太郎先生トリビュート

妻(yuheimama)です。先日、岡本太郎先生を敬愛する悠平が冬休みに遊べるよう、カラー粘土を買ってきました。私が「冬休みに遊ぼう」と言ったにもかかわらず、悠平は買ったその日にやる気満々。ニコニコ笑顔で「何作ろっか〜」「太郎先生の(作品)」と、太郎先生の作品を模した造形にチャレンジしたい様子です。「何を作りたい?」と尋ねてみましたが、パッとは答えが出てきません。そこで私は作品集で見た、円柱形で座面に造形が施されている「坐ることを拒否する椅子」なら、取り組みやすいのではと思い、提案してみました。悠平は「坐ることを拒否する椅子、作るよ!」「あと、太陽の塔も!」と乗り気になりました。

「坐ることを拒否する椅子」の座面は、お気に入りのキャラクター、スポンジボブの顔にしたいとのこと。まずはベースになる円柱作り。手先が不器用な悠平には難しく、私が作りました。次に座面への造形です。私はスポンジボブの絵を見て作るのかと思っていたのですが、悠平はプラスチック製のスポンジボブのおもちゃを座面に押しつけ、型を取りました。あとは型に合わせてカラー粘土で飾り付け。細かいところは私が手伝ったり、教えながら、最後に座面中央に天狗のような鼻をつけると、その突起物によってまさに「坐ることを拒否する椅子」が出来上がりました。

 ※写真がぼけていてごめんなさい!

次は「太陽の塔」です。こちらは椅子よりも形やバランスが難しいので、ほとんど私が作ったのですが、作る過程で悠平もパーツを丸めたり、細長く伸ばしたり、笑いながら楽しんでいました。ちなみに写真左は今回、モデルにしたガチャポンの太陽の塔。実物とはポーズが少し違っています。

悠平が太郎先生に夢中になる姿を見て、かつてCMで見た「芸術は爆発だ」くらいしか知らなかった私は、太郎先生の著書『自分の中に毒を持て』を読んでみました。同書から太陽の塔にまつわる部分を以下に引用します。

人間社会には原始時代から社会構成の重要な要素として「呪術」があった。超越者との交流、それは社会生活の根源であり、政治、経済はそれによって支えられていた。呪術は目的的のように見えていながら、人間の非合理的なモメントに答え、逆にいのちの無目的的な昂揚を解き放つ力をもっていた。
(中略)
造形はイメージ、「絵ことば」として概念的に意味を伝えることもできるが、それを超えた働きもする。言葉や概念では伝達不能なものを、象徴的に、直接に伝えることのできるメディアだ。その役割を大いにとぎすまし、呪力を深めていくべきである。
(中略)
ぼくはエキスポ70にさいして、中心の広場に「太陽の塔」を作った。およそ気取った近代主義ではないし、また日本調とよばれる伝統主義のパターンとも無縁である。逆にそれらを告発する気配を負って、高々とそびえ立たせた。孤独であると同時に、ある時点でのぎりぎりの絶対感を打ち出したつもりだ。
 それは皮相な、いわゆるコミュニケーションをけとばした姿勢、そのオリジナリティにこそ、一般を強烈にひきつける呪力があったのだ。(pp202-204)

わたしはこれを読んで、悠平が岡本作品に引きつけられた理由が分かったような気がしました。「言葉や概念では伝達不能なものを、象徴的に、直接に伝えることができるメディア」「コミュニケーションをけとばした姿勢、そのオリジナリティ」。岡本作品は思考を介さず、悠平の心にまっすぐ届いたのでしょう。昨今、障害者アートが注目を集めていることともつながっているのかもしれません。

悠平は今回作った作品を、岡本太郎美術館に展示したいと希望していますが(!)、展示してもらうにはまだまだ修行が必要です。冬休み、また一緒に粘土遊びをしようと思います。