江戸の歴史を訪ねて父子で散歩(でも悠平の関心はやはり電車)

yuheipapaです。
大阪にいた3年間、あちこちの寺社を悠平と一緒にめぐったおかげで、いろいろなことを覚えました。「納めの大師」もその一つです。真言密教の祖、弘法大師空海は3月21日に入寂(凡人のわたしたちなら「死んだ」ということです)したので、真言宗では毎月21日は縁日になっています。中でも年の終わりの12月21日は「納めの大師」と称して、京都・東寺などでは大変な人出でにぎわいます。21日の日曜日はそんなことを思い出して、東京・足立区の西新井大師へ「父子乗り鉄と巡礼」に出掛けました。
西新井大師 http://www.nishiaraidaishi.or.jp/
世田谷区の自宅最寄駅から東急田園都市線に乗ると、電車はそのまま東京メトロ半蔵門線を経由して東武スカイツリーラインに乗り入れます。西新井駅まで直通で約1時間。ここで大師線に乗り換え。2両編成、ワンマン運行の電車で一駅で「大師前」です。10分間隔で西新井―大師前をピストン運行しています。

駅を出るとすぐに参道で、立ち並ぶ露店を眺めながらゆるゆると歩いていくと、5分ほどで山門です。西新井大師参拝は初めて。巨大な本堂は壮観でした。境内には熊手の露店などが立ち並び、多くの人でにぎわっていました。
 
東武線で西新井に戻り、北千住で昼食後は、JR常磐線で一駅の南千住へ向かいました。ここからは、ちょっとした歴史の勉強です。
駅のすぐ近くに、JRの線路を挟んで小塚原回向院と延命寺という二つのお寺があります。鉄道が通る以前、もとは一つのお寺で、このあたりに江戸時代、小塚原刑場がありました。その刑場で刑死者を解剖する「腑分け」を実地に見た杉田玄白らが、洋医学書の「ターヘル・アナトミア」の臓器描写の正確さに驚嘆し、これを翻訳して「解体新書」を世に出した有名な話を記念する碑が、回向院にあります。説明書きによると、1922年に建てられた「観臓記念碑」が1945年2月に戦災に遭ったので、1959年になって、解体新書の絵扉をかたどった青銅板だけを設置したとのこと。日本医史学会、日本医学会、日本医師会の3者連名という由緒正しい碑です。

小塚原刑場は江戸時代末期には国事犯の処刑場になったとのことで、回向院の墓地には、吉田松陰や橋本佐内ら幕末の安政の大獄の刑死者の墓もありました。史跡として整備されており、無料で見学できます。ねずみ小僧の墓もありましたが、両国の回向院にもあるのを見たことがあります。関係はよく分かりません。
線路を越えて延命寺には、1741年建立という高さ3・6メートルの「首切り地蔵」があります。刑死者らの供養のためとのことですが、名前の割にはとても穏やかな顔つきでした。ここでの刑死者は計20万人とか。今はすぐ横を常磐線の電車が行きかい、周囲も建物に囲まれていますが、往時は大都会・江戸のはずれにあって、人間の業が渦巻く場所だったのだろうと、手を合わせながら想像してみました。

ちなみに回向院には「吉展(よしのぶ)地蔵尊」も立っています。1963年3月に身代金目的で誘拐され殺害された当時4歳の村越吉展ちゃんの供養のため建立されたとのことです。帰宅してあらためて調べてみると、この事件は誘拐事件での報道協定の最初のケースでした。警視庁捜査1課の敏腕刑事、平塚八兵衛でも知られる事件です。
※ウイキペディア「小塚原刑場」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%88%91%E5%A0%B4
※ウイキペディア「回向院」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91%E9%99%A2#.E5.8D.97.E5.8D.83.E4.BD.8F.E5.9B.9E.E5.90.91.E9.99.A2
南千住駅から10分ほど歩くと、素戔雄(すさのお)神社があります。松尾芭蕉がこのあたりから「奥の細道」の旅に立ったことにちなみ、境内には関連の江戸時代建立の句碑などがありました。富士山信仰の「富士塚」もあって、いろいろ楽しめる神社。池にはミニチュアの「千住大橋」がかかり、そばには編み笠と杖が置かれています。悠平に笠をかぶせて杖を持たせると、うれしそうに笑ってまんざらでもない様子。芭蕉の旅姿で写真を撮りました。
御朱印は、通常の印のほかに芭蕉の句碑をかたどった印もあり、双方を朱印帳に見開きで押してもらえます。実は南千住に立ち寄った一番の目当てはこの御朱印でした。
【写真説明】芭蕉の句碑。見づらいので、描かれている文字と絵の図解がそばにあります。

【写真説明】素戔雄神社の御朱印


わたしにとっては歴史散歩の1日でしたが、悠平の関心はやはり電車だったようです。帰り道に「悠くん、きょうは何が一番楽しかったですか」と尋ねると、すぐに「大師線!」と元気よく返事がかえってきました。
実はこの日、出かける先をどこにするか、悠平とちょっとした駆け引きをしました。以前は休日はわたしが立てた計画に文句も言わず付いてきていたのですが、大阪から東京に転居後は自己主張がしっかりしてきて、特に休日の外出は何線の電車に乗るかでわたしの提案を受け入れたり、拒否したりするようになっています。そこでわたしも、なるべく悠平が興味を引きそうな鉄道関連のプチイベントを日程に組み込むようにしています。この日は前夜から「悠くん、まだ大師線に乗ったことないよね。一駅だけの路線だよ。あしたは『大師線の旅』に行こう」と、悠平にとっての「初もの」をアピール。悠平は「大師線でおまいりに行きます!」とすんなり乗ってきました。
【写真説明】西新井へ折り返す大師線電車を見送る悠平

乗ってきた電車やバスの発車を見送らなければ、次の行動に移ろうとしない「出発進行」ルールは健在ですが、状況によって我慢することもできるようになりました。例えば、電車を降りて次の路線に乗り換えたりするとき、悠平が自分から「出発進行しないよ。すぐに乗り換えます!」と言うことが増えています。幼児期はこのルールに代表される、自閉児特有のこだわりの強さに手を焼きましたが、悠平が着実に成長し発達していることを感じます。
【写真説明】悠平はJR常磐線に乗ったのも初めてでした。せっかくなので南千住駅で「出発進行」ルールで見送りました。

【おまけ】南千住駅を通過する貨物列車と上野駅ホームの電車。悠平のリクエストで撮影
 
【おまけ2】東武大師線大師前駅には改札がありません。

往路は西新井駅で乗り換えの際に自動改札を通って精算後、電車に乗ります。大師前駅ではそのまま外に出ます。復路は切符を買わないまま電車に乗り、西新井駅であらためて切符を買ったり、ICカードを自動改札にかざしたりするシステムです。1駅区間の支線とはいえ、珍しいのではないかと思います。