太郎先生トリビュート

妻(yuheimama)です。先日、岡本太郎先生を敬愛する悠平が冬休みに遊べるよう、カラー粘土を買ってきました。私が「冬休みに遊ぼう」と言ったにもかかわらず、悠平は買ったその日にやる気満々。ニコニコ笑顔で「何作ろっか〜」「太郎先生の(作品)」と、太郎先生の作品を模した造形にチャレンジしたい様子です。「何を作りたい?」と尋ねてみましたが、パッとは答えが出てきません。そこで私は作品集で見た、円柱形で座面に造形が施されている「坐ることを拒否する椅子」なら、取り組みやすいのではと思い、提案してみました。悠平は「坐ることを拒否する椅子、作るよ!」「あと、太陽の塔も!」と乗り気になりました。

「坐ることを拒否する椅子」の座面は、お気に入りのキャラクター、スポンジボブの顔にしたいとのこと。まずはベースになる円柱作り。手先が不器用な悠平には難しく、私が作りました。次に座面への造形です。私はスポンジボブの絵を見て作るのかと思っていたのですが、悠平はプラスチック製のスポンジボブのおもちゃを座面に押しつけ、型を取りました。あとは型に合わせてカラー粘土で飾り付け。細かいところは私が手伝ったり、教えながら、最後に座面中央に天狗のような鼻をつけると、その突起物によってまさに「坐ることを拒否する椅子」が出来上がりました。

 ※写真がぼけていてごめんなさい!

次は「太陽の塔」です。こちらは椅子よりも形やバランスが難しいので、ほとんど私が作ったのですが、作る過程で悠平もパーツを丸めたり、細長く伸ばしたり、笑いながら楽しんでいました。ちなみに写真左は今回、モデルにしたガチャポンの太陽の塔。実物とはポーズが少し違っています。

悠平が太郎先生に夢中になる姿を見て、かつてCMで見た「芸術は爆発だ」くらいしか知らなかった私は、太郎先生の著書『自分の中に毒を持て』を読んでみました。同書から太陽の塔にまつわる部分を以下に引用します。

人間社会には原始時代から社会構成の重要な要素として「呪術」があった。超越者との交流、それは社会生活の根源であり、政治、経済はそれによって支えられていた。呪術は目的的のように見えていながら、人間の非合理的なモメントに答え、逆にいのちの無目的的な昂揚を解き放つ力をもっていた。
(中略)
造形はイメージ、「絵ことば」として概念的に意味を伝えることもできるが、それを超えた働きもする。言葉や概念では伝達不能なものを、象徴的に、直接に伝えることのできるメディアだ。その役割を大いにとぎすまし、呪力を深めていくべきである。
(中略)
ぼくはエキスポ70にさいして、中心の広場に「太陽の塔」を作った。およそ気取った近代主義ではないし、また日本調とよばれる伝統主義のパターンとも無縁である。逆にそれらを告発する気配を負って、高々とそびえ立たせた。孤独であると同時に、ある時点でのぎりぎりの絶対感を打ち出したつもりだ。
 それは皮相な、いわゆるコミュニケーションをけとばした姿勢、そのオリジナリティにこそ、一般を強烈にひきつける呪力があったのだ。(pp202-204)

わたしはこれを読んで、悠平が岡本作品に引きつけられた理由が分かったような気がしました。「言葉や概念では伝達不能なものを、象徴的に、直接に伝えることができるメディア」「コミュニケーションをけとばした姿勢、そのオリジナリティ」。岡本作品は思考を介さず、悠平の心にまっすぐ届いたのでしょう。昨今、障害者アートが注目を集めていることともつながっているのかもしれません。

悠平は今回作った作品を、岡本太郎美術館に展示したいと希望していますが(!)、展示してもらうにはまだまだ修行が必要です。冬休み、また一緒に粘土遊びをしようと思います。

こだわり・思い込みにはスルー

妻(yuheimama)です。先日、悠平の学校では年に一度のお楽しみ、レストラン学習が行われました。この学習は、公共の交通機関を利用して目的地まで行き、レストランで注文・食事をして、マナー等を学ぶという体験学習です。今回訪れたのは中華レストラン。悠平は餃子とご飯、オレンジジュースを注文しました。悠平はこの日を何日も前から楽しみにしていて、「餃子を食べます!」と上機嫌で臨みました。

帰宅後も「餃子、おいしかった」「楽しかった〜」と言っていたのですが、学校からの連絡帳に目を通すと、「帰りの電車で頑固になりました。→立ち直りました」との記載が…。これはきっと乗り物こだわりが出たんだろうなと予想。後日、担任の先生に話を伺ったところ、案の定、乗らなければならない電車が、悠平の乗りたい車両ではなかったことから「乗らない、乗らない!」と大騒ぎをしたとのことでした。

家族での移動でも同様のことが時々起こります。そんなときは乗らずに1本見送るか、無理やり乗せて「何が嫌なの?」と原因を探ってみたり、「降りるー!」と大声を出して扉から飛び出そうとするのを制止しようとつかまえたり、毎回、闘いになります。こうした自閉症特有の思い込みの強さやこだわりからくる言動については、これまで先生に連絡帳で伝えてきました。

今回の先生方の対応はというと、「この電車に乗ります」と言って乗車させ、あとは安全確保のため悠平の体をガードして、悠平が何を言っても取り合わなかったそうです。こんな「事件」を経て学校に戻ると、悠平は先生のもとへ行き、「さっきは意地悪しちゃってごめんなさい」と自首。先生は「あれは意地悪ではなく、わがままです」とぴしゃりと返したそうです。先生いはく、「悠くん、自分でも分かってるんですよ。あれはパニックではありません」とのこと。「大変だと思いますが、安全確保をして、あまり取り合わないようにしてみてください」とのアドバイスがありました。

数日後、家庭学習中に国語の問題で間違えたので、説明をしようとしたところ、自分の思い込みを否定されたと思ったのか、またも大声を出されました。そこで試しに、悠平の反応を取り合わずに次の問題に移りました。類似した問題だったので、最初に私がヒントを出してから取り組ませたところ、スムーズに回答。全ての問題に正答した後に、最初に間違えた問題に再び戻ったところ、何事もなかったかのようにすんなり正答できました。

公衆の面前で大声を出されると、ついこちらも過剰反応しがちですが、スルーするのもテクニックだなと思いました。悠平自身、分かっているのに騒いでしまうのは苦しいはず。本人が体験を積みかさねて自力で対応できるようになるまで、ひるまず、焦らず見守っていこうと思いを新たにしました。

太郎先生がやって来た

yuheipapaです。悠平の現在のお気に入りは岡本太郎。悠平に芸術の季節が巡ってきたようです。
きっかけは11月のある日曜日でした。どこに出掛けるか調べていて、川崎市の生田緑地が紅葉の見ごろを迎えていることを知りました。ただ「紅葉を見に行こう」だけでは、悠平のモチベーションは上がりません。最寄り駅が小田急線の向ヶ丘遊園であること、敷地内に岡本太郎美術館があることから「悠くん、小田急線に乗って、岡本太郎先生の作品を見に行こうか」と持ち掛けたところ、即座に「うん、岡本太郎先生の作品を見に行くよ。太陽の塔はあるかなあ」と、乗り気の返事が返ってきました。悠平は大阪にいた当時、小学校に進む前でしたが、万博記念公園に遊びに行って太陽の塔を見ており、以来、彼なりに「岡本太郎」のことは気に入っていたようです。

美術館では終始、上機嫌でした。少し驚いたのは、展示物の作品名をすらすらと読んでしまうことでした。特に悠平が気に入った様子だったのは「座ることを拒否する椅子」です。これは展示物ながら、触わったり実際に座ることができる丸椅子で、座面には目や顔のようなものがあり、座られることを拒むかのようなメッセージを感じます。悠平は私の手助けなしに作品名を読み上げると、うれしそうに何種類かあった椅子に次から次に座っていました。「岡本太郎」はよほど悠平の感性にフィットしたようで、単に「うれしい」や「楽しい」というのにとどまらない、今まで見たことがないほどの生き生きとした表情でした。
帰宅後、報告を聞いたyuheimamaも驚いていました。思えば、幼児のころに買ったピカソの絵本が悠平は特に気に入っていました。現代芸術の中でもピカソ岡本太郎は相性がいいのかもしれません。yuheimamaの手持ちの作品集を自宅でも悠平に見せることにしました。
その次の休日は、東京・青山にある「岡本太郎記念館」に私と悠平とで行きました。ここでも同じように悠平は生き生きとしていました。見たこともないオブジェの作品名をすらすらと言うので「悠くん、どこで覚えたの」と聞くと「作品集に出ていたよ」との答え。よほど気に入っているのでしょう。感心しました。
記念館では岡本太郎の関連のグッズ、書籍を販売していました。買ったのは高さ15センチほどの岡本太郎フィギア。実は川崎の岡本太郎美術館のミュージアムショップにもあったのですが、品切れで販売休止中で、悠平と「残念だね」と話していた逸品です。税込みで3908円の値段に一瞬躊躇しましたが、思い切って買いました。海洋堂制作とのことで、組み立てと塗装は一体ずつ手作業のため、全く同じものは二つとないそうです。悠平は大喜び。「太郎さんが家に来たよ」とyuheimamaに報告し、さっそく自分の勉強机の上に置いて、しげしげと眺めていました。
yuheimamaと話したのは、これで悠平がアートに興味を深めてくれればいいね、ということです。これが将来の仕事に結び付く、というところまでは行かないとしても、趣味に育っていけば余暇の過ごし方を充実させることができます。余暇は仕事と表裏の関係にあり、特に自閉の人が仕事(就労)を持続させるには、余暇を楽しみにながら過ごすことができるかどうかが重要になるようです。「もしかしたらこっちの方面で才能を発揮するかも」とは親バカそのものですが、悠平が望むようなら、絵か何か、アートの習い事もさせてやりたいと、yuheimamaと話しています。

【参考】
川崎市岡本太郎美術館 http://www.taromuseum.jp/
岡本太郎記念館 http://www.taro-okamoto.or.jp/

『療育なんかいらない!』って、どういうこと⁉

妻(yuheimama)です。先日、刺激的なタイトルの本を発見しました。その名も『療育なんかいらない!』。これは療育ママを自認する身としては、看過できません。タイトルから、これは私に対する挑戦状かと勝手に意気込んで読み始めたのですが、結果的にはおもしろくて一気読み。共感する点が多々ありました。

著者は、自閉症の男子中学生・がっちゃんを育てる佐藤典雅さん。放課後等デイサービスを運営する会社の代表を務められています。息子さんが4歳のときに療育のため、療育先進地の米国ロサンゼルスに転居。9年間、療育を受けて帰国しました。では、9年間の成果はどうかというと、自閉症のこだわり・問題行動が改善されたとはいいがたく、中学校の特別支援学級や放課後デイでもいちばんすごい状態。こうした体験から、著者は療育を捉えなおしています。詳細は省きますが、以下に、私と悠平の経験と照らし合わせて共感した点を紹介します。

以前にも触れましたが、悠平は就学前、3年間の療育によって発達指数DQが20伸びました。私はそれを療育の効果だと疑わなかったのですが、あるとき、自然な成長による伸びと療育による伸びに明確な線引きをすることができるのか、療育を続けることによって伸び続けることは可能なのかという疑問がわいてきました。
悠平の場合、TEACCH、ST(言語)、OT(作業療法)などの継続的な療育によって、言語力、手先の技巧性、姿勢などに明らかな向上・改善が見られました。その結果、パニックの大幅な軽減や生活動作の向上、本人の自信につながったと見ています。一方で、療育から学習にシフトしつつある今、1桁の足し算は1年以上継続学習しても、自閉症ならではの想像力の困難と抽象概念理解の困難からか、暗算が完璧にできない状態が続き、「やればできる」と言い切れない現実があります。

この点について著者は、「療育はその子の潜在的な学習レベルを数年、前倒しできるということ。しかし、それによって着地するゴールのレベルが高くなる、という意味ではない。(中略)一つ誤解してもらいたくないのは、私は療育を全面否定しているわけではない。がっちゃんだって、同じ言葉を発するのであれば、6歳まで待つよりは4歳の時にできた方が楽しいに決まっているであろう」(pp60-61)と述べています。また、「アメリカほど療育を受けていない自閉症の子どもたちも、中学生になると、療育を受けた子どもとあまり変わらない状態になる」(p60)、「結果が大きく変わらないのであれば、療育に必死になって、大きなストレスを親子で抱えるよりは、開き直って日々を楽しんだ方がいい」(p61)と主張しています。さらに「がっちゃんは学校でも放課後でも、療育プログラムを何年にもわたり、とても手厚く受けてきた。しかし親として見ていると、がっちゃんはどこまでいってもがっちゃんだ。がっちゃんの自閉症の特性が変わることはない」(p79)、「気付いたらどこかの時点で療育に期待しなくなった自分たちがいた」(p81)と述べています。このあたりがタイトルの『療育なんかいらない!』につながっているのかもしれません。

療育によって自閉症の特性自体が変わることはないと認識した著者は、放課後デイを運営する中で出会った親子との関わりから、次のように書いています。「どうやら子どもの年齢が上がるに従って、療育に対する親の関心度は下がっていくらしい」(p98)、「療育で自閉症が改善されないのであれば、自閉症のまま受け入れてくれる『居場所』。これこそ、親が療育の次に求めるキーワードである」(p99)。そして、放課後デイの親子面談で、「うちでは療育はやっていません」と言って、親にギョッとされつつ、自閉症児がありのままで過ごせる放課後デイづくりを実践するに至ったのです。
この「居場所」というキーワードは、私にとってここ数年、別件を考える際のキーワードになっていました。それは「インクルーシブ教育」――障害の有無に関わらず、一緒に学ぶという教育方針です。インクルーシブ教育を提唱する方々の中には、特別支援学校を「分断・排除・隔離」の象徴のように捉える方もいらっしゃいます。確かにそういう面はあると思うのですが、一方でそこに「居場所」を得て、笑顔を見せる子どもたちがいることを考えると、とても全面否定する気にはなりません。
本のなかでは、インクルーシブ教育については触れられていませんが、東京大学の「ロケット/異才発掘プロジェクト」の中邑賢龍(なかむらけんりゅう)先生による、「自閉症の子どもたちは、常識の外にいる子たちだから、佐藤さんも常識にとらわれた施設をつくる必要はないと思いますよ。自閉症を変えることはできないから、環境を彼らに近づけた方が早いですよ」(p102)という言葉を紹介しています。
常識からみると「突拍子もない言動」を引き起こす自閉症を、「これが自閉症だ!」と周囲に理解を求めるていくことは、親にとってはなかなか勇気がいることです。それでも、他者を傷つけるような言動の予防を心掛けつつ、まずは居場所を確保して、隣近所の人々と知り合っていく。そうした日々の積み重ねが、環境づくりの第一歩なのかもしれません。
著者は本文を次のように結んでいます。「日々の活動を通して、身近な隣の人から一人ずつ変えていけば、いずれコミュニティ全体が変わっていく。そう、世界平和を唱えるよりも、隣の人とケンカしないこと。『世界中の自閉症』よりも、『隣の自閉症』だ」(p186)。

――『療育なんかいらない!』というタイトルは実にキャッチーでした。yuheimamaとしてはこの本のメッセージを「療育は発達を促すけれど、万能ではない。親子でストレスを感じるような療育だったら再考して、自閉症に合う環境づくりを考え、親子でハッピーを追求しよう」と受け取りました。

ページビュー100万超えました

yuheipapaです。
きょう11月4日、このブログの開設以来のページビュー(PV)が100万を超えました。
たくさんの方にご覧いただき、yuheimamaともども、感謝申し上げます。

ブログを開設し公開したのは2010年の年頭でした。その前年の12月、悠平は3歳6カ月で広汎性発達障害と診断されました。
それまで私は、知識としては自閉症アスペルガー症候群のことは知っているつもりでいながら、いざ、わが子が告知を受けてみて、実は何も知らないのに等しいことに気付きました。
夫婦で書籍を探したりして調べ始め、やがてブログの開設を思い付きました。まず、同じようなお子さんをお持ちの親ごさんたちが、どんな風に子育てに取り組んでいるのか知りたいと思いました。そして、その裏返しとして、私たち夫婦と悠平の日々をブログにつづっていくことにしました。
以来7年近くがたちました。多くの方に励ましやアドバイスをいただきました。同じように自閉や知的障害のお子さんと向き合うのに、私たちのつたない経験を参考にしていただいた方もいらっしゃるようです。このブログが何がしか役に立ったのだとしたら、私たちとしては、うれしい限りです。

このブログを始めたころは幼児だった悠平は10歳。彼なりのペースでゆっくりとですが、着実に成長してきています。「発達障害」ですけれども、発達しています。親として、彼と正面から向き合う日々を通じて、私たちもまた成長してきたように思います。少年期に入り、さて、これからどんな展開が待っているのでしょうか。
引き続き、ご訪問をよろしくお願いいたします。


悠平の近影です。
2年前に大阪から東京に戻るまで、休日には私と悠平で関西一円の古社古刹を巡りました。西国三十三観音霊場は2巡以上、足を運びました。
東京では坂東三十三観音の巡礼を今年5月に終え、現在は秩父三十四観音を巡っています。
先日は秋晴れの中、秩父ミューズパークに足を伸ばしました。イチョウの並木が3キロにわたって続いており、ちょうど真っ黄色に色づいて見ごろでした。
悠平はと言えば、並木道を走る「スカイトレイン」に乗って大満足でした。
秩父三十四観音霊場 http://www.chichibufudasho.com/
 秩父ミューズパーク http://www.muse-park.com/

秩父音霊場14番の今宮坊】

秩父ミューズパークのイチョウ並木】

秩父ミューズパークのスカイトレイン


※追記 2016年11月5日0時10分
11月5日午前0時現在の総アクセス数(PV)は100万0412、ユニークユーザー(UU)は43万8627でした。

備忘録:相模原障害者殺傷事件(2)

【匿名報道】
プライバシー保護、遺族の意向を理由に、被害者の実名が公表されていません。「亡くなっても差別されている」(毎日新聞9月22日)と障害者自身から批判する声が上がる一方、遺族の心情や取材記者の葛藤もあるようです。

・藤井克徳=20歳以下ならいざ知らず、20歳を超えた方について、たとえ親の意向とはいえ匿名のままでいいのでしょうか。とても違和感があります。(ハフィントンポスト9月5日)

・慎允翼=通常は家族が望まなくても実名発表されるが、なぜ障害者に限って家族の意思が優先されるのか。障害者が家族の所有するモノとして扱われているように感じる。(毎日新聞「相模原殺傷 私の視点」9月15日)

野田聖子=なぜ被害者の名前が報道されないのでしょうか。(中略)優生思想的な考えを持つ人たちから、家族が2次被害に遭うからでしょう。変ですよね。(毎日新聞「特集ワイド 相模原殺傷事件」8月17日)

・親族にすら疎まれた障害者、その存在をオープンにできない家族……。そうした人たちがいる現実に直面した時、「社会に伝えるために実名で報道させてほしい」とはとても言い出せなかった。(毎日新聞・森健太郎「記者の目 相模原殺傷事件」9月14日)

・「被害者の人となりや人生を関係者に取材して、事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」。匿名発表について同僚記者がツイッターに投稿すると、「そんなことをしなくても事件の重大性は伝わる」と非難が殺到した。(朝日新聞・前田朱莉亜「記者有論 相模原事件」10月6日)

・県警が被害者を匿名発表した理由も保護者への配慮である。マスコミの報道も保護者への共感である。しかし、被害にあったのは保護者ではない。障害のある子の存在を社会的に覆い隠すことが、本質的な保護者の救済になるとも思えない。保護者に同情するのであれば、そのベクトルは差別や偏見をなくし、保護者の負担を軽減し、障害のある子に幸せな地域生活を実現していくことへむけなければならない。(毎日新聞野沢和弘論説委員「論プラス 相模原・障害者施設殺傷」10月12日)

村木厚子・「共生社会を創る愛の基金」発起人、前厚生労働事務次官=「名前書くことで人権守る」と言うためには、前提となるマスコミへの信頼、何をどう報道してきたかという実績が問われる。(中略)実名によって実像が伝わる価値は大きい。報道を通じてこの問題を訴えたい、名前を名乗ってもいいと被害者の人たちに思ってもらえるよう、障害というテーマに関し、その報道姿勢や内容、取材方法などあらゆる面で信頼を得るための不断の努力を続けてほしい。(朝日新聞「わたしの紙面批評」10月15日)

・依田雍子・神奈川県手をつなぐ育成会会長=インターネットで瞬時に情報が拡散することへの不安を挙げ「名前を知らなくても(被害者に)思いをはせ、悼むことができるのでないか。公表したくない人への配慮はなくてもいいのだろうか」と問いかけた。「知的障害者の人たちも、名前を出すことで自分を知ってほしい人もいればそうでない人もいる。謙虚に想像してほしい」と多様な対応を呼びかけた。(朝日新聞10月15日)


【施設/地域】
 今回の事件が入所施設で起きたことに関して、地域で暮らしていれば避けられたのではないかという声が聞かれました。私は、自分で支援者と相談・交渉できる主に身体障害者なら地域移行が可能でも、知的障害者や重複障害者には難しいのではないかと思っていました。実際には、自分が知らなかっただけで、知的や重複の方々の地域自立生活はすでに始まっているのですが、現状は希望すれば誰でもできるという状況にはないようです。

浅野史郎神奈川大学特別招聘教授=なぜ、40人以上もの人が、わずか1時間足らずで傷つけられたのか。施設によって確保される安全もあると思うが、GH(=グループホーム)でばらばらに暮らしていれば、いっぺんに襲われることはなかったはずです。(朝日新聞「オピニオン&フォーラム 障害があったとしても」8月26日)

・藤井克徳=他の先進工業国では考えられないことですが、日本には障害者を対象とした入所施設が3095カ所あります。(中略)一般の青年層・壮年層が大集団で、しかも期限なしで生活するなどということは、普通はないことです。通常の社会にはあり得ないことが、やまゆり園にはあったのです。事件の舞台となった津久井やまゆり園には、150名近い利用者が在園していました。やまゆり園は高尾山の麓にあり、いまでこそ住宅地が迫って来ていますが、もともとは何もないところでした。地域から隔離された入所施設という状況があったわけです。(ハフィントンポスト9月5日)

・中島隆信・慶応義塾大学教授(経済学)=「津久井やまゆり園」に行ったことはないですが、似たような収容型・隔離型の大きな施設は見たことがあります。あの手の施設はできればなくしていった方がいいと思いました。町はずれに広い敷地を取り、内部にグラウンド、屋外プール、体育館などがある。自己完結型で無理に外に出なくても、施設内ですべてが足りてしまう。言葉は悪いですけど、社会との接点の少ないソーシャル・デス(社会的死)の状態だと感じました。実際には地域との交流もあったようですが、それでも限界はあると思います。(NHK福祉ポータル・ハートネットTVブログ8月31日)

・渡邉琢・NPO日本自立生活センター自立支援事業所=行政職員や障害福祉関係者の間でも、「入所施設は重度障害者にとっての居場所」という通念に疑いを入れる人はあまりいない。障害者支援の現場では、重度の障害者に対しては、家族介護がムリになると、地域生活の可能性に言及することなく、ショートステイからの施設入所を勧めるケースワークが横行している。地域で自立して暮らすことが可能だとは、本人も家族も知らないことが多い。ある意味で致し方ない。でも、だとしたら、行政やまわりの支援者がそれは可能だと本人や家族に伝えていくしかないわけだが、まったく不十分である。なぜ、家族や本人が施設入所を選ぶのか。それしかないと思わせているまわりの責任も大きいのでないだろうか。(synodos8月9日)/地域移行のための課題をあぶりだすために、大阪市では、施設入所者本人や、入所施設管理者に聞く調査も行っている。たとえば、施設入所者本人への調査の中で、「入所を決めた人」はだれかという質問があるが、自分で決めた、7.7% 自分以外の人が決めた、73.4%という結果が出ている。大半が本人が望んでいない施設入所であることは明らかだ(念のためにいうと差別解消法施行後の現在、本人の意に反する施設入所は差別にあたるとみなされる可能性が高い)。(『現代思想2016年10月号』p200)

・神奈川県は施設の立て替えを決める前に、障害者本人の意向を確かめるべきではないか。言葉が解せなくても、時間をかけてさまざまな場面を経験し、気持ちを共有していくと、言葉以外の表現手段で思いが伝わってきたりするものだ。容易ではないが、障害者本人の意思決定支援にこそ福祉職の専門性を発揮しなくてどうするのだと思う。(毎日新聞野沢和弘「記者の目 相模原殺傷事件」10月12日)

・児玉真美・フリーライター=施設だから入所者はみんな悲惨な生活を強いられていて、施設職員は満足なケアを行っていないと決めつけるのは事実と異なる一面的な見方ではないでしょうか。施設にも一人ひとりの入所者に豊かな生活をしてもらおうと努力しているスタッフはいっぱいいるし、そこで暮らしている人たち一人ひとりにも仲間やスタッフと関わりあい、つながりあって過ごす、日々の「暮らし」があるわけです。今回の事件をめぐる議論が、施設か地域生活かの二者択一で論じられていくことには危うさを感じています。/病院のNICUや小児科でベッドが不足してきたことから「退院支援」「地域移行」にという方向性が打ち出されています。しかし、そうして帰っていった地域には支援が圧倒的に不足し、結果的に多くの家族が過重な介護負担に喘いでいるのです。(中略)「お母さんががんばり続けられるように」と家族介護を前提にした支援に留まっているのが現状です。そんなふうに、重症児者で、いまもっとも切実なのは「支援なき地域で、家族が疲弊している」という現実。むしろ相模原の事件で多くの人が説いておられる「地域移行」とは似て非なる「地域移行」が、急速に進行している問題なのです。(NHK福祉ポータル・ハートネットTVブログ9月21日)

※「強度行動障害」に対する考え方・対応の一例
・渡邉琢=障害者は別にいつも無垢の被害者というわけではなく、人によって、また障害やまわりの環境の状態によっては、他者に対して危害を加えやすくなることもあるし、そうした加害傾向により、はからずとも地域社会で暮らし続けることを難しくする要因を自らつくってしまい、施設入所や措置入院にいたることもあるからだ。障害者の地域生活支援に取り組む場合、そうした加害といかに向き合っていくかということも大事な課題だ。(中略)加害を加えるから、あるいは加害を加えやすいから、自分たちの団体や地域から排除して、施設や精神病院にいってもらおうとすれば、それはあまりに安直だろう。少なくともそれは、インクルーシブ社会を目指す態度ではないと思う。そういう拒絶的な態度こそが、さらに相手の攻撃性を強めることだって十分に考えられるのだ。(『現代思想2016年10月号』pp201-202)

・西角純志・津久井やまゆり園元職員=とりわけ「強度行動障害」と区分されている利用者は、家庭や、グループホームでの対応は難しい。彼らは自分の欲望を聞き入れてもらえないと、物に当たったり、自傷や他害、つば吐きなどといった問題行動を起こすのである。時に服薬支援を拒否することもある。暴れる利用者や日課にのらない利用者をどう指導していくか。まわりの職員も見ているし職員自身の指導力、力量が問われているのだ。障害者虐待防止法が施行されて久しいが、職員は、懲戒と体罰のギリギリのところで勝負しているといっても過言ではない。「強度行動障害」の利用者は、どちらかといえば、体育会系の職員が担当することが多い。時に、抑え込み(ホールディング)という援助技術を行使することもある。そして、その帰結として利用者とどのように折り合いをつけるのか、反省・自戒させるかといったことが課題になる。(『現代思想2016年10月号』pp208-209)


知的障害者
わが子に知的障害があると分かってから、障害者の方が書かれた本を何冊か読んできました。知的障害のない身体障害者の方の著書を初めて読んだときの率直な感想は、誤解を恐れずに言えば、「障害者と一言で言っても、知的障害があるとないとでは、こんなに違うんだ」というものでした。最近耳にする、バリアフリーノーマライゼーションも、知的障害者にどれだけ有効なのだろうという漠とした疑問がありました。今回、知的障害者が標的にされたことで、関係者の中でも知的障害者への支援の在り方や考え方を再考させられたという声が聞かれました。

・渡邉琢=事件そのものは犯人が起こしたものだが、重度障害者が地域社会でなく施設でしか生きることができない社会をつくってきたのは、わたしたち一人ひとりである。厳しい言葉でいえば、今まで見捨てておいて、今さら追悼するのは遅いのではないか。(中略)今、成人の知的障害者の5人に一人は、入所施設に入っている。実数で言えば11万人。真の意味での追悼は、社会的に忘却されている方々とつながりをつくるところからはじまるのではないだろうか。(『現代思想2016年10月号』pp192-193)

・熊谷晋一郎・東京大学准教授(当事者研究)=ノーマライゼーションの動きによって解放されたと感じている障害者にとっては、今回は時計の針が戻るような恐ろしさを感じるかもしれないけれど、現在も施設に入所しているおよそ11万人の成人の知的障害者にとっては、時計の針が戻るというよりも、半世紀前から進んでいないのだと、(上記・渡邉氏の)メッセージに書かれてきたのです。とても反省しました。そういう意味では、一部の解放された障害者が、世の中で可視化されてきた背後に11万人近い方が、いまだに社会から隔離された状態に捨て置かれていたという事実を突きつけられました。(NHK福祉ポータル・ハートネットTVブログ8月30日)

・星加良司=この事件を踏まえて改めて考えるとき、既存の障害学の知の体系が、重度知的障害者の他者化に抗する言説資源として本当に有効なのか、ということは問われざるをえないと思う。(中略)本来のあり方を阻害している外的要因が取り除かれれば「できない」ことが「できる」ようになる、という解放の図式であり、それはとりわけ身体機能と物理的環境とのミスマッチによって「無力化」されている身体障害者の経験に適合的なモデルとして構築されたものだった。だとすれば、こうした意味での「障害の社会モデル」を基盤として発展してきた障害学は、知的障害に関する解放の理論としては必ずしも十分に機能しないのではないか。こうした批判や疑念は、もう一〇年以上前から問いかけ続けられている。(『現代思想2016年10月号』p92)


【最後に】
入所施設という空間的隔絶だけではない、能力主義・優生思想に基づく線引き、「われわれ」からの他者化といった心理的分断。分断をつなぐのは、自己責任の名のもとに突き放すことではなく、日常のささやかな「お互いさま」という気持ちであり、行動なのではないかと思います。

・大沢真幸(社会学)=素朴な功利主義と同じことだが、ほとんどの人が、こう思っているし、こう言って子供たちを教育しているのではないか。「他人に迷惑をかけてはいけないよ」と。確かに、これは文句のつけようがない道徳的な項目だ。(中略)私たちは次のようにいえなくてはならないのだ。他人に迷惑をかけてもよいのだ、と。いや、もっと先に行く必要があるかもしれない。ときには、他人に迷惑をかけるべきだ、と。私たちは、場合によっては、他人に迷惑をかけることを望まれてさえいるのだ、と。ここまで言い切ることができたとき、こう断言する自信をもてたとき、私たちは不安を本当に払拭することができる。相模原障害者施設殺傷事件が私たちにもたらす、おぞましい不安を、である。(『現代思想2016年10月号』pp42-43)

障害のある子供と暮らす日々の中で感じた疑問や違和感、不快感について、その背後にある「何か」を、いつか深く掘り下げて考えてみたいと思っていました。今回の事件に関して、さまざまな方の発言を自分なりに咀嚼し、自分が感じてきた「何か」に底通する言葉の数々に出会いました。
 わが子に障害がなかったら、今回の事件を「われわれ」の問題としてとらえることなく、「あちら側の人たち」の問題として眺めていたかもしれません。そうした自戒の念を込めながら、自分の中にもある差別の芽に向き合い、今後も「われわれ」の社会を考えていこうと思います。

備忘録:相模原障害者殺傷事件(1)

神奈川県相模原市の障害者殺傷事件から3カ月が経ちました。国は再発防止のため、措置入院のあり方などを検討していますが、障害者・家族・関係者らからは、優生思想や障害者差別に対する批判が上がっています。
事件を振り返り、今後の展開を考える上での手がかりとして、以下に私が目を通した範囲からですが、新聞・雑誌・ネット記事で気になった箇所を抜粋し、2回にわたって紹介します。前後の意味・内容の流れに反した抜粋の仕方をしないよう極力、配慮したつもりですが、疑問に思われた場合は出典を明記しますのでご確認ください。

【政治】
政府は障害者が標的にされたことに言及しませんでした。

麻生太郎副総理が事件当日の閣議後記者会見で「各閣僚から一つずつコメントをとるというような話にのるわけにはいかない」と語った
・(事件)発生2日後、首相は官邸に関係閣僚を集め、「何の罪もない多くの方々が命を奪われました。決してあってはならない事件であり、断じて許すことはできません」「再発防止、安全確保に全力を尽くす」と語っている。
・官邸関係者によると、首相のメッセージには障害者を標的にすることへの非難や共生社会の推進を訴えることも検討したが、「容疑者の身勝手な考え方を取り上げ、独り歩きする方がよくない」「障害者との共生を否定する人はほとんどいない」と判断し、大量殺人という行為への非難に絞ることにしたという。
・尾上浩二・障害者インターナショナル日本会議副議長=「優生思想を受け入れる素地を変えないと本当の意味での再発防止にならない。政治の沈黙は容認と受け取られる。『殺されていい命はない』。このことを社会全体で共有していく先頭に、政治や国会は立ってほしい」
(以上、朝日新聞・南彰「共生への挑戦 沈黙する政治」8月24日)

・尾上浩二=『殺されてよい命はない』というメッセージを社会全体で共有化していく一環として、優生保護法の被害者に対する謝罪と補償を政府は行うべきである。優生思想の問題に総括とけじめをつけることが、同様の事件の温床を絶つ上で重要だ(『現代思想2016年10月号』p76)

国連女子差別撤廃委員会は今年3月、優生保護法で強制的な不妊手術を受けた人への補償などを日本政府に勧告。ドイツやスウェーデンは同様の不妊手術を受けさせられた人に補償するが、厚労省は「当時の法に反し優生手術が行われていたとの情報を承知していない中での補償等は難しい」としている。(朝日新聞・長富由希子、高重治香「相模原事件が投げかけるもの・下」8月26日)

・「生きる意味がない」などという植松容疑者のゆがんだ障害者観はどこから生まれたのか。日本障害者協議会理事の佐藤久夫・日本社会事業大学特任教授は、現代社会に潜む「障害者は役に立たない」「お金がかかる」という意識を危惧する。厚労省の審議会ですら「国民の目線」と称して「障害者の要求は青天井」などの乱暴な批判が飛び交うという。(毎日新聞「凶刀・下 障害者施設殺傷事件1カ月」8月28日)

・藤井克徳・日本障害者協議会代表=偏見や差別といった心のありようを変えるには、政策から入る必要がある。日本は経済協力開発機構OECD)加盟国の中でも障害福祉分野への予算配分率が極めて低い。政策を根付かせるためにも見直すべきだ。(共同通信配信)/日本でも、この事件をめぐって国会で集中審議をするべきです。いまの厚労省を中心とした政府の対応は政治的パフォーマンスにすぎないように見えて仕方がありません。(ハフィントンポスト9月5日)

相模原市緑区の県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件を受け、黒岩祐治知事は六日の県議会予算委員会で、今定例会中に、共生社会実現に向けた憲章を制定する考えを明らかにした。(中略)黒岩知事は「ともに生きる社会を実現するための方向性を一日も早く示し、県全体で共有して全国に広げることが大切。早急に憲章の考え方をまとめたい」と答弁した。県全体の意思であることを示すため、県側が提案し、議会が議決する方式とする。(東京新聞10月7日)


【日常に現れる優生思想・障害者差別】
政府は、「障害者との共生を否定する人はほとんどいない」と判断したと報じられました。私個人は、その判断は障害者やその家族、関係者らの実感とはかけ離れていると感じています。日常に現れる優生思想、障害者差別に関する記述を幾つかピックアップします。

・竹内章郎・岐阜大学教授(社会哲学・生命倫理・障害者論)=私も実際に経験しましたが、障害者施設の建設に対して、地域の健全な秩序が乱れるとして反対運動をする住民もいます。これらも優生思想だと言えます。(NHK福祉ポータル・ハートネットTVブログ9月1日)

・事件のあった施設の前に置かれた献花台を、知的障害がある娘と訪れた母親は、「この子を連れていると、街でじっと見られることがある。何も悪いことはしていないけど、本当にいたたまれない気持ちになる。視線がつらいんです」と思いを吐露した。何の罪もない人が肩身の狭い思いを強いられ、声を上げられない現実があった。(朝日新聞・前田朱莉亜「記者有論」 相模原事件」10月6日)

・神経筋疾患ネットワーク「相模原市障害者殺傷事件への声明文」=そもそも、彼の言う「障害者はいなくなれば良い」という思想は、今の社会で、想像もできない荒唐無稽なものになり得ているでしょうか。現実には、胎児に異常があるとわかったら中絶を選ぶ率が90%を超える社会です。障害があることが理由で、学校や会社やお店や公共交通機関など、至る場所で存在することを拒まれる社会です。重度の障害をもてば、尊厳を持って生きることは許されず、尊厳を持って死ぬことだけを許可する法律が作られようとしている社会です。(7月29日)

野田聖子衆院議員=率直に言うと、通り魔のような無差別殺人と比べて、私は意外性を感じなかった。「いつかこんなことが起こる」って。なぜなら息子を通じて、社会の全てとは言いませんが、相当数の人々が障害者に対するある種の嫌悪感を持っていると日々感じてきましたから/息子の治療について、インターネット上にはこんな声もあります。ある人は「野田聖子は国家公務員だ。今、財政赤字で税金を無駄遣いしてはいけない、と言われている。公務員であるなら、医療費がかかる息子を見殺しにすべきじゃないか」と。(毎日新聞「特集ワイド 相模原殺傷事件」8月17日)


【優生思想との対峙】
事件後、「命の尊さ」「かけがえのない命」「障害者だって○○」といった声が上がりました。それは当然だと思う一方で、優生思想を持つ容疑者にはその言葉が届かない、通じないのではないかとも考えました。優生思想に対峙し、克服するには、どのような言葉・思考・行動が必要なのでしょうか。

石井哲也・北海道大学教授(生命倫理)=障害者がいる家庭、社会は、労力・時間・精神・経済面での負担がある。しかし、「重複障害は介護負担が大きいから不要」とする容疑者の意見には同意できない。先天異常の発生は生物である以上回避できないからだ。そのうえで、社会で負担をどう受け持つかを考えるべきだ。(毎日新聞「相模原殺傷 私の視点」8月13日)

・木村草太・首都大学東京教授(憲法学)=日本国憲法も、国民の権利を保障する第三章の総則として、「すべての国民は個人として尊重される」と規定した(憲法一三条)。この規定は、個人を、「経済活動に役立つから」とか「国益に貢献するから」ではなく、ただ、「個人だから」という理由だけで尊重すべきことを定めている。「客体化の否定」という観点から見るとき、優生思想を否定する理由は、そもそも「人の価値」を論じること自体が誤りだからだ。善意の人が、「障害者もみんなを笑顔にしてくれる」とか、「障害者も経済活動に貢献できる」などと議論をするのを見ることがあるが、それは、知らず知らずのうちに優生思想のペースに乗せられてしまっているということになろう。(『現代思想2016年10月号』pp60-61)/優生学を克服するには、「そんな発想は不合理だ」と非難するのではなく、その合理性をさらに突き詰めた時の結論と向き合うしかない。障がい者を排除すれば、障がい者の支援に充てていた資源を、他の国家的な目標を実現するために使えるだろう。しかし、それを一度許せば、次は、「生産性が低い者」や「自立の気概が弱い者」が排除の対象になる。また、どんな人でも、社会全体と緊張関係のある価値や事情を持っているものだ。たばこを吸う人、政府を批判する人なども、社会の足手まといとみなされるだろう。国家の足手まといだからと、誰か1人でも切り捨てを認めたならば、その切り捨ては際限なく拡大し、あらゆる人の生が危機にさらされてしまう。(沖縄タイムス「木村草太の憲法の新手(37)」8月7日)

・藤井克徳=障害者が仮に消えるとする。その結果何が起こってくるかと言うと、今度は次の厄介者を探し出す。それは高齢者であったり、病気の女性であったり、病気の子どもだったり、それをまた消していくと、また次の弱者を探し出す。弱者探しの転化、弱者探しの連鎖ということになっていく。結果的には一握りの強者だけが残っていくと、論理上なってくる。とってもこれは怖い。障害者問題だけではなく、いろんな社会の層に普遍化される問題だということ。それが優生思想の怖さ。(ビデオニュース・ドットコム7月27日)

杉田俊介(批評家)=優生とは、おそらく、あらゆる意味での線引きの暴力である。すると、根本的なところで優生に抗するとは、どんな線引きをも拒否し続ける、ということだ。(『現代思想2016年10月号』p124)

・竹内章郎=近代国家では、能力に応じて社会的地位を得ることは正しいこととされていますから、能力の劣ったものが価値の低いものとして扱われるのを容認しているところがあります。その差別構造の底辺にいるとみなされているのが意思表示も難しい重度の障害者だったり、認知症患者だったりします。私たちが優生思想から自由になるには、人間を能力によって差別することの問題点について、もっと深くもっと真剣に考えていかなければならないと、私は思っています。(NHK福祉ポータル・ハートネットTVブログ9月1日)

立岩真也立命館大学教授(社会学)=優生主義を根絶はできないとしても、その勢力を弱くすることだ。そしてそれは可能である。一つに、できる人が得をするのは当然だ、できることにおいて価値があるというこの近代社会の「正義」が優生主義を助長している。それをのさばらせないことである。もう一つ、優生・安楽死思想は人を支える負担の重さの下で栄える。つらいと殺したくなるということだ。負担そのものをなくすことはできない。だが一人一人にかかる度合いを減らすことはできる。するとこの人はいなくなってほしいと思う度合いが少なくなる。(共同通信配信/http://www.arsvi.com/ts/20160028.htm

【被害者の他者化】
事件を知ったとき、私は自分や自分の子どもが被害にあったら・・・と想像しました。一方で、健常児の親は「うちの子が被害にあったら」とは想像しないかもしれない、私もわが子に障害がなかったら想像しなかったかもしれないと思いました。
メディアでは識者やコメンテーターが「社会的弱者」という言葉を使うのを何度か耳にしました。障害者は人数の比率からいえば「社会的マイノリティ」かもしれませんが、多様な障害者をひとくくりに「弱者」とレッテルを張ることに強い違和感を覚えました。

・障害の有無を理由に「『私たち』と『彼ら』に分ける世界を受け入れない」と訴えたのは、英国の大学教授ら6人。(朝日新聞・古田寛也8月26日)

・慎允翼・東京大学教養学部1年=「保護する対象」か「殺害の対象」か、両者の考え方は真逆だが、上から目線で「社会的弱者」とレッテルを貼っていることに違いはない。(毎日新聞「相模原殺傷 わたしの視点」9月15日)

・星加良司・東京大学講師(社会学・障害学)=今回の事件の被害者は、重度の知的障害を持つとされる施設入所者だった。すなわち、事件は「施設」という空間的にも心理的にも「我々の社会」から隔絶した場で起こった出来事であり、被害に遭った人々は「知的障害者」という「異質」と思われている存在だった。だから、この事件がいかに残忍で卑劣な犯行であったとしても、それが「我々の社会」において「我々」に対して向けられたものだというリアリティを、多くの人は感じなかったということではないだろうか。(『現代思想2016年10月号』pp89-90)


次回は「匿名報道」「施設/地域」などについて紹介します。