撤回後も残る心のざわつき――茨城県教育委員の障害児出産「減らしていける方向に」発言

妻(yuheimama)です。先日、ある新聞記事に目が釘付けになりました。茨城県の教育委員が特別支援学校を視察し、障害児出産を「茨城県では減らしていける方向になったらいい」と発言したというのです。その後の取材でこの委員は「言葉が足らなかった」とし、さらに発言を謝罪・撤回。一度は教育委員続投の意思表明したものの、結局辞表を提出するという顛末となりました。新聞記事には、この委員の発言や取材でのやり取りの全文が掲載されていたわけではないと思いますが、キーとなる発言を時系列で振り返り、私なりに考えたことを記しておきたいと思います。

私が目にした第一報は11月19日朝日新聞朝刊です。記事によると、同月18日に行われた茨城県の教育施策を話し合う県総合教育会議で、長谷川智恵子委員(画廊副社長)が「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」と発言しました。会議後の取材で、出生前診断の是非などについて「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい」などと話しました。

同日の毎日新聞夕刊では、18日の会議で、同委員が「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になるとおろせないですから」と発言したことを紹介しています。その後の毎日新聞の取材に「早めに判断できる機会があれば、親も様々な準備ができるという趣旨。障害を認めないわけではない。言葉が足らなかった」と述べたといいます。

さらに翌20日の朝日新聞朝刊によると、同委員は「障害のある方やご家族を含め、多くの方々に多大な苦痛を与え、心からおわび申し上げます」とのコメントを出して発言を撤回、「失言で迷惑をかけたが、茨城の国際化や美術・文化の振興をするために頑張りたい」と教育委員の続投を意思表示しました。21日の朝日・毎日両紙では、最終的に同委員が辞職を申し出たことを伝えています。

まず私が衝撃を覚えたのは「茨城県では(障害児を出産することを)減らしていける方向になったらいい」「意識改革しないと」という意見です。障害児を選別して堕胎することを推進するともとらえられる発言には、意識的にせよ無意識にせよ、優生思想が潜んでいるのではないかと感じられました。また、誰にでも思想や表現の自由がありますが、教育委員という公的な立場で、命に関する考え方について「意識改革しないと」と、個人の意識に介入しようとする発言に強い違和感を感じました。

さらに「(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」という発言には、不快感だけでなく、恐怖感すら感じました。予算と障害児の命を結び付けた発言には、障害者「安楽死」計画を遂行した、ナチスプロパガンダに使われた論理を想起させられたからです。ナチスによる障害者の大量殺戮に関しては、以前のエントリー「戦後70年――戦時下の障害児者は?」の末尾に【参考】として紹介しました。また、11月7日に放送されたNHKETV特集「それはホロコーストのリハーサルだった」では、当時ドイツの5300全ての映画館で放映された、福祉・社会保障費削減のためのプロパガンダ映像の紹介がありました。障害者を扶養するためには多くの費用がかかり、その費用を健康な国民のために使うことができれば、どれだけ多くの健康な人々が家を買えるだろうか、といった内容です。ナチスは障害者の生存にはお金がかかることをアピールして、「障害児者の削減=殺害や断種」を正当化する素地を作ろうとしていたのです。

同委員は発言を謝罪・撤回する前に「障害を認めないわけではない。言葉が足らなかった」と述べていますが、私にはその言葉から、障害児の命を減らした方がよいとした理由も、障害児に関わる予算についてあえて言及したことの意図も読み取ることはできませんでした。批判が出たとたんに発言を撤回した経緯から察するに、一連の発言が優生思想や障害児者の歴史を熟知・熟慮した上でのものとは思えませんでしたが、特別支援学校を視察した後の意見が今回のようなものだったことは大変残念であり、謝罪・撤回された後にも、なかなか心が落ち着かずにいます。一方で、茨城県教育委員会によると、20日までに同委員の発言に対して六百件以上の批判等が寄せられた(21日毎日新聞)ことを心強く思いました。