました(「坂東三十三観音の巡礼が終わりましたー付記・春の花2016」=2016年5月14日)。その後、悠平と二人で埼玉県秩父市を中心に34カ所の観音霊場を回る秩父三十四観音の巡礼を続け、先月無事に終えました。これで、近畿地方の西国三十三観音、坂東三十三観音と合わせて、日本百観音と呼ばれる観音巡礼をひとまず終えました。 
結願(「けちがん」と読みます。巡礼が終わることです)した札所三十四番、水潜寺(すいせんじ、皆野町)では日本百観音巡礼の終了証のようなものと、秩父三十四観音の終了証をいただきました。百観音は3千円、秩父三十四観音は千円をお寺に納めました。坂東のときと同じように、百観音には私と悠平と二人の名前を並べて書き入れていただきました。秩父三十四観音の方は名入れはないそうです。住職のお話では、観光バスで団体の巡礼が来た場合に、とても対応できない、とのことでした。山奥にあるお寺で、境内にきれいなシャガの花が咲いていました。寺社巡りをするようになってから名前を知った花の一つです。

西国観音巡礼を思い立ったのは、6年前の2011年夏、家族旅行で和歌山県の太地町や那智勝浦町を訪ねた時のことでした。その年の2月に、わたしの転勤に伴い東京から大阪府高槻市に転居していました。那智の滝を見に行って、すぐそばにある西国霊場一番の青岸渡寺にお参りした際、亡父が若いころ、九州から出かけてはお参りし、ご朱印を集めていたのを思い出しました。今度はわたしが悠平と一緒に回ってみようと、その場でご朱印帳を買い求めました。
以後、西国霊場は転勤で大阪を離れるまでの3年弱で2巡以上、回りました。坂東はおおむね2年で1巡、そして秩父が1年で1巡です。この間、休日のわたしと悠平の2人での外出が定着しました。悠平にとっては、出不精にならずに済む、体力作りになる(三つの霊場とも、原則として公共交通機関と徒歩で回りました)、大好きな電車やバスに乗れる機会になるなど、いいことがたくさんありました。わたしにとっても、平日はなかなか悠平と密接に過ごす時間を取りにくい中で、週に1度か2度とはいえ、悠平の成長ぶり、発達ぶりをじかに感じ取ることができました。また、そうやって悠平が1日、家を空けることは、yuheimamaにはいい休息時間になります。
観音巡礼を始めた時、悠平は5歳になって間もなくで、幼稚園の年中組でした。百観音を巡り終えた今はもうすぐ11歳の小学5年生です。恐らく幼児のころは、何が何だか分からず、ただ大好きな電車やバスに乗れるので付いてきていたのだろうと思います。秩父を回った1年間は、寺ごとの特徴を口にするようになったりしました。わたしと並んで般若心経も途中までですが、唱えるようになっています。悠平なりに巡礼の意味をとらえ始めたのかもしれません。よく成長したと思います。私も悠平に向き合いながら、多くのことを学びました。親も一緒に成長したのだと思います。

【写真】水潜寺の境内のシャガ

実は、この記事を書くのに際して調べてみて気付いたのですが、秩父巡礼の初日、一番の四萬部寺(しまぶじ、秩父市)に行った日から、水潜寺で巡礼を終えた日までちょうど1年、ぴったり365日でした。特に意識していたわけではなく、たまたまでした。ちょっと驚きです。
秩父には10回訪れました。複数の府県にまたがった西国や坂東と違って、秩父音霊場は秩父市とその周辺に霊場が集まっているので、だいたいどのガイドを見ても、6日か7日なら余裕を持って回れるとしていますから、10回は相当にゆっくりしたペースです。急ぐなら、タクシーをチャーターして1泊すれば、2日で回ることもできるそうです。
秩父は自然が豊かです。季節ごとにいろいろな花が咲きます。また江戸時代、江戸から巡礼が盛んにやってきたようで、歴史を感じさせる石仏や道しるべなども多く残っており、そうしたものにも目を向けながら、悠平とのんびり歩きました。もちろん、「乗り鉄」も西武鉄道秩父鉄道を楽しみました。
悠平と一緒に秩父路を歩いた思い出を、また改めて紹介しようと思います。

映画『ぼくと魔法の言葉たち』と原作『ディズニー・セラピー』

妻(yuheimama)です。少し前になりますが、都内の映画館でドキュメンタリー映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観ました。主人公は自閉症の米国人青年、オーウェン・サスキンドさん。大好きなディズニー映画のセリフによってコミュニケーションがとれるようになっていったとのエピソードに、絵本のセリフで表現力を伸ばしていった悠平と重なる部分があるかと思い、興味を持って鑑賞しました。

映画では、オーウェンさんの大学卒業から、支援員付きアパートでの一人暮らし、初恋と失恋などを軸に、両親や兄のインタビューを交え、それまでのオーウェンさんと家族の歩み、さらには将来についてが語られています。また、この映画では彼が愛するディズニー映画のシーンやキャラクターに加え、オーウェンさん原作のアニメも挿入されています。

オーウェンさんは2歳で発語が消えてしまった、折れ線型の自閉症。6歳のときに両親が、彼のモゴモゴした言葉がディズニー映画のセリフであることに気付き、ディズニーのセリフをフル活用して徐々にコミュニケーションがとれるようになっていきました。CG以前のディズニーアニメは、音を消しても理解できるほどキャラクターや場面がはっきり分かりやすく描かれていて、言葉の理解に困難があっても感情や思考、関係性を学ぶには格好の素材でした。ディズニー映画からさまざまなことを学んだ彼は、紆余曲折を経ながら成長してきましたが、青年期にさしかかり、ディズニー映画には描かれていない現実社会での困難に立ち向かいつつあります。

映画に登場したオーウェンさんは撮影者とのやりとりはスムーズながら、どこかおっとりした印象。作中、大学卒業の場面があり、私は映画では語られなかった障害者の大学事情や少年期までの成長過程をもっと知りたいと思い、原作『ディズニー・セラピー』を読むことにしました。

ディズニー・セラピー 自閉症のわが子が教えてくれたこと

ディズニー・セラピー 自閉症のわが子が教えてくれたこと

著者は父親ロン・サスキンドさん。ピューリッツァー賞受賞歴を持つジャーナリストであり、作家です。妻のコーネリアさんも元記者です。読んでみるとその内容は、原作というより映画の前日譚といった趣きでした。オーウェンさんが成長過程で、どういったセリフで自分の考えや気持ちを代弁したのか、どんなキャラクターに自分や周囲の人々を投影させてとらえていたのかが、そこかしこで語られています。残念ながら私はディズニー映画に詳しくないので、キャラクターの名前が出てきても姿形や性格が浮かんでこない場合が多かったのですが、彼の頭の中には膨大かつ正確なデータベースがあるようです。データベースといえば、悠平の鉄道データも相当なものですが、ディズニーの場合、人間関係を学ぶ要素が含まれることが特筆すべき点です。こうしたディズニー映画によるオーウェンさんの成長の軌跡が本の主題となっており、その成長を支える両親の考えや行動の数々がサイドストーリーのように織り込まれています。以下に、いくつかのサイドストーリーを紹介します。

オーウェンさんの知能は、推定IQ75で「知能障害スレスレ」(p56、原文ママ)。障害児向けの学校を数回かわり、一時は学校に行かず、母・コーネリアさんが「ホームスクール」でマンツーマンで教えていました。結果的にはこれによって学力が驚くほど伸びたといいます。自称療育ママの私も個別指導の効果に納得しつつ、それには多大なエネルギーが必要であることを実感しています。ロンさんがホームスクールの実施について、「母親なんだから仕方がない」とは考えず、「コーネリアの人生はどうなの?」(p146)、「彼女には、人生のかかった献身だ」(p147)と書いているところに、妻の人生を気遣い、尊重しようとする思いやりを感じました。また、別の個所ではオーウェンさんを育てる過程で、夫婦のどちらがより多くの犠牲を差し出すかを「犠牲ゲーム」(p300)と呼んでいるのに、苦笑いしてしまいました。

探し回って入学した大学では、G.R.O.W.(Getting Ready for the Outside World)という、外の世界に出るための準備をするといった名称の教育課程に在籍。この大学については、「私たち(=親)の多くが、『大学』という言葉を誤用していたことに気づく」(p340)と記しています。学業をこなして実社会に飛び立つ一般の大学とは異なり、卒業してしまえば「似た者同士のコミュニティという短いオアシスから、成人した障害者への長い旅路がはじまり、そこでは福祉サービスが、自閉症児の寄せる波に追いつかずに干上がっていく」(p341)現実があるとしています。映画で観たオーウェンさんの陽気で穏やかな笑顔とは対照的な、親の苦悩が見て取れました。

また、オーウェンさんは様々な医師やセラピスト、カウンセラーらの専門家に関わり、そうした「チーム・オーウェン」の支援を得て困難を乗り越えていきます。米国には選択肢が実に多くあるものだと、羨ましく、興味深く読み進めたのですが、それ以上に驚いたのが費用です。「自閉症児に必要充分な教育とセラピーを施すには、年に6万ドルほどかかる」(p263)といい、サスキンド家では年に9万ドル(=1000万円近く!?)費やしているというのです。しかも毎年。

並大抵ではない子育てをしながら、厳しい実社会に自閉症の我が子を送り出そうとする両親。原作では、日米の制度や機会の違いを越えた「親のリアル」に共感しました。ロンさんがオーウェンさんのこれからについて映画で語った「必要なのは失敗と挫折」という言葉に、その段階までオーウェンさんを育ててきた自信と、自立を見守る親としての覚悟を垣間見る気がしました。