特急「もぐら」でモグラ駅の旅~悠平のリクエストで知った秘境駅

 yuheipapaです。
 9月のある休日、悠平と一緒に新潟県の越後湯沢まで乗り鉄の日帰り旅に出かけてきました。一つ前の投稿で書いた通り、8月から「北関東三十六不動尊」霊場の巡礼を始めました。その第一番の札所が群馬県みなかみ町の水上寺でした。この時、当初の予定では、水上駅からJR上越線で新潟県方面に向かうことにしていました。目的は、谷川岳のふもとにある土合(どあい)駅。下り線のホームが地表から深さ70メートルのトンネルの中にある「モグラ駅」として、鉄道ファンらの間では有名です。結局、その日は水上から沼田方面に向かい、土合駅行きはまたの機会に、ということにしていました。その後、あれこれ調べているうちに、JR東日本が大宮から越後湯沢まで、この土合駅見学をメインにした臨時特急を走らせていることを知りました。その名も「谷川岳もぐら」号。冗談のような愛称です。運用する車両は、かつて「踊り子」号などに使用されていた185系。「これは乗らねば」と思い、すぐに予約。悠平に伝えると大喜びでした。
 以前の投稿で、悠平が最近は自己主張ができるようになってきたと書きました。このときもそうです。「せっかく越後湯沢まで行くから、周辺でどこか行きたいところがあれば行こうか」と聞いてみました。実はわたしもよく知らない土地だし、何気なく声を掛けただけだったのですが、即座に「ミサシマ駅!」と返事がありました。「ほくほく線の美佐島駅。地下にある駅だよ。もぐら駅を2カ所行きたい!」。調べたところ、越後湯沢からJR上越線で五つ先の六日町駅から北越急行ほくほく線が分かれています。北陸新幹線の長野~金沢が開業する前は、越後湯沢から富山方面までの特急が走っていました。そのほくほく線の六日町駅から二つ目が美佐島駅。単線のトンネルの中に駅のホームがあります。
 せっかくの悠平のリクエストですので、旅のメインは土合駅と美佐島駅にして、もうひとつ、越後湯沢に近い南魚沼市の禅寺である関興寺(かんこうじ)を参拝する計画を立てました。

 「谷川岳もぐら」号は大宮を10時37分に発車。鉄道好きの間で人気が高い185系での運転とあって、出発前のホームでは先頭車両を撮影する人でにぎわっていました。発車後の車内放送では、前後のチャイムを何種類も流すサービス。停車駅が近づくと、デッキに移動してスピーカーにレコーダーを近づけて録音する愛好者が何人もいました。

 大宮駅で買った駅弁の昼食を済ませ、土合駅に到着したのは12時41分。ここで30分停車します。悠平と一緒に電車を降りて、地上まで往復してみることにしました。
 ホームには「ようこそ『日本一のモグラ駅』へ」の看板。その説明によると、地上の駅舎の標高は653.7メートル。下り線の地下ホームは583メートルで、その差は70.7メートルあります。エレベーターもエスカレーターもなく、改札口へ行くには、計486段の階段を上がらなければなりません。

 大阪にいたころ、悠平と一緒に巡った寺社の中で、最高で900段の石段を上ったことがありました。今でも悠平は、500段くらいなら顔色も変えずにスタスタと上ってしまいます。私はと言えば、最初の100段くらいは一気に上ったのですが、その後は、息は切れ、太ももが上がらなくなり、50段ほど上っては一休みの繰り返し。悠平はわたしのペースに合わせてくれました。一般の人なら10分ほどで地上に出るそうですが、15分ぐらいかかったと思います。地上に出て駅舎で記念撮影。大急ぎで階段を引き返し列車に戻ると、もう発車時間でした。駅全体をゆっくり見学しようと思ったら、1時間ぐらいは見ておいた方がいいようです。

 越後湯沢駅から関興寺までは、時間を節約するためタクシーで移動しました。鎌倉にある臨済宗円覚寺の末寺です。ここは「関興寺の味噌なめたか」と言い伝えられています。寺のホームページによると、戦国時代、上杉謙信の没後の家督争いの戦火に巻き込まれ、大伽藍をことごとく焼失しました。その際、上杉氏より寄進された大般若経典六百巻を味噌桶の中に埋めて守ったとのことです。以来、「関興寺の味噌には経典のご利益・功徳があるに違いない」と、味噌を分けてもらおうとする参拝者が後を絶たなかったとのことです。
※「関興寺の味噌なめたか」
 https://kankouji.coolblog.jp/service1.html

 興味深かったのは、寺に火縄銃などの武器が残っていることです。戦国時代、一帯の大規模寺院は石垣や掘割を備え、領主が他国へ兵を進める際には、補給拠点の役割も担っていたとの説明書きがありました。他国が攻め込んできた際には防衛拠点にもなったのでしょう。いろいろ見どころが多い寺で、悠平も仏像に手を合わせ、静かに過ごしていました。親切な住職さまに御朱印をいただき、味噌と寺の田んぼで収穫したという新米のコシヒカリをお土産に買いました。

 南魚沼の一帯には、ほかにも歴史の古いお寺が点在しています。「またゆっくり来たいね」と悠平に話しかけてみましたが、関心は既にもう一つのモグラ駅、美佐島駅に移っているようでした。

 関興寺から徒歩10分余り、上越線の石打駅からJRの列車で移動し、六日町駅でほくほく線に乗り換え、悠平待望の美佐島駅を訪ねました。

 ホームは地下2階ぐらいの深さでしょうか。土合駅に比べれば、使い勝手のいい駅だと感じました。地上の駅舎がきれいで、待合室が畳敷きの座敷になっているのがユニークでした。ただ、駅の周囲は本当に何もなく、秘境駅の趣です。一緒に列車を降りたほかの乗客は2人いましたが、わたしたちと同じく鉄道趣味の人たちのようでした。

 滞在10分余りで、六日町に戻る列車に乗りました。ホームへのドアは施錠されていて、普通列車が入線して停車するまで開きません。特急が運行していた当時は、通過の際の風圧が危険なため、このような運用になったようです。
 復路に乗った車両は、トンネル内で天井に花火や天空、海中などの映像が映し出される「ゆめぞら」でした。この日は花火を上映。なかなか楽しめました。
※「ゆめぞら」
 https://hokuhoku.co.jp/yumezora.html

 夕方、越後湯沢駅まで戻りました。悠平が小学生ぐらいまでは、夕食は自宅に戻って食べるようにしていました。中学生くらいからは、その土地のおいしいものを食べてから帰ることが増えています。悠平も「旅のごほうび」と呼んで楽しんでいます。テレビの旅番組で覚えた言葉のようです。ちなみに、わたしも便乗して「旅のごほうび」と言いながらビールを頼んでいます。

 新潟はおいしいものがたくさんあり、特に南魚沼はコシヒカリの特産地として知られます。一方で、つなぎにフノリを使い、つるりとした独特の食感で知られる「へぎそば」も魅力的です。あれこれ悩んだ末に、へぎそばにしました。悠平は、好物のマイタケの大きな天ぷらを堪能したようでした。帰宅後、悠平が「初めて新潟県に行ってきた」とyuheimamaに報告していました。行ったことがある場所を意識することが、地理的な関心の広がり、さらには社会性の広がりにつながればいいなと思います。
 越後湯沢は東京と新幹線で直結。駅前に温泉街が広がり、ちょっと熱海と似たロケーションです。冬はスキー客でにぎわうようですが、季節を選べばのんびりできそうに感じました。いずれ、yuheimamaも一緒に、泊りがけで再訪してみたいと思います。次はコシヒカリを食べます。