今年初めてのおみくじは“最強の大吉”

 yuheipapaです。
 1月1日に発生した能登半島地震で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。また、被災した皆さまに、お見舞い申し上げます。被災地では道路網が寸断され、支援物資も思うように届いていないと報じられています。被災者の中には障害のある方もいらっしゃると思います。ご家族を含めて困難な状況が続いていることを思うと胸が痛みます。支援が一日も早く軌道に乗ることを願っています。

 さて、10年前の2014年4月、悠平が小学校2年生の春に、わが家は転勤先の大阪から東京に戻ってきました。大阪に住んで、寺社巡りがわたしと悠平の休日の習慣になっていたこともあって、東京に戻ってからは毎年、正月休みには七福神巡りがわたしと悠平の恒例行事です。昨年はわたしが年末に新型コロナウイルスに感染したことから、見送っていました。ことし、2年ぶりに再開しました。
 行く先の候補は二つ。東京・浅草の近辺にある9カ所の寺社を巡る「浅草名所(などころ)七福神」と、鎌倉と江の島の8カ所の寺社を巡る「鎌倉江の島七福神」です。ともに、コース上の神社や寺には行ったことがあるのですが、七福神巡りでは初めてになります。悠平に任せたところ、鎌倉江の島七福神を選びました。理由を聞くと「たまには東京を離れた場所でもいいかと思って」と。確かに、今までは東京都内の七福神ばかりでした。ちょっと大人びた口調だったのがおかしくもあり、頼もしくも感じました。
 JR横須賀線で北鎌倉駅に着いたのは11時ちょっと前。徒歩で10分足らずの浄智寺からスタートしました。布袋さまを参拝して、納経所で専用の色紙を購入。次いで鶴岡八幡宮まで歩き、境内にある旗上弁財天にお参りした後は、鎌倉市の中心部を宝戒寺(毘沙門天)→妙隆寺(寿老人)→本覚寺(夷尊神=えびすさま)と歩き、鎌倉駅へ。江ノ電に乗って長谷駅で降り、長谷寺(大黒天)→御霊神社(福禄寿)と巡って、再び江ノ電。江の島の江島神社(江島弁財天)でお参りを終えたのは午後3時半を回っていました。
 最後に江島神社で引いた今年初めてのおみくじは、2人とも大吉でした。特に悠平が引いたくじには「何ごとも思うようになります」と書かれていました。「油断はいけません」との但し書きがついていますが、ちょっと見たことがない“最強の大吉”です。今年は悠平にとっていい年になればいいなと思います。

 鎌倉ではあちこちでもう梅が咲き始めていました(写真は宝戒寺)。12月になっても東京で夏日を記録した昨年の暑さが、今年も続くのでしょうか。

 

社会の一員として責任を持つ年~2024年、新春のごあいさつ

 新しい年になりました。

 yuheipapaです。yuheimamaと悠平と、家族3人そろって元気に2024年を迎えました。
 悠平は4月から特別支援学校高等部の3年生、最上級生になります。生徒会長に陸上部に就労実習と、忙しい日が続きそうですが、やる気十分です。
 6月の誕生日で18歳。選挙権も得て、いよいよ社会の一員として責任も持つことになります。次の選挙は、一家3人で投票に行くことになりそうです。悠平は政治家の名前に関心が深く、テレビのニュースや新聞を見ながら「○○さんの後任の○○大臣は誰だろう」などと話しています。選挙の意味や、それが自身にどんな意味があるか。少しずつでも学んでいってほしいと思います。

 ことしも折に触れ、悠平と過ごす日々をyuheimamaと一緒に書きとめていきます。
 本年も引き続き、「悠平と歩く道」をよろしくお願いいたします。

 ※写真は鎌倉・円覚寺の仏殿天井の「白龍図」です。悠平と一緒に何度も訪ねた、わたしのお気に入りの場所です

 

旅の楽しみは乗り物だけではない

 yuheipapaです。
 ことしも悠平と一緒に、あちこちに「乗り鉄と巡礼」に出かけました。その中で、悠平の「旅」の関心の対象が変わってきたと感じます。
 幼児期から中学生ぐらいまで、悠平の関心はもっぱら電車やバスの乗り物でした。外出した日はいつも「きょうは何が楽しかった?」と聞いています。以前は必ず、1番目から3番目まで、すべてその日に乗った電車やバスでした。それが最近は、訪ねた寺や神社に変わってきています。
 ことし8月に、北関東三十六不動霊場の巡礼を始めました。先日、茨城県稲敷市江戸崎(旧江戸崎町)にある霊場を訪ねた後、バスを乗り継いで稲敷市の大杉神社、千葉県香取市の香取神宮を訪ね、香取市・佐原の街を散策しました。乗り継いだバスは計5本。JRバス以外は地元のバス会社の運行で、悠平にとっては「レアもの」のバスに乗った心が弾む経験です。「何が楽しかった?」と聞けば、以前なら間違いなく「いちばんは〇〇バス、二番は△×バス…」と答えたはずですが、今回は違いました。
 「一番楽しかったのは大杉神社、二番目は香取神宮、三番目は佐原の街を歩いたこと」
 何だか女子旅のガイドブックに出てくるような答えでした。大杉神社は「茨城の日光」とも呼ばれる豪華絢爛な社殿や拝殿で地元では知られるようです。驚いたのはトイレもこの豪華さで統一されていたこと。日光では体験できません(笑)。機会があれば、立ち寄りをお勧めします。悠平もこの豪華絢爛さが楽しかったようです。香取神宮は一帯では鹿島神宮と並ぶ著名な古社、佐原は江戸期の古い街並みを残す「小江戸」の一つです。
 思い返すと、行った先の寺社に関心を示すようになったのは、小学生の高学年くらいだったでしょうか。たまに「その日楽しかったことベスト3」に一つ、寺社が挙がることがあったような気がします。寺でわたしと並んで口ずさんでいた「般若心経」を暗記してしまったのもこのころでした。
 電車やバスへの関心も以前と変わらず高いのですが、加えて行先にも関心が高まってきているのはいいことだと思います。幼児から中学生ぐらいまでは、どこに行くかの「目的」と、どの電車やバスで行くかの「手段」は切り分けられていませんでした。むしろ手段が目的になっていたように思います。将来、一人旅ができるかどうかはともかく、目的と手段の区別が明確になり、両者をどう組み合わせるかを考えるようになれば、余暇の過ごし方が充実するのではないかと思います。

 悠平と寺社巡りを始めたのは大阪に住んでいたころ、悠平が幼稚園から小学校1年の時期でした。山道をたどる巡礼もあったため、わたしも悠平もトレッキングシューズを買いました。並べると悠平のシューズは小さく見えました。それから10年余が経ちました。先日、二人でトレッキングシューズを新調しました。今では悠平はわたしよりも一回り大きなサイズを履いています。いつの間にか、それだけの時間が経ちました。

【写真】トレッキングシューズ。右が悠平用

 親はどんどん年を取っていきます。いずれ、休日はわたしと外出というわけにもいかなくなります。親以外の誰かと一緒に余暇を過ごす、そういうことも考えていく時期にきているのだろうと、yuheimamaとも話しています。

 ことしも、当ブログをたくさんの方に読んでいただきました。
 ありがとうございました。
 親は年を取るとは言え、「悠平と歩く道」はまだまだ続きます。

※おまけの写真
 大杉神社の写真です。電車、バスでは、とても行きにくい場所です。
 ホームページは http://oosugi-jinja.or.jp/

 以下はトイレ

2学期の楽しかったこと、うれしかったこと

 妻(yuheimama)です。2学期を終え、悠平は冬休みに入りました。2学期は学校行事も多く、とても充実した日々だったのではないかと思います。

 9月、北陸への修学旅行がありました。中学部では、コロナの影響で修学旅行に行けなかったこともあり、悠平はとても楽しみにしていました。親元を離れて初めて2泊しました。福井の恐竜博物館に行ったり、金沢の観光名所をめぐりました。

 10月、東京都の特別支援学校・特別支援学級設置学校体育連盟主催の陸上競技大会に出場しました。入賞は逃したものの、校庭とは全く違う本物の陸上トラックを思いっきり走り抜けることができました(修学旅行、陸上大会については「行事の前には健康管理」を参照ください)。

 10月にはもう一つ、悠平にとって重大な行事がありました。生徒会役員選挙です。1年生で役員に立候補して副会長として活動してきた悠平。今回は会長を目指して立候補しました。演説などの選挙活動を経て、11月に結果発表。生徒会長に当選しました! 悠平はとても誇りに感じているようです。役員のメンバーと協力して、学校生活がより楽しく充実したものになるよう、頑張ってほしいと思います。

 11月には5日間にわたって、福祉施設での現場実習がありました。支援員に注意されるたび、表情が硬くなっていましたが、「はい」としっかり返事をしながら本人なりに頑張りました。仕事の厳しさを体感し、次につながる経験になったのではないかと思います(実習については「5日間の現場実習を終えて」を参照ください)。

 悠平に「2学期、何が一番楽しかった?」と聞いたところ、「修学旅行」との返答。「何が一番うれしかった?」と尋ねると、「生徒会長になったこと」との答えが間髪入れずに帰ってきました。自信と期待に目を輝かせる悠平の笑顔を見て、母もとてもうれしかったです。

 年末年始は慌ただしいものですが、今年は悠平にも大掃除を手伝う機会を作って、悠平のスキルアップと母の負担軽減をかなえたいと思います。yuheimamaの今年の記事はこれが最後です。読んでくださり、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

 

5日間の現場実習を終えて

 妻(yuheimama)です。先月、悠平は進路学習として、福祉施設での5日間の現場実習を体験しました。実習先は、1年生のときに1日体験でお世話になった事業所です(「初めての実習」を参照ください)。

  実習前には事業所で、担当支援員、学校担任、悠平、母の4人で事前面談を行いました(「漢字と仕事とQOLと」を参照ください)。実習先には1人で通所しなくてはならないため、休日に母とルートを再確認。さらに「通勤練習」として、実習1週間前の朝に自宅から事業所に行き、担当者に挨拶してサインをいただいてから登校。そしていよいよ実習です。

 実習では主に、トイレ掃除、備品チェック、計量、販売、清掃、ソーシャルスキルトレーニング(SST)などに取り組みました。実習中に1回、学校担任と母は、販売の準備作業と販売の様子を見学させてもらいました。こちらの事業所では、パンとパスタを調理する作業グループがあり、それらの調理品を近隣の病院に車で運び、ランチタイムに病院職員向けに販売しています。悠平はパンの仕分けや荷物の運搬、販売を体験しました。

 パンの仕分けでは、甘いパンとしょっぱいパンを分けなくてはならないのですが、悠平はところどころ間違って仕分けて、先輩利用者から「それは違いますよ」と声をかけてもらっていました。その様子を見て母は、悠平が食べたことのないパンが何種類もあることに気が付きました。自閉症で小さい頃は偏食があり、偏食がおさまった後には、こだわりの強さなのか興味・関心の狭さなのか、一つのパンを気に入ると、そればかり食べ続けるので知らない味がたくさんあるのです。ただこれは本人の特性上、仕方がないことなので、仕事として取り組むときには、知らない味を勘(あるいは当てずっぽう?)で分けずに、先輩や支援員に質問し、次に間違えないようにメモを取らなくてはいけません。

 次に仕分けしたパンを車に運び入れたのですが、このときも、先輩利用者と運ぶタイミングを合わせたり、荷物を積む場所や積み方などに気を配る必要があります。支援員から細かく注意をされるたび、「はい」「はい、分かりました」と返事をしての作業です。病院に着いてセッティングをしていざ、販売。販売はあいさつや袋詰め、電卓を使ったお金の計算と釣銭の受け渡しなど、頑張って取り組んでいました。実は実習でお金のやり取りをすると事前面談で伺っていたので、家庭学習のときに「リアルお買い物ごっご」(「買い物練習継続中」を参照ください)で予習していました。母、心の中でガッツポーズです。

 学校担任と母の見学はこれで終了。見学は1回だけでしたが、事業所からは毎日、作業内容と支援員からのコメントを写真入りのプリントでいただき、日々の様子がよく分かりました。実習最終日には、再度、事前面談と同じメンバーで反省会があり、支援員からの講評を伺いました。悠平は学校で清掃を学んでいて、仕事としても今のところ清掃を希望しているのですが(「清掃一筋? 高等部2年の夏休み」を参照ください)、講評では清掃について、いろいろと課題が指摘されました。一方で、学校担任も母も意外だったのは、備品チェックの評価が高かったことです。どうやら特性からくる、視覚の強さと日ごろ鍛えている(?)数字の扱いがマッチした作業だったからのようです。備品チェックは小売店のバックヤードでの仕事につながります。

 反省会を終えて、後日、学校で3者面談が行われました。何度も親の出番があって、なかなか大変でしたが、現場実習だからこその気付きが多々ありました。3年生ではさらに2事業所で実習を行います。もしかすると悠平が興味を持つ仕事と適性は違っているのかもと思いつつ、日々の学習やお手伝いを根気よく継続して、基礎固めをしていこうと改めて思いました。

 

秋のスケッチ2023~続・信州に家族で旅行

 yuheipapaです。一つ前の記事、信州への家族旅行の続きです。
 ことしは夏が過ぎても異常な暑さが続き、旅行中も11月だというのに上田市で最高気温が25度に達しました。それでもやはり信州。木々の黄葉、紅葉は進んでいて、目に鮮やかでした。悠平が撮影した写真も含めて、スケッチ風にまとめました。

▽「信州の鎌倉」塩田平
 上田市の南西部に広がる塩田平は、鎌倉時代、室町時代からの古社が点在し、「信州の鎌倉」と呼ばれます。戦没画学生の作品を展示する美術館「無言館」も、その山間の一角にあります。一帯を11月いっぱいは周遊バスも走っており、2日間にわたって散策しました。
 前山寺は無言館から徒歩10分ほど。三重塔は「未完成の完成の塔」と呼ばれる国の重要文化財。傍らのイチョウの黄葉が、息をのむほどの見事さでした。
【前山寺1=悠平撮影】

【前山寺2】

【前山寺3】

【前山寺のバス停にいたネコ=悠平撮影】

【「無言館」周辺1=悠平撮影】

【「無言館」周辺2】

【「無言館」周辺3】

 生島足島神社は10世紀の延喜式にも名が見える古社。ちょうど七五三のお参りでにぎわっていました。塩田平周遊バスは、神社のすぐ近くの上田電鉄下之郷駅と別所温泉とを結んでいます。
【生島足島神社1】

【生島足島神社2】

 2日目は別所温泉から周遊バスに。平安時代末期から鎌倉時代初期の建造という中禅寺の薬師堂も重要文化財です。
【中禅寺1】

【中禅寺2】

 中禅寺の近くの塩野神社は、境内に足を踏み入れた途端に、凛と引き締まった空気を全身で感じました。楼閣造りの二階建ての拝殿は見飽きませんでした。
【塩野神社1】

【塩野神社2】

▽「小諸なる古城のほとり」
 2日目の午後は上田から小諸に移動しました。島崎藤村が「千曲川旅情の歌」で「小諸なる古城のほとり」と書いた、その情景を見てみたいと思いました。
 小諸城址はもみじが見ごろ。千曲川沿いの傾斜地の複雑な地形を生かしており、城下町の方が城よりも高地にあります。攻めるのはさぞや難しかっただろうと感じました。
【小諸城址1】

【小諸城址2】

【小諸城址3=千曲川を望む】

▽「北斗の拳」の聖地
 佐久市は劇画「北斗の拳」の原作者、武論尊さんの出身地。その縁で、市内各地に「北斗の拳」登場キャラクターの像や、マンホールの蓋が置かれているそうです。マンホール蓋の設置場所は北斗七星をかたどるこだわりも。新幹線の佐久平駅にはジャギの像がありました。市の表玄関に置くキャラクターとしては、なかなか渋いチョイスだと思います。

馬肉も鯉もおいしかった~信州に家族で旅行

 yuheipapaです。
 11月の休日、家族3人で長野県の上田市から小諸市、佐久市へ1泊2日の旅行に出かけました。主な目的は、上田市にある「無言館」の見学でした。日中戦争や太平洋戦争で戦死したり戦病死した画学生の遺作を展示している私設の美術館です。訪ねる前に悠平には一通り、どんな人たちの作品を展示しているのか、説明しました。美術館ではわたしやyuheimamaと一緒に、静かに作品を一つひとつ見ていました。
※「無言館」
 https://mugonkan.jp/

 わたしもyuheimamaも、そして悠平も、作品を見ている間は無言でした。悠平なりに感じ取ったことがあるのではないかと思います。

 この旅行のもう一つの目的は信州の味巡りでした。
 長野への家族旅行は2回目。悠平は6年前の前回の旅行で、当時は小学生ながら馬肉のおいしさを覚えました。今回は鯉料理にもチャレンジしました。幼児期の偏食がうそのように、旅先では土地の名物を口にするようになっています。

 初日の昼食は馬肉うどんにしました。北陸新幹線で上田駅に午前中に到着。駅から徒歩数分のところに、地元でも有名な馬肉うどんの店があります。
 だしは馬肉だけというつゆは、かなり濃い色ですが、すすってみると甘みが強く、ちょっとほかでは味わえない、後を引くおいしさです。煮付けた具の馬肉もやわらかく、酒のつまみ、ご飯のおかずにもよさそうです。メニューには「肉皿」もありました。

【写真】悠平はうどん一杯では足りないだろうと思い、ミニ天丼とのセットを頼みました。てんぷらはエビとイカです

 山梨県富士吉田市の「吉田うどん」も具に馬肉をのせますが、麺はコシが強いのが特徴。上田のこのお店は麺が柔らかく、同じ馬肉うどんでも食感は対照的でした。
 メニューには「馬刺し」もあり、隣のテーブルに座った母子が馬肉うどんと一緒に注文。運ばれてきた馬刺しを、小学生ぐらいの男の子がおいしそうに食べていました。その顔が本当にうれしそうで、「ああそうか、こうやって故郷の味がしっかり舌に刻み込まれるのか」と思いました。わが家は、馬刺しは宿泊した別所温泉の旅館でいただきました。柔らかくて、悠平も満足そうでした。

 事前に検索して調べたところでは、上田駅近隣のいくつかのそば屋さんにも、馬肉を具にしたかけそばがあります。単に「肉そば」と呼んでいる店が多いようです。

※6年前の長野旅行です

yuheipapa.hatenablog.com

 2日目の昼食は、上田独特の「美味(おい)だれ」を試そうと思い、上田駅構内のから揚げ店にしました。すりおろした生ニンニクがたっぷり入った焼き鳥のたれです。焼き上がった焼き鳥の串をつまんで、このたれにくぐらせて食べるのだとか。
 今回の旅行では焼き鳥屋に行くのは難しかったので、同じたれをかけた「美味だれから揚げ」を食べてみたのですが…。やはりお酒、それもビールやサワーなどと一緒に楽しむのがいいようです。口の中から強烈なニンニクの刺激がなくなるまで、しばらくかかりました。から揚げは、さっくり揚がっていてとてもおいしかったです。

 2日目の夕食、この旅行最後の食事はちょっとした波乱がありました。
 午後は上田市を離れ、しなの鉄道で小諸市に移動。当初の計画では夕方、JR小海線で小諸から佐久市の新幹線停車駅、佐久平駅に行き、そば屋で夕食を取って東京に帰る予定でした。旅行初日の午後、目星を付けていたそば屋に予約を入れようとしたところ、既に予約を締め切っているので当日、来店順の案内になるとのこと。帰りの列車の時間があるので、行列に並ぶリスクは避けたいと考え、小諸で夕食も済ます計画に変更しました。
 小諸城址で紅葉を楽しみ、古民家カフェで3人それぞれにスイーツとそば茶でくつろいだりしながら、さてそろそろ早めの夕食をと、これも目星を付けていた駅前の郷土料理屋に向かったところ、まさかの休業。「ええっ!」と、焦る頭で選択肢を整理して、大急ぎで駅のホームに向かい、佐久方面に向かう列車に発車寸前、文字通り飛び乗りました。
 この旅行でもう一つ、試してみたかったのが鯉料理です。特に佐久市は食用の鯉の養殖が盛んで、きれいな水で育てるため味にクセもないとか。酢みそで食べるのが一般的な鯉の洗いも、佐久ではわさび醤油で食べるとのことです。市内には鯉料理が食べられる店がいくつもあり、評判がいい店をいくつかチェックしていました。佐久の鯉は次の機会にお預けと思っていたのですが、急きょ、“決行”することにしました。
 向かったのは、佐久平の四つ先の中込(なかごみ)駅。小海線を蒸気機関車が走っていたころは、機関区が置かれていた拠点駅です。古いながらも立派な駅舎に往時をしのぶことができます。その駅前にある食堂に入りました。
 ここは鯉のほかにもメニューが豊富で、悠平やyuheimamaには鯉以外の料理を、と思っていたのですが、悠平は敢然と「鯉を食べる」と宣言。選んだのは「鯉天丼」でした。わたしは鯉こくと鯉の洗いの定食にしました。yuheimamaは鍋焼きうどんにしたかったのですが、メニューにはあるもののこの日はやっていないとのことで、たぬきうどんになりました。これは誤算でした。

 鯉こくは、輪切りにした鯉をみそで煮た料理。みそ煮というほどは煮込んでおらず、言ってみれば鯉のみそ汁です。一口すすると、海の魚にはない、いい香りがしました。澄んだ水の匂いと言えばいいのか。人によっては川魚特有のクセと感じるかもしれません。特筆すべきは卵と内臓のおいしさです。臭みも苦みも全くなく、鯉料理のだいご味を楽しめました。
 悠平の鯉天丼は名前の通り、大ぶりの鯉の切り身の天ぷらをのせたどんぶり。この店には鯉のから揚げもありました。佐久でも鯉の天ぷら、から揚げは珍しいようです。悠平もわたしも、鯉を満喫しました。いずれ再訪したいと思うおいしさでした。その時は、鍋焼きうどんもやっていますように。

【駅でも鯉がお出迎え】

【おまけの写真】小諸の古民家カフェで。yuheimamaはそば粉のケーキ、悠平はそば粉シュークリーム、わたしは野沢菜のおやきを選びました。