親の自己満足ではなく悠平の自立のために

 悠平が昨年の暮れに広汎性発達障害と診断された際、わたしと妻が思ったことの一つは、これがどんな障害なのか詳しく知りたいということでした。以来、夫婦で目に付いた本を買い求めては読んでいます。わたしが考えた読書方針は、まずは片っ端から読んでみることです。冊数を重ねる中で、この障害についての一般的、標準的な知識は分かるだろうし、医師や研究者によって学説や考え方が異なっている点も浮き彫りになるだろうと考えました。まだ7〜8冊というところですが、今の時点でもっとも納得感が高い一冊を紹介します。小児精神科医杉山登志郎さんの「発達障害の豊かな世界」(日本評論社)です。

発達障害の豊かな世界

発達障害の豊かな世界

 先に杉山さんの「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書)を書店でたまたま見かけ、購入して読みました。発達障害の子どもの育て方に関する考え方に共感できる点が多かったことから、杉山さんが自ら「ライフワーク」と評した「発達障害の豊かな世界」も買い求めました。この2冊は杉山さんが実際に臨床で手掛けた具体例も豊富に盛り込まれており、わが子が発達障害と診断された親御さんが最初に読むのに適しているのではないかと思います。
発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

 以前のエントリー「子育ての目標は『自立』」でも触れたことですが、杉山さんは発達障害の子どもを育てるに際して、目標を「自立」という言葉で表現し、自分で生活できること、人に迷惑をかけないこと、人の役に立つこと、の3点だと説きます。従って育て方も、その子が将来、持続して働くことができるようにすることを最優先に、その子の成長、発達に合わせたペースを守ることが重要になります。この観点からは、例えば小学校も何が何でも通常学級に進むのがいいとは限りません。集団に適合できず子ども自身が苦痛に感じ、最悪の場合は挫折体験だけが残ることになりかねません。それはその子の将来の自立にとって、決してプラスにはならないと杉山さんは強調します。
 胸を衝かれる思いでした。発達障害もそれなりに悠平の個性だろうと考えながらも、例えば小学校に入学するまでにトレーニングを重ねれば通常学級に入れるのではないか、とも考えていました。しかしそう考えて悠平にトレーニングを受けさせるのだとすれば、通常学級に通わせること自体が目的化することです。他の子どもたちを基準に、悠平がどこまで追いつけるかということだけに関心が向かうことになりかねません。親はそれでいいとしても、悠平が幸せを感じることができるかどうか、それが将来の「自立」につながるのかどうか。本書を読んで、そのことに気付かされました。
 「発達障害の豊かな世界」では、わが子が発達障害と診断された親が、その事実を受容するまでにたどるプロセスも解説しています。その事実を受け入れられない「否認」に始まり、なぜ自分の子どもだけがと怒る「怒り」、次に訓練に没頭し場合によっては虐待寸前まで子どもをしごく「取り引き」、それでも障害が否定できないことを思い知って「抑うつ」に陥り、その後にようやく障害をわが子の個性ととらえることができるようになる「受容」に至る5段階のプロセスです。わたしと妻は今どの段階にいるのか、二人で時折話し合っていますが、よく分かりません。わたしとしては「怒り」や「抑うつ」はないまま(少なくともその自覚はありません)ですが、「受容」のつもりでいます。あるいは、「怒り」や「抑うつ」はこれからなのでしょうか。
 いずれにしても、親の自己満足ではなく、悠平の将来の自立にとって何が最善かを常に考えているようにしたいと思っています。
 
 ※きょう(22日)の東京は穏やかな晴れの一日でした。午前中、悠平を連れて散歩に出かけ、桜のつぼみが膨らみ一部は花を咲かせているのに気付きました。気象庁が東京の桜開花を発表しました。