11歳になりました

 妻(yuheimama)です。悠平は6月、11歳になりました。当日、学校ではクラスで「ハッピーバースデー」を歌ってもらい、放課後等デイサービスでは写真入りバースデーカードをプレゼントしてもらってご機嫌で帰宅しました。家では、かねてから誕生日にリクエストされていた絵本『くまモンとブルービーの大冒険』をプレゼント。しかし、今年はこれでは終わりません! 

くまモンとブルービーの大冒険

くまモンとブルービーの大冒険

 

  まず、母がサプライズでもう1冊用意していた本があります。『どうなっているの? からだの たんけん: ドラえもんの不思議はじめて挑戦』です。悠平はこれまでも絵本を一人で読むことがありましたが、絵本以外の本には手が伸びていませんでした。文字が中心の本の場合、読み進めても内容をイメージして、ストーリーを追っていくのが難しいのだと思います。そこで、絵本以外にも読書の幅を広げたいと考えた結果、選んだのが学習コミックです。「ドラえもんのプレ学習シリーズ」は、全編ひらがなで書かれており、内容も平易で実用的です。今年の春の遠足が、神奈川県川崎市にある藤子・F・不二雄ミュージアムだった悠平にはピッタリだと思いました。悠平は初めてのコミックに大喜び! あとは時間がかかっても構わないので、独力で読んでくれればと願っています。 

  また、悠平の誕生日の数日前に録画機が壊れてしまい、誕生日前日にテレビと録画機を買い替えることにしたところ、配送・設置が誕生日当日になりました。決して悠平の誕生日のために買い替えたわけではないのですが、本人は「今年の誕生日プレゼントは絵本とテレビ!」と美しい誤解をして、家電量販店で小躍り。テレビが届くと、さっそくリモコンの使い方をあれこれと試していました。

 さらに、その日は学校で栽培していたピーマンを収穫して持ち帰ってきたのですが、これも悠平はプレゼント扱い。結果、「今年の誕生日プレゼントは、絵本とコミックとテレビとピーマンの4つです!」と大喜び。現実を知らしめて、喜びに水を差すこともないかと、母は「よかったね~」と大人の対応? 来年、プレゼントを5つ要望されないよう祈っています。何はともあれ、元気に11歳を迎えられ、親子ともどもハッピーな1日になりました。

 

キャラクターTシャツの効用

妻(yuheimama)です。先日、悠平にミッキーマウスの半袖Tシャツを買いました。悠平は自分で選んで買ったTシャツをとても気に入って、それを着て登校。学校や放課後デイでうれしそうに話していたとのことです。

これまで悠平の洋服は、私が選ぶか、ネットで在庫のあるものの中から悠平に選ばせて購入していました。というのも、店舗で気に入ったデザインを見つけても、サイズが合わずに在庫がないといった場合に、大声で泣きわめかれては大変だと思っていたからです。今年に入り、学校の保護者会で「自分のものを自分で選ぶ機会を」という話があり、一か八かユニクロに連れて行きました。

恐れていた通り、悠平が気に入ったデザインのTシャツは、サイズ切れでした。悠平、神妙な顔つきで我慢しています。結局、別のデザイン、上述のミッキーマウスのTシャツを選びました。最初のTシャツがなかった場面で諦められれば◎だったのですが、騒がずに気持ちを切り替えて別のTシャツが選べたことは進歩です。これからも自分のものを自分で選ぶ機会を少しずつ増やしていこうと思いました。

 ←悠平お気に入りのキャラクターTシャツです

買い物から帰ると、悠平はミッキーTシャツを手に、「明日、これ、着ていく」と言って、引き出しから取り出した半ズボンと一緒に着替えカゴにセットしました(着替えカゴについては、「子ども部屋の構造化 in 東京」を参照ください)。以来、どのTシャツを着ていくか、自分で選ぶようになりました。時々、色柄の調和が合わない半ズボンを選ぶことがあるので、そんなときには「シャツとズボンを格好よく合わせることをコーディネートと言うんだよ」とアドバイスしながら一緒に選んでいます。最近では、洋服に合わせて、スニーカーも赤いラインと黄色いラインのどちらを履くのか、自分で判断するようになってきました。

梅雨に入り、肌寒い日には七分袖を着せたい日もあるので、前夜には一緒に天気予報の予想最高気温をチェック。悠平はまだ一人で最高気温が何度なら半袖か七分袖かを判断できないのですが、「天気予報ー気温ー衣服の調整」の関係を理解しつつあるようです。

高学年になり、そろそろキャラクターTシャツを卒業させたいと思っていましたが、キャラクターのおかげで、身辺自立がまた一歩前進できたように思います。将来、センスのいいイケメンになれますように!?

秩父三十四観音の巡礼を終え、日本百観音を結願です

yuheipapaです。久しぶりに書きます。
昨年5月、坂東三十三観音の巡礼を終えたことは、このブログでも書きました(「坂東三十三観音の巡礼が終わりましたー付記・春の花2016」=2016年5月14日)。その後、悠平と二人で埼玉県秩父市を中心に34カ所の観音霊場を回る秩父三十四観音の巡礼を続け、先月無事に終えました。これで、近畿地方の西国三十三観音、坂東三十三観音と合わせて、日本百観音と呼ばれる観音巡礼をひとまず終えました。 
結願(「けちがん」と読みます。巡礼が終わることです)した札所三十四番、水潜寺(すいせんじ、皆野町)では日本百観音巡礼の終了証のようなものと、秩父三十四観音の終了証をいただきました。百観音は3千円、秩父三十四観音は千円をお寺に納めました。坂東のときと同じように、百観音には私と悠平と二人の名前を並べて書き入れていただきました。秩父三十四観音の方は名入れはないそうです。住職のお話では、観光バスで団体の巡礼が来た場合に、とても対応できない、とのことでした。山奥にあるお寺で、境内にきれいなシャガの花が咲いていました。寺社巡りをするようになってから名前を知った花の一つです。

西国観音巡礼を思い立ったのは、6年前の2011年夏、家族旅行で和歌山県の太地町や那智勝浦町を訪ねた時のことでした。その年の2月に、わたしの転勤に伴い東京から大阪府高槻市に転居していました。那智の滝を見に行って、すぐそばにある西国霊場一番の青岸渡寺にお参りした際、亡父が若いころ、九州から出かけてはお参りし、ご朱印を集めていたのを思い出しました。今度はわたしが悠平と一緒に回ってみようと、その場でご朱印帳を買い求めました。
以後、西国霊場は転勤で大阪を離れるまでの3年弱で2巡以上、回りました。坂東はおおむね2年で1巡、そして秩父が1年で1巡です。この間、休日のわたしと悠平の2人での外出が定着しました。悠平にとっては、出不精にならずに済む、体力作りになる(三つの霊場とも、原則として公共交通機関と徒歩で回りました)、大好きな電車やバスに乗れる機会になるなど、いいことがたくさんありました。わたしにとっても、平日はなかなか悠平と密接に過ごす時間を取りにくい中で、週に1度か2度とはいえ、悠平の成長ぶり、発達ぶりをじかに感じ取ることができました。また、そうやって悠平が1日、家を空けることは、yuheimamaにはいい休息時間になります。
観音巡礼を始めた時、悠平は5歳になって間もなくで、幼稚園の年中組でした。百観音を巡り終えた今はもうすぐ11歳の小学5年生です。恐らく幼児のころは、何が何だか分からず、ただ大好きな電車やバスに乗れるので付いてきていたのだろうと思います。秩父を回った1年間は、寺ごとの特徴を口にするようになったりしました。わたしと並んで般若心経も途中までですが、唱えるようになっています。悠平なりに巡礼の意味をとらえ始めたのかもしれません。よく成長したと思います。私も悠平に向き合いながら、多くのことを学びました。親も一緒に成長したのだと思います。

【写真】水潜寺の境内のシャガ

実は、この記事を書くのに際して調べてみて気付いたのですが、秩父巡礼の初日、一番の四萬部寺(しまぶじ、秩父市)に行った日から、水潜寺で巡礼を終えた日までちょうど1年、ぴったり365日でした。特に意識していたわけではなく、たまたまでした。ちょっと驚きです。
秩父には10回訪れました。複数の府県にまたがった西国や坂東と違って、秩父音霊場は秩父市とその周辺に霊場が集まっているので、だいたいどのガイドを見ても、6日か7日なら余裕を持って回れるとしていますから、10回は相当にゆっくりしたペースです。急ぐなら、タクシーをチャーターして1泊すれば、2日で回ることもできるそうです。
秩父は自然が豊かです。季節ごとにいろいろな花が咲きます。また江戸時代、江戸から巡礼が盛んにやってきたようで、歴史を感じさせる石仏や道しるべなども多く残っており、そうしたものにも目を向けながら、悠平とのんびり歩きました。もちろん、「乗り鉄」も西武鉄道秩父鉄道を楽しみました。
悠平と一緒に秩父路を歩いた思い出を、また改めて紹介しようと思います。

映画『ぼくと魔法の言葉たち』と原作『ディズニー・セラピー』

妻(yuheimama)です。少し前になりますが、都内の映画館でドキュメンタリー映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観ました。主人公は自閉症の米国人青年、オーウェン・サスキンドさん。大好きなディズニー映画のセリフによってコミュニケーションがとれるようになっていったとのエピソードに、絵本のセリフで表現力を伸ばしていった悠平と重なる部分があるかと思い、興味を持って鑑賞しました。

映画では、オーウェンさんの大学卒業から、支援員付きアパートでの一人暮らし、初恋と失恋などを軸に、両親や兄のインタビューを交え、それまでのオーウェンさんと家族の歩み、さらには将来についてが語られています。また、この映画では彼が愛するディズニー映画のシーンやキャラクターに加え、オーウェンさん原作のアニメも挿入されています。

オーウェンさんは2歳で発語が消えてしまった、折れ線型の自閉症。6歳のときに両親が、彼のモゴモゴした言葉がディズニー映画のセリフであることに気付き、ディズニーのセリフをフル活用して徐々にコミュニケーションがとれるようになっていきました。CG以前のディズニーアニメは、音を消しても理解できるほどキャラクターや場面がはっきり分かりやすく描かれていて、言葉の理解に困難があっても感情や思考、関係性を学ぶには格好の素材でした。ディズニー映画からさまざまなことを学んだ彼は、紆余曲折を経ながら成長してきましたが、青年期にさしかかり、ディズニー映画には描かれていない現実社会での困難に立ち向かいつつあります。

映画に登場したオーウェンさんは撮影者とのやりとりはスムーズながら、どこかおっとりした印象。作中、大学卒業の場面があり、私は映画では語られなかった障害者の大学事情や少年期までの成長過程をもっと知りたいと思い、原作『ディズニー・セラピー』を読むことにしました。

ディズニー・セラピー 自閉症のわが子が教えてくれたこと

ディズニー・セラピー 自閉症のわが子が教えてくれたこと

著者は父親ロン・サスキンドさん。ピューリッツァー賞受賞歴を持つジャーナリストであり、作家です。妻のコーネリアさんも元記者です。読んでみるとその内容は、原作というより映画の前日譚といった趣きでした。オーウェンさんが成長過程で、どういったセリフで自分の考えや気持ちを代弁したのか、どんなキャラクターに自分や周囲の人々を投影させてとらえていたのかが、そこかしこで語られています。残念ながら私はディズニー映画に詳しくないので、キャラクターの名前が出てきても姿形や性格が浮かんでこない場合が多かったのですが、彼の頭の中には膨大かつ正確なデータベースがあるようです。データベースといえば、悠平の鉄道データも相当なものですが、ディズニーの場合、人間関係を学ぶ要素が含まれることが特筆すべき点です。こうしたディズニー映画によるオーウェンさんの成長の軌跡が本の主題となっており、その成長を支える両親の考えや行動の数々がサイドストーリーのように織り込まれています。以下に、いくつかのサイドストーリーを紹介します。

オーウェンさんの知能は、推定IQ75で「知能障害スレスレ」(p56、原文ママ)。障害児向けの学校を数回かわり、一時は学校に行かず、母・コーネリアさんが「ホームスクール」でマンツーマンで教えていました。結果的にはこれによって学力が驚くほど伸びたといいます。自称療育ママの私も個別指導の効果に納得しつつ、それには多大なエネルギーが必要であることを実感しています。ロンさんがホームスクールの実施について、「母親なんだから仕方がない」とは考えず、「コーネリアの人生はどうなの?」(p146)、「彼女には、人生のかかった献身だ」(p147)と書いているところに、妻の人生を気遣い、尊重しようとする思いやりを感じました。また、別の個所ではオーウェンさんを育てる過程で、夫婦のどちらがより多くの犠牲を差し出すかを「犠牲ゲーム」(p300)と呼んでいるのに、苦笑いしてしまいました。

探し回って入学した大学では、G.R.O.W.(Getting Ready for the Outside World)という、外の世界に出るための準備をするといった名称の教育課程に在籍。この大学については、「私たち(=親)の多くが、『大学』という言葉を誤用していたことに気づく」(p340)と記しています。学業をこなして実社会に飛び立つ一般の大学とは異なり、卒業してしまえば「似た者同士のコミュニティという短いオアシスから、成人した障害者への長い旅路がはじまり、そこでは福祉サービスが、自閉症児の寄せる波に追いつかずに干上がっていく」(p341)現実があるとしています。映画で観たオーウェンさんの陽気で穏やかな笑顔とは対照的な、親の苦悩が見て取れました。

また、オーウェンさんは様々な医師やセラピスト、カウンセラーらの専門家に関わり、そうした「チーム・オーウェン」の支援を得て困難を乗り越えていきます。米国には選択肢が実に多くあるものだと、羨ましく、興味深く読み進めたのですが、それ以上に驚いたのが費用です。「自閉症児に必要充分な教育とセラピーを施すには、年に6万ドルほどかかる」(p263)といい、サスキンド家では年に9万ドル(=1000万円近く!?)費やしているというのです。しかも毎年。

並大抵ではない子育てをしながら、厳しい実社会に自閉症の我が子を送り出そうとする両親。原作では、日米の制度や機会の違いを越えた「親のリアル」に共感しました。ロンさんがオーウェンさんのこれからについて映画で語った「必要なのは失敗と挫折」という言葉に、その段階までオーウェンさんを育ててきた自信と、自立を見守る親としての覚悟を垣間見る気がしました。

パニック・フリー in 北九州

妻(yuheimama)です。今年のゴールデンウイーク、3泊4日で北九州に旅行しました。主目的は悠平の祖父の法事です。yuheipapaは北九州の出身で、法事を機に、yuheipapaの育った地域を散策したり、観光を組み合わせたりと盛りだくさんの日程でした。

1日目は移動日。東京から北九州へは飛行機が便利なのですが、万が一、悠平が搭乗前に「乗らない!」と言い出した場合に変更が難しいため、新幹線を利用することにしました。悠平も新幹線は慣れたもの。以前に購入した本『日本全国鉄道旅行』を持参し、駅と路線図を確認しながら4時間半以上の乗車時間を騒ぐことなく過ごすことができました。

なるほどkids 日本全国 鉄道旅行―鉄道ものしり博士になっちゃおう!

なるほどkids 日本全国 鉄道旅行―鉄道ものしり博士になっちゃおう!

2日目は法事。久しぶりに会う親戚に元気よく挨拶をしてまわり、「何歳になったの?」と聞かれるたび、「もうすぐ11歳なんだけれど、まだ10歳です」とご丁寧に解説していました。ご住職がお経をあげ始めると、時折「なむあみだ〜」と唱和していました。昼食会を経て、いったんホテルに戻ると、私は疲れて動けなくなりましたが、yuheipapaと悠平は夕方からケーブルカーに乗りに行きました。

3日目午前はお楽しみの遊園地、スペースワールドへ。天気にも恵まれ、あらかじめネットで調べておいたアトラクション3つを体験。中でも何台ものトラックがつながって走るブーブーフランクがお気に入りでした。午後は、yuheipapaが育った地域へ散策に向かいました。3時間近く散策し、夕方、私はまたも疲れて一人でホテルに戻りましたが、タフな2人はバスで小倉へ。北九州モノレールに乗って帰ってきました。

宇宙をテーマにしたスペースワールド   

4日目は午前中に門司港へ行き、トロッコ列車に乗ったり、九州鉄道記念館を見学しました。午後、新幹線で帰京。途中、3年間暮らした大阪・高槻を通過したときには、「東京に戻って3年以上になるんだね」とyuheipapaと私は感慨深く車窓からの街並みを眺めました。

こうして密度の濃い4日間の旅行を終えました。終わってみると、悠平は一度もパニックを起こすことなく、固まることも泣き出すこともありませんでした。これには大いに成長を感じました。ではなぜ、パニックを起こさずに済んだのか――外出時にいろいろな乗り物に乗ったり、複数の場所を訪れるとき、毎回yuheipapaが写真入りの予定表を作って見せ、見通しを持った行動をとってきたことと、その後に写真日記を書くことで、悠平が自分の行動を振り返り、時系列で記憶を整理して、自力である程度の見通しを持てるようになってきたことが背景にあると思います。

連休明け、学校が始まると、悠平は楽しそうに九州旅行の話を先生方に話したとのこと。家では九州で乗った乗り物を中心に、楽しそうに写真日記を書いています。家族全員、満足感が高かった今回の旅行。次回は飛行機に挑戦したいところです。

ドキュメント「箸への道」

妻(yuheimama)です。悠平は春休みから、箸の練習をしています。振り返れば就学前、洗濯ばさみやトング、ピンセットで挟む動作の練習を重ね、エジソン箸という補助箸に移行しました(「療育から実生活へ―箸の練習を始めました」を参照ください)。小1でエジソン箸の指を入れるパーツを取り、長らく愛用。小4の終わりに学校でもクリニックのOT(作業療法)でも、補助なしでいけそうだとゴーサインが出ました。

そこで春休み、家庭学習の初めに割り箸でスポンジを挟む練習を開始しました。あえて割り箸を使ったのは、挟んだ後、スポンジが滑り落ちにくいと思ったからです。始めてみると、箸がうまく持てずにスポンジをつかむどころではありません。「話が違う!」と思いつつ、以前に買っていた箸の先端をつなげた別の箸(下部掲載写真の青い箸)で再トライ。なかなかうまくできませんでしたが、持ち方を確認してその後数日練習すると、こちらはスムーズに使えるようになりました。

そして再び割り箸に挑戦。今度はうまく挟めました! 悠平も自信がついてきたようで、「ご飯も割り箸で食べるよ」と発言。その夜、早速補助箸の横に割り箸を置きました。悠平はまず割り箸を正しく持つと、おかずの小鉢に箸をのばします。「つるん!」――失敗! 次の瞬間、「やっぱりこっちで食べる」といつもの補助箸に戻ってしまいました。母は思いました、「あぁ、なんでよりによって一番最初に一番滑りやすいこんにゃくに箸をのばしちゃったの…」。

それでも先日、外食時についにお箸を使用。数口ですがご飯を口に運ぶことができました。完全に箸に移行するにはまだ時間がかかりそうですが、あとは慣れ。楽しい食事の時間を訓練にしないよう気を配りながら、少しずつ練習を重ねていければと思っています。

驚きの寿司ネタ

妻(yuheimama)です。悠平、5年生になりました。春休みにはアニメ映画『SING』『レゴ・バットマン』を見に行ったり、yuheipapaと乗り鉄して埼玉・秩父方面へ行ったりと、楽しく過ごすことができました。休み中にはいつものように、図書館へも行きました。身長が150センチ近くになり、幼児が中心の絵本コーナーではさすがに目立つようになりましたが、本人は意に介さず、絵本探しを楽しんでいます。

休み中に読んだ絵本で悠平が気に入ったのが、「ぺんぎんずし」が舞台の『おすしのずかん』。見開きページにトロやかつおなどの「あかいおすし」、さばやさんまなどの「ひかるおすし」等々が紹介され、次の見開きに海を泳ぐ寿司ネタのもとになった魚たちが描かれています。初めの見開きで悠平が注文をし、次の見開きで寿司屋のペンギンと一緒に魚を探します。お刺身に続いて、お寿司も少しずつ食べられるようになった悠平には、これがとてもおもしろかったようです。

おすしのずかん (コドモエのえほん)

おすしのずかん (コドモエのえほん)

でも、それより母がおもしろかったのは、食べたことのない海苔巻きの具を悠平に質問したときのこと。まずは鉄火。悠平は赤い具を見て「トマト!」。思わず吹き出してから、「この赤いのはまぐろだよ」と教えました。続いてたくあんは、黄色い具を見て「かぼちゃ!」。赤と緑の梅きゅうは「まぐろときゅうり!」。赤いからまぐろだと思っちゃったのね…。あまりに見事な外しっぷりに笑いが止まりませんでした。

偏食が解消したとはいえ、新しい食べ物をまだまだ敬遠しがちな悠平。次回、回転寿司に行ったときには海苔巻きにもチャレンジできるかな? そんなことを考えながら、二人でこの小さな絵本を何度も読み返しました。